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茶教室・京都

漫撒陰涼紅餅2015年 その5.

製造 : 2015年03月22日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山丁家老寨古茶樹
茶廠 : プーアール茶ドットコム
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶180gサイズ
保存 : ゆるい密封
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺・鉄瓶・炭火
漫撒陰涼紅餅2015年

お茶の感想:
陰のお茶。
+【漫撒陰涼紅餅2015年】
最後の2回分になった。
漫撒陰涼紅餅2015年
上海と日本の勉強会で飲んだことのある人は40人くらいだろう。
40人全員が陰の味わいに出会えるはずがない。たぶん10人くらいだろう。
10人はこのお茶に選ばれたとも言える。
陰の味の声は小さい。
茶摘みから製茶までの話を聞いて飲むからこそ、自分はささやきに気付けるかもしれないけれど、まったくの予備知識無しにお茶を飲んで陰の味と出会う人はまずいないと思う。
心の準備がなければその美しさが見えない。
品評会の審査員が”評価”の点数をつけるような、カンタンなものではない。
茶壺注ぎ
茶壺蒸らし
茶杯注ぎ
上海人のお客様が、友人らとこのお茶を飲んで後悔したという話を聞いた。
+【一扇磨単樹A春の散茶2015年 その4.】
中国でお茶好きが集まっていっしょに飲むと、お茶の良し悪しをズケズケ言う。
陰の味の美しさを感じ取れた人はよいけれど、感じ取れなかった人は腹いせに茶葉の悪口を言う。
それ以降、このお茶についてはみんなで飲むのを避けられるようになる。
ひとりで密かに飲むか、陰の美のわかる人とだけいっしょに飲むか。
上海人のお客様はひとりで飲むことにしたらしい。
交友関係の広い人ではあるけれど、ひとりで味わうのが楽しいお茶。
葉底
『漫撒陰涼紅餅2015年』の陰の味と出会った10人もまた、他人に伝えるのを諦めるだろう。
有名になるお茶だけがすごいというわけじゃない。

紫・むらさき秋天紅茶2011年 その11.

製造 : 2011年10月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : プラスチックバッグ密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : コーヒーサーバー
巴達山2011年10月
巴達山2011年10月
巴達山2011年10月
茶葉
山の道端で収茶
鮮葉に紫色のが混じっている
巴達山賀松寨
(2011年10月のこのお茶をつくったときの巴達山)

お茶の感想:
今年2015年の秋は天気が悪い。
2年連続で悪い。
10月から待って山の農家と連絡を取り合ってタイミングを計っているが、秋の旬が熟した茶葉と、晴天のつづく数日間のピッタリ合う日は、本日の11月2日までなかった。
天日干しのお茶づくりなので仕方がない。
天気予報を見ると、11月4日から3日間ほどチャンスがある。その後は11月14日から3日間ほど。例年であれば茶樹は冬の眠りにつく頃だが、今年はちょっと遅い。
農暦ではまだ10月(後に調べたらまだ9月だった)。この先、摘めるような茶葉がまだ残っているかどうかギリギリの勝負になる。
そう言えば、こんな秋もあったなあと2011年のことを思い出した。その秋も雨の多い年だった。
【紫・むらさき秋天紅茶2011年】
記憶がだんだん蘇ってくる。
澄んだ冷たい空気。深い青空。ミャンマーから流れてくる白い雲。いかにも紫外線が強そうな太陽光線。山に咲く野の花の紫。
布朗族の村では赤米の収穫にみんな忙しそうだった。
山は身体も心も冬の準備をはじめていた。
10月18日の茶摘みだった。
そう。このお茶は”一天采茶”。
一日だけの茶摘みのお茶。
太陽や月や地球の星のめぐりと山の天気、茶葉の育ち。空気や太陽光線。すべてを記憶して仕上がった茶葉。
夜の萎凋
軽発酵後の雲南紅茶
天日干しで仕上げる雲南紅茶
出来上がってからすぐに飲んで、涼(ミントのようなクール)を強く感じたことを思い出した。それは巴達山の秋の空気そのもの。4年経った今日もある。お茶を淹れると蘇る。
このお茶のつくり方においては一日一日の仕上がりが異なる。同じ山、同じ農地、同じ茶樹から摘んでいても、昨日と今日では飲んですぐにわかるほどの違いが現れる。
これからもっと一天一采のお茶を増やそうと思う。
昨日と今日とをブレンドしてひとつにはしない。
(熟茶みたいに大量につくらなければならないのは別として。)
紫・むらさき秋天紅茶2011年
紫・むらさき秋天紅茶2011年
例えば、ある日一日は予想通りの天気にならないかもしれない。製茶にマイナスな作用をもたらすかもしれない。それでも、いったん摘んでしまった茶葉を見捨てることはない。良い方向へもってゆこうと全力を尽くすだろう。そんな仕事にこそ人の知恵や心がしっかり茶葉に記録されるだろう。

一天采茶のお茶はいいアイデアだと思う。
自然現象をそのまま表現するお茶。
風のお茶、森のお茶、陰涼のお茶、ある日一日のお茶の味。
生まれた日の一日。
いつか死ぬ日の一日。
ほんとうは昨日も今日も明日も同じように特別な一日なのに、ブレンドして毎日にしてしまうのはもったいない。

帕沙古樹紅茶2015年・秋天 その1.

製造 : 2015年 10月
茶葉 : 雲南省西双版納各朗和帕沙山古茶樹
茶廠 : 愛尼族の農家
工程 : 紅茶
形状 : 散茶
保存 : プラスチックバッグ密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター 
茶器 : 白磁の蓋碗
西双版納の山
帕沙山
帕沙山
(道端に古茶樹の大木がある。)

お茶の感想:
帕沙山へ行ってきた。
以前に写真ページで紹介している。
+【帕沙山 古茶樹 写真】
温州の茶友に誘われて古茶樹で紅茶をつくってみた。
先日の刮風寨とは違って、製茶の半分は持ち帰ってから仕上げた。
鮮葉を現地で日光萎凋させて、それを竹籠で持ち帰って、温州人のアパートで揉捻・軽発酵・翌朝から天日干し乾燥という流れ。
帕沙山も道の悪いところで、日帰りすると移動にほとんどの時間を費やす。現場に滞在できる時間が短い。なので愛尼族(アイニ族)農家に電話して、朝から茶摘みをしてほしいと頼んであった。
しかし、行ってみると収穫はほんの少し。
5人ほど茶摘みに出たが、まともに育った葉が少なかったらしい。
今年の秋は天候と茶葉の育ちとのタイミングが噛み合わない。
天日干しでつくりたいからこうなる。
現在ほとんどの業者が機械乾燥している。扇風機の付いた萎凋台も備えている。これなら雨の日でもつくれる。
一度天日干しで手作りの美味しさを知ると、機械製茶のは飲みたくなくなる。
自ら山に行くのはそのため。
帕沙山
(向かいが南糯山)
帕沙山
愛尼族
愛尼族
愛尼族
愛尼族
現在は愛尼族の山になっているが、もともとは布朗族の山。
布朗族は孟海県のこの辺りでお茶との付き合いが一番古い民族とされている。
数百年前に布朗族がどこかへ引っ越して、愛尼族が住み着いて、帕沙山のお茶どころを受け継いでいる。
布朗族と愛尼族はよく似ているが、布朗族は仏教。愛尼族はアニミズム。
それが関係しているのかどうか知らないが、愛尼族のほうが外交的で、お茶に関して言えば漢族に売る仕事をはじめたのも愛尼族のほうが早かったのではないかと推測している。(個人的に)
布朗族の古茶樹
布朗族のつくってきたお茶どころは特徴があるので、茶樹を見たらすぐにわかる。
1.盆栽のごとく歪曲した茶樹の枝ぶり。
2.村のすぐ側に古茶樹の大木がある。
3.瑶族のお茶どころに比べると茶樹が密集している。
布朗族のお茶
布朗族のお茶
布朗族のお茶
もともとは生活のお茶をつくっていた地域。
布朗族の古茶樹は村で一次加工した原料を販売して、中間流通が加工して、西南シルクロードを伝って運ばれ(茶馬古道とも呼ばれる)四川・青海・西藏・インド北部・ネパールの高原の遊牧民族の生活を支えてきた。
そのお茶は摘むのではなくて折る。たくさんの葉をつけた枝ごと折って収穫する。
その収穫方法を長い年月繰り返すと、枝は歪曲して盆栽のようになる。
自説であるがたぶん正しい。
1980年代以前は新芽・若葉のプーアール茶などつくったことがないという事実を、孟海県としては知られたくない。

村に近いところは人の営みで土壌が肥えているから、お茶としては上質にはならない。
人里離れた山の中の茶樹が良い。
今回もなるべく村から遠く離れた茶樹を選んでいる。
果子
古茶樹
古茶樹
布朗族の古茶樹
古茶樹
古茶樹
西双版納の雲
(この季節の空気は澄んでいて昼の青空に白い月が見える。)
そして次の日。
雲南古樹紅茶
雲南古樹紅茶
雲南古樹紅茶
あまりに少量だったから揉捻はひとりでできる。温州人がほぼ徹夜で製茶して完成した。
収穫量が少なかったこと以外は理想的にトントンとうまくいったように思えた。その割に今ひとつ冴えない味になった。
前日の天気が悪かったのが影響したかもしれない。

刮風寨古樹紅茶2015年・秋天 その1.

製造 : 2015年10月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨
茶廠 : 瑶族の製茶場
工程 : 紅茶
形状 : 散茶
保存 : プラスチックバッグ密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター 
茶器 : 白磁の蓋碗
刮風寨
刮風寨
刮風寨
刮風寨
刮風寨
刮風寨

お茶の感想:
刮風寨(gua feng zhai)へ行ってきた。
雲南省西双版納孟臘県の旧六大茶山のひとつ漫撒山にある。
一扇磨・弯弓・刮風寨、この3つの地域はひとつの広大な国有林でつながっている。原生林の残る山と谷の複雑な地形が特殊な生態系と気候を形成している。
かつて100年前まではお茶どころとして栄えた時代があったが、現在は人里離れた深い山に戻っている。
明末期1600年代後半から清代末期1800年代後半までの貢茶(国が輸出して稼いだ)時代に、刮風寨の山にも農地があったはずだが、その茶葉を利用して高級茶をつくっていた易武老街の民間の茶庄の廃止(1950年頃、共産党による国民党排除の意図があった。)により、易武山全体の産地の衰退がはじまった。
1950年から1990年頃まで、高級茶づくりを引き継いだ国営孟海茶廠が銘茶をつくって、この価格の高騰から現在(2000年以降)のプーアール茶ブームがはじまっている。
刮風寨
瑶族
刮風寨も弯弓と同じくこの土地のお茶づくりに古い瑶族のテリトリーにある。
裏山はラオスとの国境で、ラオス側には清代から徐々に移り住んだ瑶族が多くいる。
茶摘みの季節になると山を超えて中国側へアルバイトに来る。もちろんパスポートなどない。現在も山から山への移住生活を続けているから、この地域の山は「国」という新しい概念には属してはいない。地球に属している。
外地からの資本が入りにくい。
瑶族と土地を借りる契約をしても、国の法律はこれを保証できない。そもそも国有林は個人が所有できない。瑶族は自然の一部であり、所有の概念で農地を所有しているわけではないから、契約でなにかを約束するビジネスが成立しない。
この環境が自分にとっては好都合。
個人が少量の高級茶づくりで勝負できる。
刮風寨
刮風寨の山は険しい。
青空に槍を突き上げたような急角度の峰々と、下を見ると足のすくむような深い谷底と。原生林の森は太陽光線のとどかない黒い影をつくり、緑の殺気が漂っている。
刮風寨へ車が入れるようになったのは3年前。バイクが入れたのは10年前。お茶どころとしては寂れていた100年くらいの間も、刮風寨の瑶族は季節になると森に入って細々とお茶をつくっていた。
刮風寨の山に向かう道中にある易武山麻黒村にその毛料(毛茶とも呼ぶ一次加工の天日干し緑茶のこと。)が売られていた。馬やロバや人の背中に茶葉を乗せて運んだのだろう。
麻黒村の農家がそれを転売した。
麻黒村のお茶が有名になったのは、実は刮風寨の茶葉が混じっていたからではないのか?という説もある。
現在の価格は逆転している。
刮風寨の茶葉は西双版納孟臘県ではもっとも高価になる。
大量生産ではないから相場などない。茶樹や斜面の環境などに個別の価格がつく。
麻黒の古茶樹の10倍以上するものもあるが、それなりにコストがかかっている。森が深くて入手困難であったり、旬の時期の産量が少なかったり、遠い山道を草刈りする人件費なども織り込まれる。
人気の集中する有名茶山なので偽物づくりも盛んになる。
刮風寨の毛茶の産量は、近年新しく苗が植えられた新茶園のを合わせると全体で何十トンにもなり、さらにその倍以上が外地から夜道を運ばれてくる。ほんの数百キロと推測するホンモノの森の古茶樹の毛茶に市場では出会えない。
どうしてもホンモノが欲しいのなら、森へいっしょに入って茶摘みの現場に参加するしかない。望むところだ。
まず、ホンモノの茶葉を見る前に、まずホンモノの森を見るのが難しい。
今回も刮風寨の村に入る悪路で車のタイヤが同時に2つパンクした。
刮風寨
悪路にピョンピョン跳ねる車の中ではお喋り厳禁。舌を噛まないよう奥歯にチカラを入れないといけない。1時間ほどそれが続くと顎の筋肉が疲れる。
昨年は広東の茶友がこの悪路にアタックしたが、道半ばにして車が動かなくなり、易武山の修理工場に助けを呼んだ。刮風寨の道中ではいつも坂に負けて動かなくなった車やバイクを見かける。
古茶樹の群生地帯は村から車で半時間。そこからバイクでさらに1時間。徒歩なら2時間半かかる。往復するだけで1日がかり。旬の短い期間にこの森へ入るには覚悟がいる。
今回は、雨の日が多くて秋の旬とは言えないコンディションで、あくまで下見ということになるが、温州の熱心な茶友に誘われて、森のお茶を摘んで自ら紅茶つくって試すことになった。
ちょっと話がそれるが、温州といえば”温州みかん”だが、中国国内では投資家の産地でもある。繊維産業で稼いだ資金をもとに国内・国外でハイリスクな投資に挑んで世間を騒がせた時期があった。サブプライム問題の時は自殺者が多く出て世間を騒がせた。ヤンチャな投資家のイメージがあるが、温州の茶友もその血を引いているのか、本業はミャンマーの金鉱開発というカタギでは縁のない仕事をしている。今回の足の4駆のピックアップトラックは他人から借りた新車だったが、悪路で壊れても「金で解決してやる」というサッパリした覚悟に、参加者みんなは安心できたのだった。
高級茶づくりは博打的要素があるから、このような人には向いている。
刮風寨茶坪
刮風寨茶坪
刮風寨
茶坪
刮風寨茶平
刮風寨茶平
話を戻す。
刮風寨周辺の山は広いが古茶樹の群生地帯は2箇所。
”茶王樹”と”茶坪”と呼ばれる森にある。今回は”茶坪”に入った。
体力的に限界で、2箇所をつづけてまわることはできなかった。次回にチャレンジする。
茶坪へは歩いて3つの峠と3つの谷を超える。
行きはゆるやかな上り坂で帰りはゆるやかな下り坂なので、比較的楽ではあったが、傾斜のつづく小道には石が多くて、それが夜露で濡れて滑るので、トレッキング甩の杖なしでは何度も転けて怪我をしただろう。
小道の藪から赤と黒の斑の蛇が飛び出してきてみんなをビックリさせたが、あっと言うまもなく瑶族の老板が鉈で撃退した。1メートルちょっとある毒蛇だった。「次回は血清を持って来よう」と広東人は言うが、この地域の毒蛇には1リットル分の血清が必要と聞いたことがある。病院にもそんな量を常備していないので死ぬしかない。望むところだ。
刮風寨の谷
クワズイモ
クワズイモ
毒蛇だけじゃない。原生林は緑の悪魔。棘や毒のある植物、緑が養っている蟻や蜂。あらゆる生きものが足元で土になるのを緑が望んでいる。都会の人からしたら守るべき緑とは立場が逆。守って欲しいのはこっちだ。

茶坪の古茶樹の群生地は2008年に見つけられた。
狩猟のために山に入っていた瑶族の老板が、川伝いに歩いていたときに偶然出会った。この辺りに茶樹の群生地があるらしいことをお爺ちゃんから聞いていたので、すぐにそれだと分かったらしい。
4軒の農家と土地を分けて、道をつくり、密林を間引いて茶樹に光を与え、小屋をつくり、まともに茶摘みができる農地となったのは2010年から。折しも古茶樹の価格が高騰しはじめたタイミングだった。
こうして100年以上も眠っていた茶樹からふたたび茶葉が摘まれて、森のお茶が姿を現すことになる。
刮風寨茶平
刮風寨茶平
刮風寨
刮風寨茶平
刮風寨茶平
刮風寨
刮風寨
刮風寨
刮風寨茶樹
刮風寨茶樹
茶坪は海抜1400メートル前後にあるが、野生の芭蕉の林が茶樹のすぐ下の斜面にまで迫っている。熱帯雨林の水気の多いところは一般的には茶樹の育成に向かないのだが、これが原生種の品種特性。
葉の表面はまるで油を塗ったようにツヤツヤで、暗い森の中で銀色に輝く。この光を森の中に見つけると、霊的な存在に思える。
刮風寨古樹紅茶2015年
刮風寨古樹紅茶2015年
刮風寨古樹紅茶2015年
ちょっと長くなったので、製茶のことはつづきに書こうと思う。
お茶の味については書くまでもないが、これまで飲んだ中でいちばん美味しい紅茶になったと思う。森に入って見てきたからそう思えるのかもしれないから、冷静に手持ちの中でいちばん美味しい紅茶とも比べた。
このお茶。
+【漫撒陰涼紅餅2015年】

漫撒陰涼紅茶2015年 その3.

製造 : 2015年03月22日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山丁家老寨古茶樹
茶廠 : プーアール茶ドットコム
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗・清代末期の茶杯
漫撒陰涼紅茶2015年
漫撒陰涼紅茶2015年
清代の茶杯

お茶の感想:
過去100年くらいお茶は価値を下げてきたと思う。
人が一生のうちに、茶葉にかけるお金、道具にかけるお金、お茶を飲む時間にかけるお金。
クルマ・ガソリン・電子機器・通話料・電気代・学費・海外旅行・・100年前にはなかった消費がいろいろ増えている。
趣味にハマったごく少数の人以外は、給料の一部をお茶に回すなんて考えもしないだろう。
お茶の価値が絶頂期にあった時代はそうじゃなかったはず。良い茶葉やよい道具は「女房を質に入れてでも手に入れろ!」くらいではないかと、古典落語を聞いたり、古い道具を眺めてたりして想像してみる。
今日はこのお茶。
+【漫撒陰涼紅餅2015年】
漫撒陰涼紅茶2015年
清代末期くらいの景徳鎮の茶杯。江戸末期から明治にかけての日本の商人が煎茶用に景徳鎮にオーダーしていたらしい。
手に取るとハッとするほど軽い。薄い作りと土質と焼しめ具合のせいか、杯の真ん中に雫を落とすとキン!と金属音が響く。
一見ヘタウマ的な図柄だが動きがある。古美術屋さんにあったが、そんなに高価ではない。現代作家の景徳鎮のほうが下手で高い。
これからもお茶は価値を落としてゆく。
生産者は悪知恵を働かして、消費者の感性は堕落してゆく。
漫撒陰涼紅茶2015年
漫撒陰涼紅茶2015年
お茶の道具は日常使うにしては上等すぎたからこそ美の世界が大衆の生活に入り込めた。
週末の博物館や美術館にわざわざ行かなくても、お茶の間に毎日それらが存在していた。
「クルマを買うお金で茶葉や道具を買ってください」。

漫撒陰涼紅茶2015年 その2.

製造 : 2015年03月22日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山丁家老寨古茶樹
茶廠 : プーアール茶ドットコム
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 上海 密封
茶水 : ミネラルウォーター農夫山泉
茶器 : 小さめの紫砂壺
漫撒陰涼紅茶2015年

お茶の感想:
ある人は茶葉を売る仕事なんてしょーもないと思っている。態度には出さなくても心の隅で、こんなのは自分の人生ではないと思っている。
そんな人が茶葉を売ったら価値が下がる。
逆もある。
茶葉を売る仕事は素晴らしい仕事だと思っている。これをするために自分は生まれてきたと思っている。そんな気持ちで仕事をする人が売った茶葉は、価値を超えて人生を豊かにする。
同じ茶葉なのに、同じ価格なのに、結果は違う。
だから上海の拠点をなくしたい。
これからは他人にお茶を売らせない。
漫撒陰涼紅茶2015年
今日はこのお茶。
+【漫撒陰涼紅茶2015年】
漫撒陰涼紅茶2015年
今朝、空港へ行ったら、オーバーブッキングで飛行機の席がひとつもなくて、乗れなくなった。軍事訓練が影響しているらしい。
航空会社の係員は親切で、いくつかの代替案を提案してくれて、明日の席をファーストクラスにして、空港までの交通費を負担してもらうことで合意した。
スケジュールが合わなくて、今回の滞在中に会えなかった茶友に会える。
上海最後の晩餐をもう一度楽しめる。

漫撒生態紅餅2015年 その1.

製造 : 2015年04月20日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山丁家老寨小茶樹および古茶樹
茶廠 : 漫撒山工房
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納 手すき紙+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
漫撒生態紅餅2015年
漫撒生態紅餅2015年

お茶の感想:
早春の新芽・若葉の紅茶。
ミントのような爽快な香りが特徴。
晒干(天日干し)だけで仕上げて糖質の焦げ味がまったくない。
餅茶にした紅茶は3ヶ月ほど置いて風味が落ちつくのを待ったほうがよいが、圧餅したてのこの時点で試飲してみる。
漫撒生態紅餅2015年
左: 漫撒一水紅餅2015年
右: 漫撒生態紅餅2015年(このお茶)
早春を意識しすぎて軽発酵が足りないか・・・。ちょっと辛い渋い。
ただ、軽発酵を無理にすすめたらミントの爽快感はなくなる。
『漫撒一水紅餅2015年』は雨が降った後のお茶。よく育った若葉。しっかり軽発酵。
木陰にある数本の茶樹からつくってある。やさしくて涼しい甘さ。
漫撒生態紅餅2015年
漫撒生態紅餅2015年
左: 漫撒生態紅餅2014年
中: 漫撒一水紅餅2015年
右: 漫撒生態紅餅2015年(このお茶)
漫撒生態紅餅は去年のほうが美味しいか・・・・。
天日干しで仕上げるこの紅茶の製法では、ちょっと育っ若葉のほうが向いているかもしれない。
同じ淹れ方で比べたらダメな感じ。
早春のはちょっと湯の温度を下げたほうがまろやかになる。
今年は手作業で揉捻したが、あまりに時間がかかりすぎて、はじめに揉捻したのと最後に揉捻したのとで軽発酵の差が大きくなった。

漫撒陰涼紅茶2015年 その1.

製造 : 2015年03月22日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山丁家老寨古茶樹
茶廠 : プーアール茶ドットコム
工程 : 紅茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
丁家老寨
晒青

お茶の感想:
山の天気が崩れた。
初日からその兆しはあった。
風向きが変わって、少し湿った暖かい空気が流れてきた。
雲が朝の空を覆って太陽を霞ませた。
明日から小雨になる。
天日干しに頼るお茶づくりなので、予定を変更して山からいったん戻ってきた。
それでも初日に茶摘みしたのお茶が満足できる仕上がりとなった。
漫撒陰涼紅茶2015年
今年のオリジナルのお茶づくりは、茶摘みから製茶から圧延加工からお客様に飲んでいただくところまで、すべての工程をたどる。
眼を離さない。手を離さない。
それでゆこうと思う。
お茶づくりのすべてを知りたい。
一日一日、一回一回、微妙に異なる原因と結果の一つ一つを確かめたい。
『漫撒陰涼紅茶2015年』(後に圧餅する)
2015年の春2番めのオリジナルのお茶。
丁家老寨
丁家老寨
丁家老寨の山の尾根の森林の斜面に10本ほどの古茶樹が群生している。品種特性が似ており、いつか分からない昔(少なくとも200年以上)に同じ母樹の種から生まれた兄弟のような茶樹だと思われる。1990年頃に一度台刈りされて、この25年くらいでまた枝を伸ばしている。
茶摘み
この朝摘みだけを、太陽萎凋して、手工揉捻して、布袋軽発酵して、晒干してきた。
無農薬・無肥料。自然栽培の古茶樹のお茶ブームで、丁家老寨の森林はものすごい勢いで伐採されて新しく茶樹の苗が植えられる。この山の独特のお茶の風味が損なわれるのではないかと心配している。
漫撒無聞紅茶2015年
お茶の味にはまだ現れていないかもしれないが、かつての深い森林のイメージはなくなった。
歩いて歩いて、森林の影に育つ数本の古茶樹を丹念に探して、農家と交渉して、ほんの少しをかき集める。
丁家老寨
このやり方では1日につくれるのはほんの数キロ。今回は2キロ。180gサイズの餅茶にしたら11枚にしかならない。
当然高価になり、経営的にも無理があるけれど、とにかくこれでやってみる。
「自然栽培だったらよいでしょ」、「古樹だったらよいでしょ」、「手作業だったらよいでしょ」、そんな投げやりな態度でいっぺんに何十キロもつくられる荒っぽいお茶づくりにNO!と言う。
残念なことに、この茶葉を採取した斜面にある森林も、来年には新しい農地を確保するために伐採が始まる。
丁家老寨
森林の伐採
森林の伐採
この写真はすでに森林が伐採されて新しい農地となったところ。
そしてまた別の森林を探して、山を歩いて歩いて・・・。
しばらくこの繰り返しになるのだろうか。
経済のチカラはすごい。何百年もかけて育ってきた農家の知恵が崩壊する。
漫撒無聞紅茶2015年
漫撒無聞紅茶2015年
漫撒無聞紅茶2015年
紅茶づくりは疲れる。
渾身の手作業の揉捻1時間半。
揉捻
痺れる手足。心地よい疲れ。
この3日間の雨を避けてまた山へ行く。
山へ行くこと。茶葉に触れること。

1

茶想

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