プーアール茶.com

意識と無意識について その2.

川を見ていたのだ。
+【ずっと川を見ているのつづき】
そのとき、なにやら様子がおかしくなっているのに気付いていた。
もちろん正気である。
クスリなんてやっていない。
酒に酔ってもいない。
川の流れのキラキラのほうに手をかざしていると、だんだん手の輪郭がはっきりしなくなる。
メコン川
”千と千尋の神隠し”のシーンで、神の国に紛れ込んだ千尋の手が半透明になってゆく・・・あの感じ。
自分は川だったのだ。
そこには川があるだけで、そもそも自分の存在なんてない。
川の魚も、川を渡る鳥たちも、岸に住む動物たちも、虫たちも、川の流れがぶつかる岩も、底を流れる砂も、そして自分も。みんなひとつの川であって、それ以外のなにものでもない。
人間以外の生命や、生命がない鉱物なども、すべては一人称を持たない。”私”が存在しないのではないかな?
例えば、ライオンはサバンナの大地として野牛を食べて、野牛は食べられてサバンナの大地のままでいる。
”私”がなければ、死なない。
減りもしない増えもしない。
”私”がなければ戦争もない。
所有や支配の概念がないから、だから動物も植物も人間のなすがままをゆるしているのではないかな?
死なないのなら、天国も地獄もない。
川が流れて海に注いで蒸発して雲になって雨になって山に戻って・・・と終わりなくつづくなにかであって、どこからどこまとか、過去とか未来とか、距離や時間の概念さえもあやしくなってくる。
例えば、1万年後に川がなくなったとしても、別のなにかになってつづいている。地球が爆発して星クズになっても、まだつづきはある。
朝日
神様というのは、自分の外側にいると思っていたけれど、”私”がないということは外側も内側もないのだから、居場所がないよな。
それでも無理やり居場所をつくるとしたら、自分と神の境目はない。
やっぱりな。
ときどき自分は神じゃないかと思うことがあったのだ。
お茶づくりという小さな仕事にも、理屈に合わないすごい才能が発揮されることがあった。
でもそれは、”私”のものじゃなかった。
残念ながら”私”の特別な才能や運命ではなくて、宇宙のあらゆるところで起こる自然現象のひとつにすぎなかったわけだ。これまでの人生に起こったすべてのミラクルは、川岸で葦の葉がゆれるのと大差ない。そこらじゅうにある現象だったのだ。
”私”という概念を、昔の誰かがつくって、そこから人間の歴史がはじまっている。
脳にもう一つのバーチャルな世界が構築されている。”私”というのがある世界。
”私”だけでは世界が構築できないから、”私”を元にして他のいろいろな概念を増殖させて、世界がウソっぽく見えないようにしているけれど、不安を感じるのは仕方がない。地盤となる”私”の存在があやしいのだから。
Youtubeを見ていたら、ある医者がこんな話をしていた。
「ガンを治したい医師が、かえってガンをつくってしまう」。
ガンという憎むべきもの、排除したいもの。対局の構造をつくっておいて、クスリや医療技術や保険や、そして経済を発展させる。世界中にガン患者を増やし、ガンの原因を増やし、おおいに戦ってしまう。そもそも自分の中にある細胞の一部で、私もガンも同じなのに。
えらく大きな話になってしまったけれど、今、自分の目前にある小さな課題、「良いお茶とはどういうものか」をつきつめるには、どうしても”私”というのがあるインチキ世界を、自分の脳に構築されているウソを、理解しておかなればならなかったのだ。
自分を意識する脳をスルーして、自分の無い無意識の、リアルな世界に通じる。
カンタンではないだろう。
おそらくこの過程で、言葉のもつ作用。”私”という概念をつくることのできる強力な作用について理解する必要がある。
次はそれについて考えてみる。
つづく。


茶想

試飲の記録です。

・キーワード検索

・カレンダー

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>

・表示されている記事

・お茶と年代のカテゴリー

・記録

お茶の歴史
お茶の歴史 (JUGEMレビュー »)
ヴィクター・H・メア,アーリン・ホー

・サイトリンク

・プロフィール

 

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM