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老撾高幹龍珠2019年・秋天 その4.

製造 : 2019年10月20日から27日(采茶)
茶葉 : ラオス・ポンサーリー県・孟臘県漫撒山(旧易武山)天門山寄り
茶廠 : 瑶族の農家+義烏人
工程 : 生茶
形状 : 龍珠 約8.5g
保存 : 密封
茶水 : 京都の井戸水
茶器 : 宜興の茶壺・チェコ土の杯・鉄瓶+炭火

お茶の感想:
ラオスの高幹の”龍珠”版を飲む。
義烏人が加工したもの。
圧延加工が違うだけで、自分が餅茶に加工した”青餅”版と同じ原料の茶葉である。
味や体感も異なるなずなので、加工の違いが注目のしどころだけれど、関連記事としてひとつにしたいので、前回からつづく”その4."とした。
今後はタイトルの一部分の”青餅”と”龍珠”のところだけが変わる。
龍珠
龍珠
8gと聞いていたが、測ってみたら8.8gもあった。
たぶん8.1gのもあれば9.0gのもあるだろう。
微調整ができないので、とにかく8.0gより少なくならないようにと、義烏人は考えたわけだ。
中国では龍珠は重量で量る。
例えば200g分とか。基本たくさん買うから一粒いくらとは量らない。
重量いくらとすると価格は公平になるが、一粒いくらにしたら重さが違ってきて不公平になるな・・・。
一粒ごとにするなら、例えば二粒をあわせての重量でバランスを取るしかないか。
小さな龍珠への加工は、個人的には否定的で、餅茶のサイズがあったほうが味も体感も保存熟成にもよいと考えているが、このお茶は別格。
義烏人は龍珠にすることを想定して殺青の火入れ具合を浅めに仕上げている。
その効果もちゃんと現れていると思う。
いずれ餅茶と飲み比べしてみるが、少なくとも一年くらい熟成してからにしたい。
茶器
龍珠
話は変わるが、茶机の道具の配置をちょっと変えた。
冬の寒い室内(暖房はオイルヒーターのかすかな暖かさのみ)で足が冷たいので、瓶掛を机の下の足元に置くことにした。足はポカポカ。
炭の火はやさしいので、50センチほど上にかぶさる机の板を焼いたりはしない。
寒い季節のお茶を美味しくするには、室温が18度もあればよいと思う。
部屋の中で厚着をして、熱いお茶をフーフーして飲むのだ。
宜興の急須
龍珠は、煎じる器が思案のしどころ。
8.8gも茶葉があって、煎をかさねると大葉種の極みのような葉がひらいてくるのだから、茶壺を選ぶ。
蓋碗は口の大きくて便利だけれど保温力がないから、何煎もしてからグーッと茶葉の内側の成分を引き出すにはチカラ不足。
とりあえず万能の古い宜興にした。
龍珠の性質上、おのずと長く蒸らす”闷泡”になる。
8gもある茶葉がギュッと飴玉くらいに圧し固められているのだから一煎・二煎では開かない。
ギュッと圧し固めるために、茶葉が柔らかくなるまで長時間蒸しているので、一般的にはそういう味に仕上がるが、この龍珠は全行程の火加減を調整されていて、そこまで深蒸しになっていない。
もしかしたら、自分が加工した餅茶に比べたら、龍珠のほうが浅蒸しじゃないかな?と思う。
2煎め
新しい生茶の多くは、高温の湯で長く蒸らすと渋味や辛味が嫌味になりやすい。近年の摘みすぎ傾向で茶樹が弱って、茶葉の性質がそうなっているから。というのが一番の原因と推測している。
その点で、高い幹には高温で長時間蒸らしに耐久性がある。
熱々の湯でじっくり蒸らすと、トロンと甘い水質になる。
5煎めくらいで茶壺の口からあふれんばかりに茶葉が開いた。
こうなったら湯を足せる量が減ってくる。
葉底
ひとりかふたりで一日かけてずーっと飲むのならこれでよし。多くの人数で分けるには茶湯が少なすぎるから、もっと大きめの茶壺がよくなる。
餅茶を崩して淹れたら、だいたい5煎めくらいに出てくる苦底の味が、龍珠では8煎めくらいにやっと出てきた。
でも、これもいいかも。
さらに煎をすすめると、舌にピリピリする辛味がでてきた。
餅茶にしたのはピリピリがもうちょっと落ち着いている気がする。
でも、これもいいかも。
「辛味がダメ」とは言っていない。
心地いい辛味と嫌な辛味があるということ。
その違いは飲めば誰でもすぐにわかる。けれど、言葉で詳細に語るのはバカらしい。言葉はそこまで信用に足るものじゃないからな・・・。
感じるだけで十分。
お茶を飲むことそのものの良さを、高い幹のお茶は滔々と語ってくれる。言葉を使わずに。
舌先に意識を向けたり、身体の変化に気付いたり、試飲のための技術などまったく要らない。
美人と眼が合ったときみたいに、一瞬で伝わるものだから。
途中で外出したり、仕事したり、しばらく放置しておいて、夕方になってからつづきを淹れた。
読書
もう15煎を超えているだろう。
まだ出る。これから長い夜をともにする。
さすがに生茶をこれだけガブガブ飲んだら眠れないだろうから、今夜は読書でもする。

ひとりごと:
中国人が観光で日本に来て、行儀の悪いところがあったら、すぐにその場で注意すればよいのだ。
それで気分を悪くする中国人はほとんどいないはず。
「あ、そうですか知りませんでしたすみません。」くらいのこと。
あんがい謙虚で、むしろ知らないことを教えてもらって感謝しているはず。
知らない人に注意をするのは親切というもので、なにも言わないのは不親切だと思う。
注意したりされたりは、中国の日常ではふつうのことで、ムカつく余地はどこにもない。
ところが日本人の多くは、注意された相手の気分を悪くさせるのではないかと心配するのだよな。
その心の負担で勝手にムカムカしている。不親切な上にムカついているわけだ。
たとえ親切のつもりで注意をしても、「オレの気持ちを煩わせやがって・・・」と内心で怒っている。
「いいことをした」と、幸せな気持ちにはなりにくい。
そんな感じがするけれど、どうだろ。
なんでこうなる?


茶想

試飲の記録です。

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