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鬼手仏心

ヘミングウェイ老人と海
かなり昔のことだけれど、日本でテレビを観ていたら、どこかの川で鮎の漁をしている若い漁師が、師匠から伝えられた「鬼手仏心」(きしゅぶっしん)という言葉を紹介していた。
逃れようともがく鮎を生け捕る手は鬼だけれど、その鮎を誰よりも愛しなさいという教え。

なかなか深いのだ。
誰でもなにかを食べて他の生命を殺生(せっしょう)しながら生きている。
草食であっても、草の命や草を食べて命をつなぐはずだった虫たちからそれを奪っている。
農業や漁業に関係のない人でも、食べるために仕事をするということはなんらかの生命を間接的に殺生している。

鮎がいるから漁師の仕事がある。
しかしその逆もまた言えて、漁師の仕事があるからこそ鮎が価値ある存在になる。
鮎を食べて楽しむお客様からしっかりお金をいただけるように、旬の美味しいタイミングで活きの良い鮎を獲る。春になったら稚鮎が河口付近の海から上がって来られるように、川の自然環境を大切にする。そうやって川と人との営みを続けて互いに生かし合うことが、すなわち鮎に対する漁師の愛情なのだ。

ヘミングウェイの小説『老人と海』でも、漁師のサンチャゴはそういうことを話していた。
老人は、漁師として魚を釣ることの喜びと、魚を殺すことの悲しみを、ひとりぼっちの小舟の上で語る。三日三晩にもおよぶ巨大カジキとの生死を掛けた闘いにも、「お前を殺す価値のある人間なんてどこにもいやしない。でも、俺は漁師としてお前を殺すことになる。」というようなことを言う。殺生という行為でありながら、老人の魚や海に対する愛情いっぱいの仕事は、すがすがしい感動を与える。

例えばの話だけれど、
ダム工事の巨額な利権によって鮎の価値なんてふっ飛んでしまうのを、生活保障というお金と引き換えることになった漁師はどうだろうか。
鮎もお金も漁師にとっては生きるために必要なもので、そういう意味では同じかもしれない。
しかし、うまく言えないけれど、今この違いが少しわかる気がする。
鮎と漁師とそして川との関係は唯一無二のものである。それに対して、お金はなんにでも交換できて誰にでも共通して価値のある普遍的なものである。

唯一無二だからこそ愛がある。
「鬼手仏心」はそういう関係のことを説いているかもしれないな。
ちょっと前に、「僕はこの仕事が好きなんです・・・」と若い人に言うと、「お金儲けが好きなんですか?」と返されて、ちょっとうろたえてうまく言えなかった。そうじゃなくてこういうことなんだと、今ひとりでじっくり考えてみた。ふぅ・・・。


茶想

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