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茶教室・京都

茶学・水音を聞く

チェンコーンのメコン川
チェンコーンのメコン川
チェンコーンのメコン川
水音を聞く。
茶学の参加者みんなで聞く。
水音を聞くときはだれでも静かになれる。心地よい音楽のように、外側に向いていた意識が自分の内側に戻ってくる。
心がシンとなって、お茶の余韻を味わう準備ができる。
古池や蛙飛び込む水の音
また、リズムもそこに発生する。
茶壺から杯へ落ちる水滴のポトポトや、杯から杯へと注ぎ分ける一瞬の間がつくるリズム。
聞こえる効果と、聞こえそうで聞こえない効果と、どちらもあるからお茶を淹れる人が水音を立てるか立てないかは自由。また、偶然が作用してなかなか思い通りにはゆかないのが現実。
けれど、意識することが大事。
音楽の演奏のように、美しい音とそうでない音ははっきりしている。
茶学・水音
水音はミクロの世界で水のカタチを変える。水のカタチが茶葉の成分の配列を変える。そしてお茶の味を変える。お茶の味は飲む人の気持ちを変える。人の気持ちはめぐりめぐって世の中を変える。
茶器を楽器のように操って、いい水音を鳴らしてみたくて、うずうずしてきたでしょ。

茶学・水を制する

手のひらにのるほどの小さな茶壺をあやつって、もっと小さな杯へ茶を注ぎ分ける。
それだけなのに度胸が試される。
茶学
水は、やさしい動きでないと荒れる。やさしすぎてもだらける。
お茶の味もまたそうなる。
水に勢いやチカラを与えるには、重力を利用する高さと手のスピードがいるけれど、チカラが入って硬くなると跳ねて散る。柔らかな動きで小さな茶壺や杯の中いっぱいに渦巻く流れをつくるその加減は、誰もが子供の頃から経験していることだから、小さな茶壺と杯を見ただけで直感的に慎重と大胆の綱引きになることを悟るだろう。
慎重な人は大胆を心がけ、大胆な人は慎重を心がける。どちらにしてもギリギリを攻めないとツヤツヤした水質のお茶にはならない。
だから緊張するべし。
茶学では、水をいくらでもこぼせる受け皿のある茶盤を使わずに、こぼれると気になる平たい板を使う。ときには机の上そのままや、布を一枚敷くだけにする。
一滴もこぼさないよりも、ちょっとこぼすくらいの勢いがほしい。こぼしすぎると淹れ手の乱れが現れる。
そんなこと、言われなくてもみんな自分でわかっている。
茶学
水を制するのは、自分を制する技術でもある。

茶学・水の振動

茶学は、いつでもやる。どこでもやる。だれとでもやる。何度でもやる。
今日はチェンマイからチェンコーンへ移動。チェンコーンで少数民族の手工芸品やアンティークの店をする女性の主人と茶学の話になった。
興味深そうに聞いていたが、
「お茶の味の違いは微妙で、わからないない人もいるでしょう?あなたの舌はそういうのに敏感だけれど・・・」
と言う。
味の違いは誰でも分かるし、参加者全員にわかる。その感じ方も全員が一致する。それを今ここで証明しよう・・・ということで即興の茶学となった。
道具はそろっていない。
最近どこでも持ち歩いている小さな茶壺がひとつと、携帯用ポットに入れていたアツアツの熟茶(版納古樹熟餅2010年)が450mlほど。
茶学 水の振動
小さな茶杯を2つ用意してもらって、携帯用ポットから茶壺に注ぎ、そして杯に注ぐ。同じ茶葉、同じ水、同じ茶器。しかもポットのお茶はすでに煎じてあるから、この時点でのお茶の味はひとつ。
茶壺から杯に注ぐ、その注ぎ方だけが彼女と自分の唯一の違いとなる。
「そんな微妙な違いは私にはわからないよ。」
彼女はそう言うが、お構いなしに茶壺から杯に注いでもらって、1杯目を飲んだ。
その感覚を覚えておくように言って、こんどは自分が杯に注いで、2杯目を飲んだ。
「・・・・・・」
やっぱりわからないと言う。
もう一度行う。
茶壺を彼女にわたして自分の杯に注いでもらって、3杯目を飲んだ。
ここで彼女は気がついた。
あまりにもお茶の味が大きく違っていたので「マジック?」と疑いだした。
もう一度行う。
今度は自分が注いだが、より違いを強調するために、杯を手に持って底の中心あたりをトントンと指で軽く叩いて水の波紋を起こす技術を試した。これは日本でワインの達人に教えてもらった技術だが、お茶にも応用できる。
その杯を彼女にわたして、4杯目を飲む。
自分のお茶は軽快でまろやかで、彼女のお茶は重くて渋い。明確な差が現れている。
仕掛けはなにも無い。ただ、茶壺から茶杯に注ぐ、その水の落ち方、波紋の広がり方、空気の小さな泡の立ち方、弾け方。水が微妙に振動して、水に溶けるお茶の成分が性質を変える。
茶学水の振動
(写真はチェンマイの生徒さんの落とす水。)
水の音や波紋の美しいのは、お茶の味も美しくなる。
個人的には、味だけでなく体感、つまりお茶の効能まで違ってくると思っている。
美味しいお茶を淹れるには、まず水と仲良くなること。そのためにはどういう動きをするべきか、心と身体がどういう状態であるべきか、考える必要がある。
「そう、だから私はハンディークラフトやアンティークなのよ!」
と、彼女の中でいろんなことがいっぺんに繋がった様子。
なぜ、水の振動の違いが全員にわかるのか?
なぜ、感じ方までも一致するのか?
それはおそらく体内の水もまたその振動のカタチに反応するからだろう。お茶の味わいを知るのは敏感な味覚のあるなしではない。
茶学 水の振動
人体の60%は水である。

茶学はじまる

茶学
茶学
お茶づくりのオフシーズンは道場をひらく。
2人以上いて、湯を沸かすことができればどこでも道場になる。
ひとつの茶葉を決めて、ひとりずつ順番に淹れる。同じ茶器で、同じ水で、3煎もしくは4煎で終わるというルールで、その場にいる全員にお茶を淹れる順番がまわってくる。
これを「茶学」と呼ぶことにする。
上手であろうが下手であろうが、美味しく淹れることに力を尽くす。そのために水や茶葉や茶器と調和する。
ただお茶を淹れて飲むだけのことなのに、あらゆる段階で試すチャンスがあり、試される関係がある。
すべてがお茶の味や水質に現れるから、他人に言われなくても自分で気付くことができる。学びのお茶「茶学」。
茶学
茶学
すでに京都とチェンマイで、いろんな年齢のいろんな故郷の人が試して、試されたけれど、学ぶ喜びは同じ。
子供も大人もベテランも初心者も、いざ淹れる番がまわってくると真剣勝負になる。微笑んでいようが硬直していようが眼の奥の光に変化が現れる。
この一杯が新鮮な美味しさであってほしいと願う気持ちが、競争心や個性となって現れて、自然にドラマができる。
例えば3人で茶学をすると、3人✕4煎=12杯、同じお茶を12杯飲むことになるが、1杯1杯に個性が現れ、印象が異なる。
水と茶葉と茶器と、そして淹れる人との完全な調和の1杯には神が宿る。宇宙の法則に触れた瞬間、その美しさ、ツヤツヤの水質に、なにも言わなくても参加者全員が気付くだろう。
「ありがとうございます。」
終わるときには心からこの言葉がでてくる。
茶学
茶学
場所はいつも素晴らしい環境とは限らない。周囲の音がやかましかったり、参加者全員がキューキューになって座るしかなかったり、子供の走り回る家だったり、暑かったり寒かったり。
茶器も完璧なものは揃わない。人数分にピッタリの大きさではなかったり、持ちにくかったり、注ぎにくかったり、杯の大きさが揃わなかったり。
水は、いつものミネラルウォーターを買えなくて、水道水しかない場合もあるだろう。
はじめからあきらめてはいけない。できるだけ理想に近づけようと準備するのが大事。そうじゃないと人間がだらける。
茶学
努力はしても、いつもなにか揃わない。思いがけないアクシデントもある。
その問題とどう対面するか、淹れ手ひとりひとりに姿勢が問われる。
条件は、参加者全員に平等である。
あなたならどうする?
自分ならどうする?

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茶想

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