製造 : 2015年10月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨
茶廠 : 瑶族の製茶場
工程 : 紅茶
形状 : 散茶
保存 : プラスチックバッグ密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 白磁の蓋碗
お茶の感想:
刮風寨(gua feng zhai)へ行ってきた。
雲南省西双版納孟臘県の旧六大茶山のひとつ漫撒山にある。
一扇磨・弯弓・刮風寨、この3つの地域はひとつの広大な国有林でつながっている。原生林の残る山と谷の複雑な地形が特殊な生態系と気候を形成している。
かつて100年前まではお茶どころとして栄えた時代があったが、現在は人里離れた深い山に戻っている。
明末期1600年代後半から清代末期1800年代後半までの貢茶(国が輸出して稼いだ)時代に、刮風寨の山にも農地があったはずだが、その茶葉を利用して高級茶をつくっていた易武老街の民間の茶庄の廃止(1950年頃、共産党による国民党排除の意図があった。)により、易武山全体の産地の衰退がはじまった。
1950年から1990年頃まで、高級茶づくりを引き継いだ国営孟海茶廠が銘茶をつくって、この価格の高騰から現在(2000年以降)のプーアール茶ブームがはじまっている。
刮風寨も弯弓と同じくこの土地のお茶づくりに古い瑶族のテリトリーにある。
裏山はラオスとの国境で、ラオス側には清代から徐々に移り住んだ瑶族が多くいる。
茶摘みの季節になると山を超えて中国側へアルバイトに来る。もちろんパスポートなどない。現在も山から山への移住生活を続けているから、この地域の山は「国」という新しい概念には属してはいない。地球に属している。
外地からの資本が入りにくい。
瑶族と土地を借りる契約をしても、国の法律はこれを保証できない。そもそも国有林は個人が所有できない。瑶族は自然の一部であり、所有の概念で農地を所有しているわけではないから、契約でなにかを約束するビジネスが成立しない。
この環境が自分にとっては好都合。
個人が少量の高級茶づくりで勝負できる。
刮風寨の山は険しい。
青空に槍を突き上げたような急角度の峰々と、下を見ると足のすくむような深い谷底と。原生林の森は太陽光線のとどかない黒い影をつくり、緑の殺気が漂っている。
刮風寨へ車が入れるようになったのは3年前。バイクが入れたのは10年前。お茶どころとしては寂れていた100年くらいの間も、刮風寨の瑶族は季節になると森に入って細々とお茶をつくっていた。
刮風寨の山に向かう道中にある易武山麻黒村にその毛料(毛茶とも呼ぶ一次加工の天日干し緑茶のこと。)が売られていた。馬やロバや人の背中に茶葉を乗せて運んだのだろう。
麻黒村の農家がそれを転売した。
麻黒村のお茶が有名になったのは、実は刮風寨の茶葉が混じっていたからではないのか?という説もある。
現在の価格は逆転している。
刮風寨の茶葉は西双版納孟臘県ではもっとも高価になる。
大量生産ではないから相場などない。茶樹や斜面の環境などに個別の価格がつく。
麻黒の古茶樹の10倍以上するものもあるが、それなりにコストがかかっている。森が深くて入手困難であったり、旬の時期の産量が少なかったり、遠い山道を草刈りする人件費なども織り込まれる。
人気の集中する有名茶山なので偽物づくりも盛んになる。
刮風寨の毛茶の産量は、近年新しく苗が植えられた新茶園のを合わせると全体で何十トンにもなり、さらにその倍以上が外地から夜道を運ばれてくる。ほんの数百キロと推測するホンモノの森の古茶樹の毛茶に市場では出会えない。
どうしてもホンモノが欲しいのなら、森へいっしょに入って茶摘みの現場に参加するしかない。望むところだ。
まず、ホンモノの茶葉を見る前に、まずホンモノの森を見るのが難しい。
今回も刮風寨の村に入る悪路で車のタイヤが同時に2つパンクした。
悪路にピョンピョン跳ねる車の中ではお喋り厳禁。舌を噛まないよう奥歯にチカラを入れないといけない。1時間ほどそれが続くと顎の筋肉が疲れる。
昨年は広東の茶友がこの悪路にアタックしたが、道半ばにして車が動かなくなり、易武山の修理工場に助けを呼んだ。刮風寨の道中ではいつも坂に負けて動かなくなった車やバイクを見かける。
古茶樹の群生地帯は村から車で半時間。そこからバイクでさらに1時間。徒歩なら2時間半かかる。往復するだけで1日がかり。旬の短い期間にこの森へ入るには覚悟がいる。
今回は、雨の日が多くて秋の旬とは言えないコンディションで、あくまで下見ということになるが、温州の熱心な茶友に誘われて、森のお茶を摘んで自ら紅茶つくって試すことになった。
ちょっと話がそれるが、温州といえば”温州みかん”だが、中国国内では投資家の産地でもある。繊維産業で稼いだ資金をもとに国内・国外でハイリスクな投資に挑んで世間を騒がせた時期があった。サブプライム問題の時は自殺者が多く出て世間を騒がせた。ヤンチャな投資家のイメージがあるが、温州の茶友もその血を引いているのか、本業はミャンマーの金鉱開発というカタギでは縁のない仕事をしている。今回の足の4駆のピックアップトラックは他人から借りた新車だったが、悪路で壊れても「金で解決してやる」というサッパリした覚悟に、参加者みんなは安心できたのだった。
高級茶づくりは博打的要素があるから、このような人には向いている。
話を戻す。
刮風寨周辺の山は広いが古茶樹の群生地帯は2箇所。
”茶王樹”と”茶坪”と呼ばれる森にある。今回は”茶坪”に入った。
体力的に限界で、2箇所をつづけてまわることはできなかった。次回にチャレンジする。
茶坪へは歩いて3つの峠と3つの谷を超える。
行きはゆるやかな上り坂で帰りはゆるやかな下り坂なので、比較的楽ではあったが、傾斜のつづく小道には石が多くて、それが夜露で濡れて滑るので、トレッキング甩の杖なしでは何度も転けて怪我をしただろう。
小道の藪から赤と黒の斑の蛇が飛び出してきてみんなをビックリさせたが、あっと言うまもなく瑶族の老板が鉈で撃退した。1メートルちょっとある毒蛇だった。「次回は血清を持って来よう」と広東人は言うが、この地域の毒蛇には1リットル分の血清が必要と聞いたことがある。病院にもそんな量を常備していないので死ぬしかない。望むところだ。
毒蛇だけじゃない。原生林は緑の悪魔。棘や毒のある植物、緑が養っている蟻や蜂。あらゆる生きものが足元で土になるのを緑が望んでいる。都会の人からしたら守るべき緑とは立場が逆。守って欲しいのはこっちだ。
茶坪の古茶樹の群生地は2008年に見つけられた。
狩猟のために山に入っていた瑶族の老板が、川伝いに歩いていたときに偶然出会った。この辺りに茶樹の群生地があるらしいことをお爺ちゃんから聞いていたので、すぐにそれだと分かったらしい。
4軒の農家と土地を分けて、道をつくり、密林を間引いて茶樹に光を与え、小屋をつくり、まともに茶摘みができる農地となったのは2010年から。折しも古茶樹の価格が高騰しはじめたタイミングだった。
こうして100年以上も眠っていた茶樹からふたたび茶葉が摘まれて、森のお茶が姿を現すことになる。
茶坪は海抜1400メートル前後にあるが、野生の芭蕉の林が茶樹のすぐ下の斜面にまで迫っている。熱帯雨林の水気の多いところは一般的には茶樹の育成に向かないのだが、これが原生種の品種特性。
葉の表面はまるで油を塗ったようにツヤツヤで、暗い森の中で銀色に輝く。この光を森の中に見つけると、霊的な存在に思える。
ちょっと長くなったので、製茶のことはつづきに書こうと思う。
お茶の味については書くまでもないが、これまで飲んだ中でいちばん美味しい紅茶になったと思う。森に入って見てきたからそう思えるのかもしれないから、冷静に手持ちの中でいちばん美味しい紅茶とも比べた。
このお茶。
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【漫撒陰涼紅餅2015年】