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お茶と社会

ヒンズー教の寺院

(写真:シンガポールのヒンズー教の寺院)


西双版納のアパートで、夜中にふと目が覚めたら、
寝室に黒い影が入ってきて枕元を覗きこんだ。
あわててはね起きたら、泥棒もあわてて逃げだした。
裸足のまま部屋を飛び出して階段を走り下り、
大声を出して守衛に捕まえてもらおうとしたが、
守衛は寝ていた。(グルかもしれない。)
門に設置されたビデオには二人の男の後ろ姿が写っていた。
なにも盗られていなかったから警察には届けない。
次の日に鍵を新しいのに替えて、それで終わり。

ペナンのモスク

(写真:ペナンのモスク)


いつもの茶荘でこのことを話したら、
主人が血相を変えてこう言った。
「泥棒が入るのはよくあることです。うちも2回現金や携帯を盗られました。」
「でも捕まえようとしないでください。」
「泥棒を追いつめてナイフで刺されたら、盗られたお金以上の損害です。」
「盗まれるのはお金だけで十分。」

シンガポールのモスク

(写真:シンガポールのモスク)


たしかにそのとおりなのだ。
例えば泥棒に入られないための完全な設備に何万元もかけるよりも、数百元盗まれて済むのならそのほうが安い。泥棒は町じゅうにうじゃうじゃいるのだから、一人や二人捕まえてもなにも変わらない。泥棒のほうも心得ていて傷害事件にはなるべくしないで、あくまでも小銭稼ぎのコソ泥に徹するのだ。
われわれの目的は良いお茶をつくって売ること。
そのために下手な現金の出費はなるべく避けるべきだし、仕事以外のことに関わっている暇はないはずだ。

ペナンの儒教の寺院

(写真:ペナンの儒教の寺院)


お茶のような歴史ある交易品には、いろんな土地のいろんな宗教のいろんな言葉を話す人々が関わってきた。交易の町にはそれぞれの民族のコミュニティーがあり、交易ルートをゆけば簡単に他国へ出られる。
そんな町には泥棒が多い。
スパイスや絹やお茶の交易の代表的な港町、ニンポー・アモイ・広州・香港・マカオ・ペナン・マラッカ・シンガポール・ジャカルタ・カルカッタ・チェンナイ・ムンバイなどは昔は泥棒だらけだったことだろう。
西双版納もまた、ラオス・ミャンマーと国境を接し、メコン川を下ると1日でタイに出られる交易の町だ。ちなみにうちに入った泥棒は、部屋の暗い明かりで顔は見えなかったけれど、肌の色の黒さからしてたぶん近くに住んでいる回族の人ではないかと思う。
東南シルクロードの時代から交易のために雲南省に移り住んだイスラム圏の人々が、今もたくさん住んでいる。ある意味で先輩だ。

マラッカのモスク

(写真:マラッカのモスク)


交易商人の考え方はこうだ。
生まれも育ちもちがう相手を理解する必要はない。
ただ取引するのみ。
たとえ闘うことはあっても、相手を窮地に追いつめてはならない。生かさず殺さずでやってゆく。追いつめると反撃されるし、それに応ずるために武力を増強するなんて割に合わない。そのゆきつく先は戦争。戦争は商売として割に合わないのだ。
このことは交易の歴史も証明している。
インド洋をめぐる東洋の交易が栄えていたところに、西洋が戦争と侵略いう新しい手法をもって割り込んできた。インドの交易港を支配していた王様は、そんな割の合わないことは誰もしないと油断していたから対応する武力がなかった。戦争による西洋の植民地支配は、はじめはうまくいったように見えた。

マラッカの教会

(写真:マラッカの教会)


しかし、生まれも育ちもちがう人々の社会に干渉して支配しつづけるという負担はあまりにも大きく、本国の足元をも削ることになった。西洋のどの国も、植民地支配はおなじような道をたどって衰退した。
東洋の商人なら、よその土地の者が王様のかわりを務められるなんて考えもしないだろう。
よい取引をして儲けることができたら、王様への上納金なんて安いものだ。仕事の邪魔をする泥棒や海賊を撲滅するよりも、彼らがなんとか生きてゆける道だけは残しておく。そうしたら彼らは命懸けで戦おうとはしないだろう。
お茶の世界でいえば、偽物も粗悪品も産地偽装品も一級品とうそぶく三級品も、それで食べてゆく人たちのくいぶちを奪うようなことはしないのだ。
どんな人でもそれぞれに生きてゆける。
人口が増えるわけだ。
人の数だけ問題も増えてゆく。
問題が増えても増えても、戦争なしでなんとかやってゆく。
それが良いのか悪いのかは、まだはっきりわからない。

西双版納の寺院 

(写真:西双版納の仏教寺院)


お茶のことを勉強してゆくと、かならずお茶を取り巻く社会が見えてくる。
それは醜くて、見たり聞いたりしたくないところもあるから、見たり聞いたりしないで済ませることもできる。仕事や生活でもうじゅうぶん現実と闘っていて、ほっと一息するために飲むお茶についてそんなことまで考えたくはない。
しかし当店としてはこういう話を少しはしてゆくつもりだ。
今、世界はほんとうに難しい問題を、生まれも育ちもちがう人たちと共有してゆかなければならないことになってきていると、お茶づくりの現場でさえもそう感じる。
お茶には自然社会の生きものたちとの関係もある。支配するのではなく共存の道をさぐるほうが良いとはわかっているのだが、それは泥棒の存在をゆるすよりも難しい。
お茶を飲むだけの人にも、多少は考えてもらわないといけない時がきていると思う。


茶想

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