茶学は、いつでもやる。どこでもやる。だれとでもやる。何度でもやる。
今日はチェンマイからチェンコーンへ移動。チェンコーンで少数民族の手工芸品やアンティークの店をする女性の主人と茶学の話になった。
興味深そうに聞いていたが、
「お茶の味の違いは微妙で、わからないない人もいるでしょう?あなたの舌はそういうのに敏感だけれど・・・」
と言う。
味の違いは誰でも分かるし、参加者全員にわかる。その感じ方も全員が一致する。それを今ここで証明しよう・・・ということで即興の茶学となった。
道具はそろっていない。
最近どこでも持ち歩いている小さな茶壺がひとつと、携帯用ポットに入れていたアツアツの熟茶(
版納古樹熟餅2010年)が450mlほど。
小さな茶杯を2つ用意してもらって、携帯用ポットから茶壺に注ぎ、そして杯に注ぐ。同じ茶葉、同じ水、同じ茶器。しかもポットのお茶はすでに煎じてあるから、この時点でのお茶の味はひとつ。
茶壺から杯に注ぐ、その注ぎ方だけが彼女と自分の唯一の違いとなる。
「そんな微妙な違いは私にはわからないよ。」
彼女はそう言うが、お構いなしに茶壺から杯に注いでもらって、1杯目を飲んだ。
その感覚を覚えておくように言って、こんどは自分が杯に注いで、2杯目を飲んだ。
「・・・・・・」
やっぱりわからないと言う。
もう一度行う。
茶壺を彼女にわたして自分の杯に注いでもらって、3杯目を飲んだ。
ここで彼女は気がついた。
あまりにもお茶の味が大きく違っていたので「マジック?」と疑いだした。
もう一度行う。
今度は自分が注いだが、より違いを強調するために、杯を手に持って底の中心あたりをトントンと指で軽く叩いて水の波紋を起こす技術を試した。これは日本でワインの達人に教えてもらった技術だが、お茶にも応用できる。
その杯を彼女にわたして、4杯目を飲む。
自分のお茶は軽快でまろやかで、彼女のお茶は重くて渋い。明確な差が現れている。
仕掛けはなにも無い。ただ、茶壺から茶杯に注ぐ、その水の落ち方、波紋の広がり方、空気の小さな泡の立ち方、弾け方。水が微妙に振動して、水に溶けるお茶の成分が性質を変える。
(写真はチェンマイの生徒さんの落とす水。)
水の音や波紋の美しいのは、お茶の味も美しくなる。
個人的には、味だけでなく体感、つまりお茶の効能まで違ってくると思っている。
美味しいお茶を淹れるには、まず水と仲良くなること。そのためにはどういう動きをするべきか、心と身体がどういう状態であるべきか、考える必要がある。
「そう、だから私はハンディークラフトやアンティークなのよ!」
と、彼女の中でいろんなことがいっぺんに繋がった様子。
なぜ、水の振動の違いが全員にわかるのか?
なぜ、感じ方までも一致するのか?
それはおそらく体内の水もまたその振動のカタチに反応するからだろう。お茶の味わいを知るのは敏感な味覚のあるなしではない。
人体の60%は水である。