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弯弓についてもっと考える

この話のつづき。
+【弯弓について考える】
弯弓
弯弓
森の木々が切られた姿は痛々しい。
緑の調和が崩れてマイナスな印象を与える。それゆえに悪いことが起こっているという解釈を導きやすい。
しかし、別の視点で見ると、これは過渡期に起こる現象のひとつであり、悪いことかどうかの判断はすぐにはできないだろう。
弯弓の茶樹は、清代の末期にここから人々が離れてからずっと、およそ200年ほどの間、森の中に眠っていた。数年前まで誰も摘みにゆくことがなかった。そういう意味で野生茶と分類することもできる。
野生茶の採取は農耕的ではない。
狩猟的である。
弯弓
弯弓
西双版納の山々には現在でも狩猟的な感覚で、山から山へ、焼畑と移住生活を続けている山岳民族がわずかに居る。あるいは、表面的には定住生活になったものの、まだ深層心理においてその変化を完全には遂げられていない山岳民族が居ると思う。
弯弓に茶摘みにゆく瑶族はまさに後者のタイプと言えるだろう。
別の茶山のことになるが、昨年に「那カ山」のお茶を出品した時に、山岳民族のラフ族(拉祜族)の人たちのことを紹介した。
このページの下のほう。
+【那カ古樹青餅2014年】
西双版納のラフ族の人たちは、まだ移住の感覚が強く残っているが、前回日本に帰って観たテレビ『味覚の迷宮 ベトナム 二つの大河 食の大紀行』(NHK BSプレミアム)には、ベトナム北部で先祖代々から水田の稲作で定住生活をしているラフ族の人たちが紹介されていた。衣食住が充実していて、独自の文化も豊かで、同じラフ族なのにこんなにも違うのかとびっくりした。たいへん失礼ながら、パッと見た目に物乞いのようにも見える西双版納のラフ族の人たちとは大きな違いがあった。西双版納では古くから水田の稲作で栄えたダイ族の人たち(ランナータイ王朝を建国した人たちの先祖でもある)とベトナム北部のラフ族の人たちは似ていた。
移住と定住の生活様式の違いは、民族間の違いよりも大きい。
弯弓のお茶は今、採取から栽培へと変化しかけている。瑶族の生活もまた移住から定住へと変化している。
弯弓
弯弓
もしもこの変化がなければどうなるだろう?
ちょっと想像力を働かせてみる。
西双版納周辺の雲南省南部一帯からミャンマー・ラオス・タイ・ベトナムの山々に住む山岳民族たちが、古来からずっと同じように移住生活を続けていたとしたらどうだろう。
人口の増加に自然環境との調和がとれなくなり、焼畑によってすべての山は焼きつくされ、野生動物は食べ尽くされ、民族同士の争いが絶えないかもしれない。
焼畑の跡
(手前の斜面が焼畑の跡。)
狩猟から農耕へ。
移住から定住へ。
肉食から菜食へ。
人口の増加にともなう全体のバランスを考えると、この変化は必然だったのかもしれない。農耕によって生産量を増やした穀物や野菜を食べて、肉類の消費を減らすことが、自然との共存に有効な手段だったのかもしれない。佛教が古い農業の道徳から来たという話も、殺生を戒めるという教えも、つじつまが合う。
弯弓のお茶は栽培化して野生の魅力を失うことになる。
けれど、それで全体的に調和が取れるなら、そう悪くはない。
弯弓


茶想

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