プーアール茶.com

版納古樹熟餅2010年 その49.

製造 : 2010年7月
茶葉 : 雲南省西双版納州巴達山曼邁寨+章朗寨古茶樹2009年秋茶
茶廠 : 農家+孟海県の茶廠
工程 : 熟茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 茶箱
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺・チェコ土の杯 鉄瓶+炭火
茶壺
茶葉

お茶の感想:
このお茶。
+【版納古樹熟餅2010年】
ぬるめの湯、70度から80度くらいを試す。
前回と同様に、鉄瓶で沸かした湯をいったん茶壺で冷まして、それから茶葉の入っているもうひとつの茶壺に注ぐ。
茶壺の腹に指を当てて、熱いけれどちょっとの間だけは我慢できるくらい。
注ぎ
指
蒸らし時間長めでじっくり待ったが、それでも成分の出てくるのはゆっくりで、茶湯の色は明るい。
ゆっくり待つこの時間。
熱々の湯で短時間にドッと濃く成分が抽出されるのに比べると、ぬるめの湯は待ち時間が長い。湯に溶け出した茶葉のいろんな成分の分解や結合のすすむ時間が長い。
茶湯
かすかに檜の皮のような香り。
前回の50度くらいの湯で出てきたオレンジの皮のような香りはない。
味は、”無い味”が出た。
甘味ひかえめ、旨味もひかえめ。苦味のスパイスもひかえめ。
茶湯はサラッとして前回よりもとろみはなく淡々として、後味にピリッと辛味が残る。この辛味の影の濃さが、無いはずがない味であったことを物語っている。
いい感じだ。
透明な水質は目に見えない細かな粒がギュッと詰まった濃さというか、重さ。舌でその密度を読み取らなければ、味が薄いと感じるかもしれない。
唇や舌が触れたとたん唾液の出てくる感じとか、頬の内側がキュッとなる感じとか、リアクションに注目するべし。
水墨画の、なにも筆の入っていない空間の抜けの広さや遠さは、脳が勝手に想像する理想なので、どこまでも広く遠い。しかし、そう見えるか見えないかは個人差がある。
無いはずのところになにかを見てしまう脳の勝手な行動を許せるか許せないか。”無い味”を味わえるか味わえないか。
茶湯
3煎めでかなり長く抽出してみて、茶湯の色は濃くなったが、無い味っぷりは同じ。
微生物発酵による変化で旨味成分がたくさんつくられている熟茶だが、その旨味を構成するアミノ酸類の中には長期熟成によるメイラード反応(常温の焦げ)によって炭化しやすいのがある。
その炭が味を吸着して隠すのじゃないか?と推測してみる。
ところで、炭ってどんな味だっただろう?
炭に湯を注いで飲んでみた。
お茶用の楢の木の菊炭。上質で煙の匂いは無い。
炭
炭っぽい味は想像していたとおりだが、水の味が強く主張して”有る味”になった。脳の錯覚を誘発するような展開はない。
では、茶に炭を浮かべてみてはどうか?
茶湯
茶の味はほとんど変わらず、やはり”無い味”が出た。
炭によるアミノ酸の味を隠す効果と”無い味”との関連はなかったかもしれない。
熟茶づくりには、これほど栄養豊富で旨味が強くなりすぎる旬の茶葉を原料にするのはふさわしくないという見方に傾きかけていたが、もしかしたら、熟成によって変化して出てくる”無い味”につながる隠せる部分は、こっちのほうが多いかもしれない。

ひとりごと;
”無い味”を味わうコツは、無意識のところで身体のあちこちが勝手に反応しているのを許すこと。
そのコツは、あまり意識を向けないでそっとしておくこと。
例えば、睡眠中に夢を見ても、「これは夢だからヘンなことが起こっても大丈夫!」と自分で自分に言い聞かせようものなら、夢から覚めてしまう。
おかしなことが起こってもそっとしておいて、夢のつづきを見るのだ。
南禅寺
モノクロ
南禅寺

版納古樹熟餅2010年 その48.

製造 : 2010年7月
茶葉 : 雲南省西双版納州巴達山曼邁寨+章朗寨古茶樹2009年秋茶
茶廠 : 農家+孟海県の茶廠
工程 : 熟茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 茶箱
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺・チェコ土の杯 鉄瓶+炭火
鉄瓶

お茶の感想:
このお茶。
+【版納古樹熟餅2010年】
10年の熟成で変化してきた体感。
温かさと涼しさのバランスが、10年前の温9:涼1くらいから、現在は温7:涼3くらいになっているのじゃないかという感じ。
30年ほど熟成したら、5:5くらいになるのかも。
老茶は、熟茶も生茶も温涼のバランスがよい。
熟茶はもともと温かいものだが、涼しさを活かせる淹れ方はあるのか?
そこを探ってみる。
茶湯
そういえば、
昨年末の上海の友人の店でこんな質問がでた。
「熟茶の栄養を壊さないように、40度以下のぬるい湯で淹れるのが良いという人がいるのだけれど・・・.。」
たしか、40度はある種の酵素が変化しやすい温度帯。
40度を超えると酵素の作用が効かなくなる(失活)と、考えたのかもしれないな。
しかし、酵素はひとつじゃない。熟茶にもいろいろある。
それに、熟茶づくりの渥堆発酵は50度を超えるし、圧延加工の”蒸し”の工程は70度から90度に達するはず(実際には蒸気の温度は測れても茶葉の内部に伝わった温度を測るのは難しいのでアバウトである。)なので、40度は経験済みである。
だから40度以下というのは勘違いだと思う。
その上の温度帯は、たしか70度だったような。なにかの本で読んだと思う。
お茶づくりで鮮葉が生まれつき持っている酸化酵素の作用を止めるのも70度。
熟茶づくりでは、原料の晒青毛茶(天日干し緑茶)をつくる段階で、鉄鍋炒りの殺青によって70度を超える熱を通しているが、その後に微生物によって新しく何種もの酵素がつくられているから、これが何度くらいで失活するのかわからない。
渥堆発酵の熱をちょっと超える50度から70度くらいをまず試してみる。
いったん沸かした湯を、別のもうひとつの茶壺で冷ますことにした。
注ぎ
しかし、温度計では測らない。肌感覚のほうが大事だから。
湯を注いだ茶壺の腹に指をつけていられるギリギリくらい。
指
これが基準であり、実際の水温が何度かというのはどうでもよいのだ。数字なんて使えないから。
たぶん水温は60度を超えていて、茶葉の内部にまで伝わるのは50度くらいじゃないかと期待する。
一
オレンジの皮の香りがする。
陳皮のようなミント感もある。
味は甘くまろやかでやさしく、水質はとろんとして、喉にも甘く、後からスースーと涼しい。
濃くして苦味や辛味のスパイスを効かせようにも、温度が低いからエッジが立たない。
蒸らし時間を長くしても淡々としている。
煎をすすめてもおなじような出方をするので、4煎めから温度を上げた。5煎めには沸騰しているのを直接注いだ。
湯
でも、いったんぬるい湯をたっぷり吸った茶葉はその上から熱々を注いでも効果は半減。ぼやけた感じはそのまま。熱のせいか、オレンジのような鮮味は失われ、米の研ぎ汁のような穀物のやさしい粉っぽさが出てきた。
風味の涼しさのわりに体感は”温”が強く現れた。じわじわ暑い。一杯めより二杯め、二杯めより三杯めと、だんだん暑い。
はじめから熱々を注いだときは一杯めに急に暑くて汗をかいたあと、二杯め三杯めはむしろ涼しくなってくるので、展開が異なる。
冬にゆっくり温まりたいときは、ぬるい湯で淹れるのもよいかもしれない。

ひとりごと:
次回は70度くらい。
茶壺の腹に指をあてていられるのは1秒くらいの熱さを試す。

版納古樹熟餅2010年 その47.

製造 : 2010年7月
茶葉 : 雲南省西双版納州巴達山曼邁寨+章朗寨古茶樹2009年秋茶
茶廠 : 農家+孟海県の茶廠
工程 : 熟茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 茶箱
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺・チェコ土の杯 鉄瓶+炭火
餅面
竹皮

お茶の感想:
口内炎ができた。
自分のバカを棚に上げて言うと、バカにつけるクスリはない。
飲みすぎた酒の酔いをお茶で醒ますとか、太るほど食べておいてお茶でダイエットするとか、みんな根本的に間違っている。
お茶のクスリを利用するには、自分で自分の身体に向き合って、じわじわ勉強するしかない。そこを勉強していたら飲み食いし過ぎるはずがない。
このお茶。
+【版納古樹熟餅2010年】
一枚崩した。
崩し
崩し
熟成がすすんだ。
2020年の夏は、中国南部も日本も雨が降り続いて、茶箱の中の茶葉も水を吸ったり吐いたり、繊維の呼吸が深かったと思うのだ。
茶箱の中には竹皮が上にも下にも横にも敷いてあって、このミクロの繊維が空気や水の流通をよくしていた効果もあるにちがいない。もしかしたら、竹皮の表面にビッシリついている乳酸菌類の酵素もなんらかの作用をもたらしたかもしれない。
今年の冬と比べると、なにかが変わった。
注ぎ
風味においての熟成変化は、同じところを行ったり来たり螺旋状にすすんでゆくものだから、またつぎの冬には後戻りしたように感じることも多いのだが、新しく出てきたクスリ感は、たぶん戻らないだろう。
なにが新しいかと言うと、身体に熱のこもる感じがしなくなったこと。
生茶ほど涼しくはないが、一般的な熟茶ほど暑苦しくもない。
薄茶
風味にもチカラの抜けた感じが現れていて、濃く淹れても薄く淹れても、それぞれの風味でありながら、濃さも薄さも感じさせないバランスになる。
陽から陰の感じの茶酔いになってきているのも、もしかしたら関係しているかもしれない。
長年熟成したお茶は中性になってゆくらしく、例えば生茶なら涼しさが失われてゆくが、寒さもなくなってゆく。
いや、正確には、その両方が共存しているような感じになる。
この熟茶の場合、温かさと涼しさとが共存している。
淹れ方や飲み方しだいで、どちらかのクスリを選択することができるのか、これから探ってゆく。
壺

ひとりごと:
口内炎のときは身体の熱を取る苦丁茶がよい。
モチノキ科の葉。

波がよせるように煎がすすむ

波がよせる。
一煎め・二煎め・三煎め・四煎め・五煎め・・・・・。
この始まり、この移ろい、この終わり。
一煎めで始まる。
予兆はまず外側からくる。
眼に光と色。鼻に香り。耳に音。肌に空気。
さっきまでとどこか違ってくる。
野生が目覚めて敏感になる。

波

二煎め・三煎め。
内側に波が入ってくる。
舌や頬や歯茎に後味。喉にうるおい。腹の底にぬくもり。
吐く息・吸う息ごとに深くなる覚醒やまどろみ。
手足の指の先までじんわりしてくる血の流れと心の鼓動。
波に乗る。
茶酔いに身を任せて揺れるままに揺れる。
波の味わいは言うまでもなく煎と煎のあいだの時間にある。
一杯めを飲んでから二杯めまでのひととき。
二杯めを飲んでから三杯めまでのひととき。
だからお茶を淹れるときはこの”間”を意識しなければならない。
そんなに難しくはない。
自分のタイミングでやればよい。
おそらくみんなも同じ波長でゆれるから。

杯

プーアール茶ならだいたい四・五煎めでピークがくる。
ピークの後の波はゆったりおだやかになってゆく。
いつまでも浮いて漂っていたいけれど、凪いで静まるより先にお腹がタプタプになるから、どこかで終わらせないといけない。
いや、終わらせなくても終わりはくる。
なんらかのカタチで必ずくる。
終わりたくないよな。
でも、終わるのだ。
どうしようもないのだ。
終わりの味わいを味わえ。

残

ひとりで味わうこと

路地

することがないから知り合いの旅館でバイトしている。
3部屋だけの小さな旅館。
お客がないからマネージャーもたまに来るだけで、誰もいない旅館にひとりぽつんと留守番。
ここでもすることがなくて、ひとりで掃除したりお茶を淹れたりしている。
お客がないのでたいして汚れていないけれど、でも掃除はするのだな。
何のため?誰のため?
うーん。
掃除もまた、何のため誰のためというのはないのかもしれない。
あえて言うなら、石とか土とか木とか金属とかプラスチックとか落ち葉とか、塵や埃や油やタンパク質の汚れとか。
それらすべての物質の”気”の流れを良くするため。
気の流れが良くなってどういう効果や結果があるのか、そこまではわからない。
ただ、流れが良くなった感じは、自分の眼や鼻や肌をとおして伝わってくる。入ってくる。
自分の存在に意味を求めるとしたら、身の周りの”気”の流れをよくするためにこの肉体があり心があるということで、社会的に存在価値の薄れた私にもなんらかの役割があるということで、安心してよいのだろう。
でも、ほんとうは意味などないのだ。
勝手に意味を持たせて安心したいだけ。
ただ、ぽつんと掃除の味わいがあるだけ。

鉄瓶
注ぎ

ひとりでお茶を淹れて飲む。
何のため?誰のため?
多くの人が、ひとりでお茶を淹れると美味しくならない。
だらけるから。
緊張感もなければ集中力もない。
水に緊張が伝わらなければ、お茶はぜったいに美味しくならない。
裏返せばつまり、お茶を淹れて飲むという行為に、何のため誰のためという目的のウェイトを掛けているということだな。自分の存在に意味を持たせないと、真剣にお茶を淹れることができない。
この態度。
お茶を淹れること。飲むこと。
そのものずばりの味わいを味わっていないということにならないかな。
ただ、ぽつんとお茶の味わいがあるだけでは、真剣にはなれないのかな。
実は、多くの人が”味わう”ことを知らず、まだお茶に出会っていない。

茶湯

茶酔いを怖がらない

中国茶は喫茶道。
お茶を飲むほうの人が修行する道。
茶酔い学についてのつづき。
+【黙って酔うべし】
茶王樹
茶王樹
茶酔いの素晴らしいお茶を飲んでも、それに気付かないままになる人もある。
もったいないよな。
酔いの優れたお茶は、間違いなく高価だから。
中医学の思想が生きている中国茶にしか、「その価値は存在しない」と、言い切ってよいだろ。
茶湯
仕事柄、お茶を飲む人をたくさん観察する機会があって、わかってきたのだけれど、もしかして茶酔いが怖い?
茶酔いの感覚に入りかけたとき、身をまかせて浮かんで漂うことに違和感を感じて、おしゃべりしたり、他のことをしだしたり、わざわざ酔いから抜け出そうと努力する人が、あんがい多いのだ。
音楽のリズムに揺れる身体を止めようとするように、茶酔いの波に揺れるのをあえてなかったことにしたい気持ちが見え隠れする。
中国茶にキャリアのある人でさえ、茶酔いを避けようとする場面を何度も見てきている。
そんなに怖いかな?
アルコール中毒で死ぬ人はあっても、茶酔いで死ぬ人はいない。はず。
喫茶
茶酔いで目がイッてるように他人から見えるのが恥ずかしい?
黙ってしまっては、いっしょにいる人達に失礼だと思う?
自意識過剰だろ。
男性だけのお茶会のほうが、みんなの酔いのまわるのが早いのは、女性に気を使う性質のせいだろう。
葉底
上質の茶酔いを知ったら、酒の酔いなどオマケくらいのものなのだ。
ただ、出会う人は少ない。
長年友達で、何度も茶酔いの優れたお茶を飲んでいるのに、出会わない人もいる。そっちのほうが多い。
縁ののものはコントロールできないらしい。

蛮磚古樹青餅2020年 その1.

茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県象明蛮磚国有林古樹
茶廠 : 農家と茶友
采茶 : 4月29日
工程 : 生茶
形状 : 餅茶200gサイズ
数量 : 十数枚
保存 : 茶箱
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興土の茶壺(紫砂)・チェコ土の杯 鉄瓶・炭火
国有林
国有林
茶樹

お茶の感想:
刮風寨の茶王樹のと同じ茶友がつくったもうひとつのお茶。
孟臘県には刮風寨のある漫撒山と、もうひとつ象明の蛮磚に国有林のエリアがある。
どちらも2019年から周辺の村人しか入れないようになったが、そんなことしたら茶商は采茶の現場が見れなくて、農家の騙し放題になって、仕事にならない。
許可証を発行するなど、調整されると見ているが、外国人である自分は面倒なので、しばらく近づかないようにする。
蛮磚の国有林のお茶は、北京の茶友がこの数年つづけてつくっていて、ときどき飲ませてもらっていた。
+【蛮磚古樹青餅2018年 その1.】
昨年は景洪市で知り合いになった茶商もはじめて手掛けて、サンプルをもらった。
+【蛮磚古樹晒青茶2019年 その1.】
なので蛮磚国有林ならではの味を知っていて、なんとなく自分の好みではないので、あえて追いいかけはしないが、同じエリアのお茶を試飲する機会が重なると、上等がわかってきて楽しい。
2020年のこれは若い茶友の自己評価も高いので、ちょっと期待する。
包み紙を空けて餅面を見た瞬間、オッ!と思った。
なかなかいい感じ。
茶葉がやや小さめで柔軟性や茶漿の粘着力が見てとれる。
餅面表
餅面裏
茶王樹のと同じ工房で同じように圧餅しているのだから、餅面に現れる違いは茶葉の質や成分の違いである。
泡茶
葉底
采茶のタイミングはバッチリ。
早春の燃えるような生命感を捉えている。
早春の柔らかい茶葉の成分は、お茶の水質に現れる。
杯を口にもってきて、茶湯が唇や舌に触れるか触れないかの瞬間にすでに”甘い”と感じる。
お茶の味の甘さが感じられるより先に甘いのは錯覚の甘さなのだ。
煎がかなり続いても、水質のきめ細かさが落ちない。粗くならない。
いつまでも甘い水が抽出されるので、ずっと飲んでいられる。
蛮磚国有林のお茶の味はちょっと重い。
苦味がしっとりしていて甘味はまったりしていて、漫撒山のと比べると涼しさがない。香りが弱い。
しかし、味に反して茶酔いは軽い。
沈むような感じではなく、横に広がるような感じ。
身体との親和性が高いのかもしれない。
茶友が送ってきた揉捻のときの写真を確認したら、やはり良い感じが現れていた。
茶葉

ひとりごと:
国有林の奥地にある森の茶樹は、采茶のタイミングを計るのが難しい。
春茶で忙しいときに遠くまで毎日足を運ぶわけにもゆかないし。
例えば週一くらいにして様子を見て、「そろそろなので5日か6日後くらいに天気が良ければ人員を手配して森に入るかな・・・・」、と、アバウトに決める。なので農家が意図したよりも早いタイミングに当たることもある。
また、山によっても異なる。
西双版納の西側の孟海県の山は、采茶のタイミングが早くはじまる。
おそらく農家一軒あたりの産量が多くて、采茶のアルバイトが足りなくて、早めに采茶をはじめなければ間に合わなくて摘み残してしまうのだ。
星のめぐり天気のめぐりも合わせたら、コントロールできるものじゃない。
それでも、なんとかしたいわけだ。

刮風古樹青餅2020年 その2.

茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶王樹
茶廠 : 農家と茶友
采茶 : 5月2日・3日
工程 : 生茶
形状 : 餅茶200gサイズ
数量 : 10枚
保存 : 熟成壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 白磁の蓋碗・白磁の茶杯・白磁の茶海・鉄瓶・炭火
量り
蓋碗

お茶の感想:
このお茶の評価のつづき。
+【刮風古樹青餅2020年 その1.】
プーアール茶の生茶はクスリ(ドラッグ)的嗜好の、茶酔いを追求する。
味や香りは邪魔にならない程度でよいので、際立ったものを求めはしない。
いつものようにつくればよいのだ。
味や香りには茶葉に含まれる成分が現れる。
なので、茶酔いの良し悪しを鑑定する手がかりになる。
その観点から、このお茶の揉捻不足の味は、手の仕事ではなく、茶葉の素質に原因があると見る。
いつものように揉捻しているのに不足したような結果になるのは、茶葉の繊維が硬く育っているのと、茶漿(茶葉のエキス)に粘着力が足りないためである。
「やっぱり采茶のタイミングが悪いだろ!」
と、若い茶友に言うと、
「刮風寨は今年の初摘みは遅くて、5月3日は古樹でいちばん早い采茶で・・・・」
と、あたりまえの答えが帰ってきた。
そう。だからダメなのだ。
農家に電話して「そろそろはじめられる?」なんて聞いているからダメなのだ。
農家は”量”を求めて、新芽・若葉が育ちきったタイミングで茶摘みを開始したい。
量を犠牲にして”質”を求めたりしない。
新芽・若葉がまだ小さく柔らかいうちに采茶したいわれわれと農家とは利害が一致しない。
「金で解決しろよ!」
「コストが高くなったら値段も高くなってお客が減る。」
「そんな客捨ててしまえよ!」
原価1.5倍から2倍になる計算。
現実は、理解している客などほとんどいないから、つまり「高すぎて売れないお茶をつくれ」とオーダーしたことになる。
売れないお茶をつくりたい人なんていない。
誰もしないから、このポジションは美味しい。
若い茶友はそんなこともわかってやっているはずだから、彼と自分は仕事のポジションが違うのだ。
話が合わない。
2018年の緑印と比べてみる。
+【刮風古樹青餅2018年・緑印】
餅面
餅面
崩し
左: 刮風古樹青餅2018年・緑印
右: 刮風古樹青餅2020年
この写真で分かる。
2018年のは新芽・若葉が柔らかく、茶漿に粘着力があるので、圧餅で表面がペタッとなり、茶葉と茶葉が密着して離れにくくなっている。2020年のは指でほぐすと茶葉と茶葉がパラパラと離れやすくなっている。
一泡
葉底
三泡
葉底
左: 刮風古樹青餅2018年・緑印
右: 刮風古樹青餅2020年
どちらが素材のチカラがあるか、生命力がみなぎっているか、茶葉の繊維の成長具合が物語っている。大きさの違いにも現れている。
茶湯の色の違いは熟成期間の2年のギャップだから、ここでは無視する。
お茶の味や茶酔いの違いは、飲んだ人にしかわからない。
ということにしたいが、一応言葉に記録しておく。
2018年のは、水質の密度が細かく、後味が力強く、舌の上に長いあいだ味が揺れて、喉が潤い、鼻から脳天にかけて香りが抜けて、眉間のあたりを心地よく揺らす酔いがまわる。クラクラくる。
2020年のは、水質の密度が粗く、後味がそっけなく、舌の上に薄く、喉にサッパリして、鼻に登る香りは最初の一瞬だけで、ゆったり心地よいが、クラクラくるほどの酔いではない。
煎は両者ともつづくが、8煎めくらいになっても上記の差が縮むことはない。
ま、このへんにしとくかな。

ひとりごと:
仕事や生活の態度、お財布の事情、人生観まで抽出されて裸にされるから、お茶づくりは怖いで〜。

刮風古樹青餅2020年 その1.

製造 : 2020年5月3日(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶王樹
茶廠 : 農家と茶友
采茶 : 5月2日・3日
工程 : 生茶
形状 : 餅茶200gサイズ
数量 : 10枚
保存 : 茶箱
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興の茶壺・チェコ土の茶杯・鉄瓶・炭火
餅面

お茶の感想:
旬に”この日”というタイミングがあると思っている。
1年365日のうちの1日。
茶葉の緑。
山の風。
春の匂い。
太陽の光線。
緑の炎が燃え上がるような”この日”。
この日は毎年異なる。
星のめぐり。
天気と水のめぐり。
新芽・若葉の育ち。
2018年の春は、そのタイミングを捉えた手応えと興奮と、お茶のページに書いた。
+【刮風古樹青餅2018年・黄印】
2019年の春は、自分は山に行かなかったので茶友らの話しによると、干ばつのために”この日”がつかみにくく、曖昧な日が2週間も続いたらしい。
2020年の春は、星のめぐりのせいか新芽の出るのが遅くて、刮風寨茶王樹は5月の一週目となった。西双版納の暦ではすでに夏の雨季に入る。
昨年からつづく干ばつで雨が少なかったのは良かったが、気温が上昇しているので、茶葉の成長にも製茶の仕上がりにも影響するだろう。
茶友らのはっきり言わない(言いたくない)話から推測するに、早春の味というよりは晩春の味に傾いた感じ。
餅麺
内飛
潮州の若い茶友が茶王樹のお茶をつくってくれた。
内飛に5月3日と書かれているのは采茶の日付である。
もう一日分(5月2日か4日のどちらか)を合わせて3キロちょっとの晒青毛茶ができ、そのうち2キロ分を買い取って圧延してもらった。
刮風寨の農家に采茶を任せて、製茶は茶友が横で見ていただけなので、100%信用できるわけではないが、この数年ずっと追いかけてきたお茶だから飲めばわかるはず。
もちろん薪火殺青。手工揉捻。直晒太陽干一天。製茶の手抜きはないはず。
もっとも、2日で3キロちょっとの生産量に機械を使う余地はない。手のほうが効率よい。
ちょっと緊張する。
どんなことがあってもお金は戻らない。
悪いところがあったら、そのまま若い茶友に伝えないといけない。
茶友に騙すつもりはなくても、農家に騙されたことに気付いていないかもしれない。
でも、こうしたストレスが多いほど良いお茶に近づいていると考えたほうがよい。
餅面の感じはまあまあ。
茶葉の曲線に現れている繊維の柔らかさ。崩そうとした指に跳ね返ってくる弾力。餅面の色の具合とかすかな光沢。
晩春からスタートした采茶にしては上出来だと思う。
2018年4月末に采茶されたこのお茶に色の具合が似ている。
+【刮風古樹青餅2018年・晩春 その1.】
餅面
2018年4月11日・13日に采茶の、早春と言える黄印はこんな感じ。
餅面
2020年のは早春と晩春の中間くらいかな・・・。
崩し
圧延はゆるめ。餅形の厚みがある。
このほうが崩すときに茶葉のカタチを壊さない。透明感のある森のお茶にはこういう圧延具合がよいかもしれない。
ただ、早春のもっと柔らかい新芽・若葉だったら、もっと粘着力があるので、意図せずともしっかり圧延されて、崩すのがカンタンではないだろう。
さて、
一煎め。
一煎
刮風寨茶王樹の味に違いなく、古樹の滋味もしっかりしている。
ちゃんと大きな古樹が選ばれたと思う。
茶坪は大きな古樹しかないところだから間違いないが、茶王樹には若い小さな茶樹もたくさんあるので混采される危険がある。鮮葉のときは見分けられるが、晒青毛茶になると見分けるのは難しく、お茶の味で判断するしかない。
古樹味が確認できたので、ひと安心。
味はちょっと薄い。
漫撒山のお茶なのでもともと薄い(淡い)が、影の濃さ、水質の密度、姿の見えない気配から感じられる存在感が足りない。
晩春の采茶なので仕方がないのかもしれない。
二煎め。
二
やや渋味・辛味が出る。
喉に”燥”な辛い刺激が残る。
熱が通るほどに強く出てくるはずなので、三煎・四煎をすすめて熱を加えていったが、あまり強くならないので大丈夫。消えが早くて涼しくて、嫌味はない。
この辛味も晩春の味で、仕方がないのかもしれない。
煎はつづく。水質が落ちない。茶葉の栄養が充実しているのは確か。
美味しいお茶である。
本物にはちがいない。
でも、普通。
葉底
やや殺青の火入れが甘いのや、揉捻がゆるいのは、刮風寨の瑶族の特徴。やや草っぽい田舎風味になる。
揉捻をしっかりしたら、”燥”の辛味はまろやかに仕上がっただろう。甘味が出て、かすかな色気が漂って、文化の薫りをまとう味になっただろう。
若い茶友は、ふじもとの言う通りに仕事をしたのだ。
今年の春の難しいタイミングの中でちゃんと”この日”を選んだ。
今年の春に彼は茶王樹のお茶を全部で18キロ仕入れたということなので、その中では最高の2キロかもしれない。
「美味しいお茶をありがとう!」と、感謝するべきか。
経済発展してから育ったヤワイ世代なので、そう言うほうがもっとやる気が出るのかも。
いや、やっぱりちがうな。
「普通のお茶つくりやがって、眠い仕事してんじゃねーよ!」だな。
ほんまに。

ひとりごと:
もうひとつ。
若い茶友のつくった国有林のお茶がある。
同じく旧六大茶山であるが、漫撒山とは別の山々である象明の蛮磚国有林。
そっちは本人と農家とが協力して殺青と揉捻をしたらしい。ちゃんと手を動かしているお茶。
後日試飲する。

黙って酔うべし

泡茶

茶酔いを味わうなら、おしゃべりをしてはいけない。
しゃべると酔いが覚めるから。
このおしゃべりは、他人のおしゃべりではなく、自分のおしゃべりである。
声には出さなくても、だいたい人はいつも頭の中でおしゃべりしている。
思想していると、そのノイズが茶酔いを消してしまう。
黙ること。
できる人とできない人がいる。
できる人にはカンタンすぎて、できない人のことが理解できないだろう。

ヨガを習い始めたときに、ストレッチしながら脱力する、そのコツを知らないことに気付いた。
自分はできない人だった。
先生に教えてもらって、呼吸の練習をして、やっとできるようになったのだ。
これと似て、茶酔いに入るにはまず頭の脱力の、そのコツをつかむところから始めることになる。
他の習い事などで頭の脱力を習得している人は少ないほうだろう。多くの人が騒がしいままお茶を飲んで、茶酔いに出会えないままでいる。
ちゃんと教える人がいないし、その教え方も、他の習い事のようには成熟していない。
でも、これでよいと思う。
中国茶の上等は茶酔いの質にその真価がある。
上等は姿を表さない。
老若男女、お金のあるなしにかかわらず、茶酔いの味わいの姿を、見える人には見えて、見えない人には見えない。
そこがカッコいい。

茶酔いの姿が見えるようになったときは嬉しい。
嬉しいことはみんなに伝えたくなる。
でも無駄なのだ。見えない人にいくら熱く語っても、共有できないのだから。
お茶会で数人集まって、同じお茶を飲んでいても、実は共有できていない。
それでいいのだ。
姿を見ていない人に、「あなたは見えていないですよ」と教えて、自覚していただく必要はまったくない。
見えていないということは、はじめからそれは無いということ。存在しないということ。
そっとしておけば、なにも傷つけない。
ポジションの上下が成立しない。
そのやさしさ、そのむなしさがよい。


茶想

試飲の記録です。

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