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刮風秋水紅餅2018年 その4.

製造 : 2018年10月18日(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶王樹
茶廠 : 農家と店長
工程 : 紅茶
圧餅 : 2018年10月25日
形状 : 餅茶180gサイズ
保存 : 熟成壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興の紅泥の茶壺・チェコ土の杯・鉄瓶・炭火
鉄瓶
葉底

お茶の感想:
朝起きてすぐ昨晩のつづき。
高幹のお茶を飲む。
昨晩、眠れないと思って本を読んだらすぐ寝てしまった・・・。本を読むチカラが衰えているのだ。脳の老化で。
肯定的に考えると、高幹のお茶はたくさん飲んでも眠れる。ということになる。
残り惜しんで3煎ほど時間をかけて抽出したが、さすがにもういいかな。20煎は余裕で超えている。
熟成壺
秋水紅餅
さて、今日はこのお茶。
+【刮風秋水紅餅2018年】
熟成壺に入って一年。
熟成壺の餅茶の包み紙がしっとりと感じる。
茶葉も多少はしっとりしているはずだが、あんがいパリッとしている。
10年以上前に、上海で老茶を扱っていた頃は、蔵出しのお茶は湿っているのがよくあった。
その場合は、少なくとも1ヶ月ほど常温で乾燥させてから出品するのだが、この熟成壺の場合はそこまでしなくてよいかと思う。
茶葉の乾燥度には、けっこう個人の嗜好の幅があるので、あらかじめベストな状態に調整することに意味がない。
個人がおのおのの好みに調整するのがよい。
例えば、ちょっと湿っていると感じたら、40度から50度くらいの柔らかい熱にあててゆっくり乾かしてみるとか。もちろん天日干しでもよい。
例えば、ちょっと乾燥しすぎていると感じたら、部屋の常温の通気のある状態で3日間ほど放置してみるとか。
多少、経験が必要になる。
餅茶一枚ごと実験して失敗したら痛いから、まずは崩した少量でやってみるとよい。
茶葉をむき出しにはせず、紙とか布とかで包むこと。
茶葉
茶葉のコンディションを自分で調整できないと、熟成モノを楽しむことはできない。
例えば、餅茶一枚ごと買って、密封できるプラスチックバッグに入れて、ちょっとずつ崩して飲んでゆくにしても、何度も袋を開け締めして数カ月後には餅茶はしっとりしてくる。
それで風味が落ちたから、このお茶は熟成向きじゃない・・・なんて判断する人の手元にお茶が届かないようにするのが仕事。
ひそかにいい仕事をしているのだ。みんなの知らないところで。
秋水紅餅
このお茶『刮風秋水紅餅2018年』は、熟成によって得たものと失ったものがある。
とくに香り。香りの新鮮味。
新鮮味を留める。時間にブレーキを掛ける。
この技術は、焙煎にある。
烏龍茶とまではゆかなくても、中国紅茶や白茶のほんのり焙煎の技術は、その点ですばらしい。
しかし、それはこのお茶のそもそもの狙い所ではないのだから、香りが変化するのはよいけれど、多少個人の好みに調整できる。それが保存時の乾燥ということになる。
西双版納でお茶づくりをしている茶友の北京人は、かなり湿った風味を好む。
なので、彼の倉庫は西双版納にある。
北京人
北京や中国の東北地方の多くの街は、冬は寒いので街中に熱湯管を巡らせたセントラルヒーターが稼働する。
そうなるとビル一棟ごと温められてしまう。そこに住む個人は、茶葉倉庫用の部屋ひとつだけ常温に保ったとしても、かなり乾燥した状態になる。ビル全体から水分が逃げたがっているのだから、ひと部屋だけしっとりさせるなんて無理なのだ。
そこに保存した茶葉は、乾燥してカラカラした口当たりと喉越しになって、同じくカラカラした部屋で飲むことになって、美味しくないらしい。
ところがこれを西双版納にもってくると、美味しいのだな。
つまりその逆で、西双版納で湿ったのを北京にもってゆくと、美味しいらしいのだ。(自分は北京に行ってその味を確かめていないからなんとも言えないが、あまり好みではないことは確かだ。)
とうことなので、ある程度個人が調整できたほうがよい。
熟成壺のはちょっとだけ湿って熟成しやすい状態を保っているから、個人が手元で乾燥させるなり、そのまま楽しむなり、好きにしたらよいと思う。
葉底
この紅茶が、どんな香りか味かというのをどこにも書いていなかったな。
説明ページにも書いていなかった。
森の霊気感がすごいけれど、霊気って透明で見えないように、味や香りもあまりはっきり姿を表さないのだよな・・・。でも、そこにいる・・・ってわかる。
いや、自分がそっちに行っているってわかる。そのときの茶王樹の森にいるのがわかる。
”私”のない状態になると、時空の概念はいともカンタンにゆがめられる。

ひとりごと:
肩のひどい痛みは、亜脱臼ではなかった。
ということにする。
たぶん、若い整体の先生はそういうふうにもっていったのだ。
ひとことも病名を言わない。患部を指摘しない。
全体のバランスのどことどこに関連ポイントがあるというのを教えてくれて、マッサージしたり運動したりで整えただけ。
もちろん痛みはすぐに治まらない。
けれど、改善の方向に向いていると実感している。若い整体の先生はその方向をはっきりさせてくれた。
それで十分。
もしも大学病院に行って、MRIを撮って靭帯の損傷を見つけたら、病名が付いただろう。
下手したら手術することになったかもしれない。
そこまでゆかなくても、痛み止めや関節を軟化させるクスリを飲まされたかもしれない。全体のバランスとは関係なく。
自から治ろうとするチカラを発見するって大事だ。
”私”のないところでチカラが働いている。”私”もそれに協力する。

老撾高幹龍珠2019年・秋天 その4.

製造 : 2019年10月20日から27日(采茶)
茶葉 : ラオス・ポンサーリー県・孟臘県漫撒山(旧易武山)天門山寄り
茶廠 : 瑶族の農家+義烏人
工程 : 生茶
形状 : 龍珠 約8.5g
保存 : 密封
茶水 : 京都の井戸水
茶器 : 宜興の茶壺・チェコ土の杯・鉄瓶+炭火

お茶の感想:
ラオスの高幹の”龍珠”版を飲む。
義烏人が加工したもの。
圧延加工が違うだけで、自分が餅茶に加工した”青餅”版と同じ原料の茶葉である。
味や体感も異なるなずなので、加工の違いが注目のしどころだけれど、関連記事としてひとつにしたいので、前回からつづく”その4."とした。
今後はタイトルの一部分の”青餅”と”龍珠”のところだけが変わる。
龍珠
龍珠
8gと聞いていたが、測ってみたら8.8gもあった。
たぶん8.1gのもあれば9.0gのもあるだろう。
微調整ができないので、とにかく8.0gより少なくならないようにと、義烏人は考えたわけだ。
中国では龍珠は重量で量る。
例えば200g分とか。基本たくさん買うから一粒いくらとは量らない。
重量いくらとすると価格は公平になるが、一粒いくらにしたら重さが違ってきて不公平になるな・・・。
一粒ごとにするなら、例えば二粒をあわせての重量でバランスを取るしかないか。
小さな龍珠への加工は、個人的には否定的で、餅茶のサイズがあったほうが味も体感も保存熟成にもよいと考えているが、このお茶は別格。
義烏人は龍珠にすることを想定して殺青の火入れ具合を浅めに仕上げている。
その効果もちゃんと現れていると思う。
いずれ餅茶と飲み比べしてみるが、少なくとも一年くらい熟成してからにしたい。
茶器
龍珠
話は変わるが、茶机の道具の配置をちょっと変えた。
冬の寒い室内(暖房はオイルヒーターのかすかな暖かさのみ)で足が冷たいので、瓶掛を机の下の足元に置くことにした。足はポカポカ。
炭の火はやさしいので、50センチほど上にかぶさる机の板を焼いたりはしない。
寒い季節のお茶を美味しくするには、室温が18度もあればよいと思う。
部屋の中で厚着をして、熱いお茶をフーフーして飲むのだ。
宜興の急須
龍珠は、煎じる器が思案のしどころ。
8.8gも茶葉があって、煎をかさねると大葉種の極みのような葉がひらいてくるのだから、茶壺を選ぶ。
蓋碗は口の大きくて便利だけれど保温力がないから、何煎もしてからグーッと茶葉の内側の成分を引き出すにはチカラ不足。
とりあえず万能の古い宜興にした。
龍珠の性質上、おのずと長く蒸らす”闷泡”になる。
8gもある茶葉がギュッと飴玉くらいに圧し固められているのだから一煎・二煎では開かない。
ギュッと圧し固めるために、茶葉が柔らかくなるまで長時間蒸しているので、一般的にはそういう味に仕上がるが、この龍珠は全行程の火加減を調整されていて、そこまで深蒸しになっていない。
もしかしたら、自分が加工した餅茶に比べたら、龍珠のほうが浅蒸しじゃないかな?と思う。
2煎め
新しい生茶の多くは、高温の湯で長く蒸らすと渋味や辛味が嫌味になりやすい。近年の摘みすぎ傾向で茶樹が弱って、茶葉の性質がそうなっているから。というのが一番の原因と推測している。
その点で、高い幹には高温で長時間蒸らしに耐久性がある。
熱々の湯でじっくり蒸らすと、トロンと甘い水質になる。
5煎めくらいで茶壺の口からあふれんばかりに茶葉が開いた。
こうなったら湯を足せる量が減ってくる。
葉底
ひとりかふたりで一日かけてずーっと飲むのならこれでよし。多くの人数で分けるには茶湯が少なすぎるから、もっと大きめの茶壺がよくなる。
餅茶を崩して淹れたら、だいたい5煎めくらいに出てくる苦底の味が、龍珠では8煎めくらいにやっと出てきた。
でも、これもいいかも。
さらに煎をすすめると、舌にピリピリする辛味がでてきた。
餅茶にしたのはピリピリがもうちょっと落ち着いている気がする。
でも、これもいいかも。
「辛味がダメ」とは言っていない。
心地いい辛味と嫌な辛味があるということ。
その違いは飲めば誰でもすぐにわかる。けれど、言葉で詳細に語るのはバカらしい。言葉はそこまで信用に足るものじゃないからな・・・。
感じるだけで十分。
お茶を飲むことそのものの良さを、高い幹のお茶は滔々と語ってくれる。言葉を使わずに。
舌先に意識を向けたり、身体の変化に気付いたり、試飲のための技術などまったく要らない。
美人と眼が合ったときみたいに、一瞬で伝わるものだから。
途中で外出したり、仕事したり、しばらく放置しておいて、夕方になってからつづきを淹れた。
読書
もう15煎を超えているだろう。
まだ出る。これから長い夜をともにする。
さすがに生茶をこれだけガブガブ飲んだら眠れないだろうから、今夜は読書でもする。

ひとりごと:
中国人が観光で日本に来て、行儀の悪いところがあったら、すぐにその場で注意すればよいのだ。
それで気分を悪くする中国人はほとんどいないはず。
「あ、そうですか知りませんでしたすみません。」くらいのこと。
あんがい謙虚で、むしろ知らないことを教えてもらって感謝しているはず。
知らない人に注意をするのは親切というもので、なにも言わないのは不親切だと思う。
注意したりされたりは、中国の日常ではふつうのことで、ムカつく余地はどこにもない。
ところが日本人の多くは、注意された相手の気分を悪くさせるのではないかと心配するのだよな。
その心の負担で勝手にムカムカしている。不親切な上にムカついているわけだ。
たとえ親切のつもりで注意をしても、「オレの気持ちを煩わせやがって・・・」と内心で怒っている。
「いいことをした」と、幸せな気持ちにはなりにくい。
そんな感じがするけれど、どうだろ。
なんでこうなる?

老撾高幹青餅2019年・秋天 その3.

製造 : 2019年10月20日から27日(采茶)
茶葉 : ラオス・ポンサーリー県・孟臘県漫撒山(旧易武山)天門山寄り
茶廠 : 瑶族の農家+義烏人
工程 : 生茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 農夫山泉
茶器 : チェコ土の茶壺・景徳鎮の茶杯・鉄瓶+炭火
泡茶
炭

お茶の感想:
肩が痛い。
もう4ヶ月つづくが、途中から痛みのタイプが違っていて、症状をネット検索したら"亜脱臼"というやつだとわかった。
ヨガとか按摩が逆効果なわけだ。むしろ傷めていたわけだ。
昨年の11月の圧餅で重い石型を上げ下げしたときに靭帯を損傷したのだと思う。
幸い、激しい痛みがきたら自分で治せる。
めまいしそうな痛みに耐えながら、脇の下の肋骨あたりに指をあてて強く圧すと、なぜか痛みが収まる。おかげで肋骨あたりが青あざだらけになっている。
しばらく安静にするしかないな。
シーズンオフでよかった。
ラオスの高幹の茶樹のある森に入るのは4月に延期した。2月は間に合わない。
4月はちょうど采茶の季節だから、いきなり現場でお茶づくりを手伝うことになるけれど、そんなのは慣れている。条件が整わない中でいい仕事をする。みんな同じように条件が整わない中でやっているのだし、現場で瞬時の工夫と判断が大きな差をつける。そこには自信がある。そのときだけ天才になるから。
この地域のお茶づくりは体力勝負なので、農家もメーカーの職員もみんな若い。
いつのまにか現場では一番年上になっている。体力の限界は過ぎているから今年が最後と思って現場に向かっても、また新しい興味が湧いて、つぎにつながってしまう。
ただ、ちょっと変化の兆しが見えてきた。
2020年1月2日・3日・4日の上海の試飲会で、ひとつはっきり見えたことがある。
高幹のお茶を飲みだしたら、みんなもう他のお茶はいらなくなる。
例えば、ふたつめに出そうものなら、用意していた他の何種類ものサンプルを試さないで終わる。もしくは、たとえ試しても、ひとくちかふたくちで「また戻りたい」とリクエストが出る。
子供
子供にもわかる。
味の問題じゃない。体感の問題。
高幹のお茶を飲んで気持ちよくなったら、もうそこから降りられないのだ。
あんな味もこんな味も試したいという興味は理性的すぎて、快楽には勝てない。
味にはあれこれ個人の嗜好があるかもしれないが、体感はひとつ。みんなが良いかそれほどでもないか。心地よい音色に反応するようなもの。
自己評価的には、この秋の『丁家老寨紅餅2019年・秋天』などは手応えがあったのだ。もしかしたら高幹ともいい勝負するのじゃないかと思ったりしていた。
でも、比べたらもうぜんぜん。遠い遠すぎる。製茶の技術を過信していた。
チカラを注いでつくったお茶なのに、こんなにも天地の差がひらくなら、今後は高幹と同じレベルの素質の茶葉が手に入らないかぎり、製品化するのはやめておこうかな・・・
時間と労力がむなしい。
製品にしたら誰かに売らないといけないし。
熟成のために器と場所を用意しないといけないし。
販促のための活動もしないといけないし。
誰かの手元に渡ってからも、ちゃんと美味しく飲めているのか心配だし。
いや、そうしたことぜんぶがお茶なのであって、自分はその要所要所でできることをしたらよいのだけれど、その仕事は自分じゃない。そこは天才じゃないし。
「値ごろなお茶ありませんか?」
義理チョコみたいな義理お茶を欲しがる友人たちには悪いけれど、昨年の秋の『巴達生態紅餅2019年・秋天』が最後だ。
義理お茶のために肩を傷めていたのでは割に合わんからな。
上海試飲会

ひとりごと:
写真を一枚も撮らなかったけれど、久々に香港に行ったのだよな。
香港島のど真ん中の高層ホテルにした。
高いところは高いところなりのアホらしさにつきあってみた。
パリッとしたスーツ姿の西洋人が多かった。もしかして10年前よりも外人が増えている?
お昼の時間の公園におしゃれなオフィスワーカーたちがどっと出てきて華々しかった。公園だけじゃない。ハイブランドの広告でピカピカの大通りにも、高層ビルを渡る長い長い通路にも、地下鉄駅にも、おしゃれなお金持ちがあふれている。
この狭い土地にチカラとか気とか運とかが集中している感じ。空気が濃い感じ。林立する高層ビルの間を大きな龍が舞っていてもおかしくない。
この人達、基本的になにも生産せずに、たいしたサービスもせずに、なんらかの理屈をこねて金利という数字を増やすだけでめしを喰っているのだよな・・・。

意識と無意識について その2.

川を見ていたのだ。
+【ずっと川を見ているのつづき】
そのとき、なにやら様子がおかしくなっているのに気付いていた。
もちろん正気である。
クスリなんてやっていない。
酒に酔ってもいない。
川の流れのキラキラのほうに手をかざしていると、だんだん手の輪郭がはっきりしなくなる。
メコン川
”千と千尋の神隠し”のシーンで、神の国に紛れ込んだ千尋の手が半透明になってゆく・・・あの感じ。
自分は川だったのだ。
そこには川があるだけで、そもそも自分の存在なんてない。
川の魚も、川を渡る鳥たちも、岸に住む動物たちも、虫たちも、川の流れがぶつかる岩も、底を流れる砂も、そして自分も。みんなひとつの川であって、それ以外のなにものでもない。
人間以外の生命や、生命がない鉱物なども、すべては一人称を持たない。”私”が存在しないのではないかな?
例えば、ライオンはサバンナの大地として野牛を食べて、野牛は食べられてサバンナの大地のままでいる。
”私”がなければ、死なない。
減りもしない増えもしない。
”私”がなければ戦争もない。
所有や支配の概念がないから、だから動物も植物も人間のなすがままをゆるしているのではないかな?
死なないのなら、天国も地獄もない。
川が流れて海に注いで蒸発して雲になって雨になって山に戻って・・・と終わりなくつづくなにかであって、どこからどこまとか、過去とか未来とか、距離や時間の概念さえもあやしくなってくる。
例えば、1万年後に川がなくなったとしても、別のなにかになってつづいている。地球が爆発して星クズになっても、まだつづきはある。
朝日
神様というのは、自分の外側にいると思っていたけれど、”私”がないということは外側も内側もないのだから、居場所がないよな。
それでも無理やり居場所をつくるとしたら、自分と神の境目はない。
やっぱりな。
ときどき自分は神じゃないかと思うことがあったのだ。
お茶づくりという小さな仕事にも、理屈に合わないすごい才能が発揮されることがあった。
でもそれは、”私”のものじゃなかった。
残念ながら”私”の特別な才能や運命ではなくて、宇宙のあらゆるところで起こる自然現象のひとつにすぎなかったわけだ。これまでの人生に起こったすべてのミラクルは、川岸で葦の葉がゆれるのと大差ない。そこらじゅうにある現象だったのだ。
”私”という概念を、昔の誰かがつくって、そこから人間の歴史がはじまっている。
脳にもう一つのバーチャルな世界が構築されている。”私”というのがある世界。
”私”だけでは世界が構築できないから、”私”を元にして他のいろいろな概念を増殖させて、世界がウソっぽく見えないようにしているけれど、不安を感じるのは仕方がない。地盤となる”私”の存在があやしいのだから。
Youtubeを見ていたら、ある医者がこんな話をしていた。
「ガンを治したい医師が、かえってガンをつくってしまう」。
ガンという憎むべきもの、排除したいもの。対局の構造をつくっておいて、クスリや医療技術や保険や、そして経済を発展させる。世界中にガン患者を増やし、ガンの原因を増やし、おおいに戦ってしまう。そもそも自分の中にある細胞の一部で、私もガンも同じなのに。
えらく大きな話になってしまったけれど、今、自分の目前にある小さな課題、「良いお茶とはどういうものか」をつきつめるには、どうしても”私”というのがあるインチキ世界を、自分の脳に構築されているウソを、理解しておかなればならなかったのだ。
自分を意識する脳をスルーして、自分の無い無意識の、リアルな世界に通じる。
カンタンではないだろう。
おそらくこの過程で、言葉のもつ作用。”私”という概念をつくることのできる強力な作用について理解する必要がある。
次はそれについて考えてみる。
つづく。

ゆるいめの試飲会・1月2日・3日・4日 上海

このイベントは終了しました。

上海でお茶を淹れます。
とくにテーマなく、ゆるいめの試飲会です。
中国語と日本語のミックスです。

日時:
※時間中の出入り自由です。
1月2日 14時から18時
1月3日 14時から18時
1月4日 9時から12時

場所:
上海 天山茶城 1階のお店
中山西路520号天山茶城1252 云元谷 
玉屏南路側の天山茶城正門から入ってまっすぐ35メートルほど進んだ右側の店。

茶単:
丁家老寨紅餅2019年・秋天 (紅茶)
丁家老寨青餅2019年・秋天 (生茶) 
老撾高幹晒青茶2019年・秋天 (生茶) 
巴達生態紅餅2019年・秋天 (紅茶)
巴達怕司白茶 2019年 秋  (白茶)
巴達一芽紅茶2019年・秋天 (紅茶)
香椿林青餅2016年 (生茶)
版納古樹熟餅2010年 (熟茶)

意識と無意識について その1.

オリジナルのお茶の多くが一天一采(ある一日に摘んだ茶葉でひとつのお茶をつくる)になっていて、これのなにが特徴かというと、写真のような一瞬を切り取って見せているところだろうな。
例えば、春の森のここぞというシーンをパチリと切り取っている感じ。
春というテーマがあったとして、みんなはなにを撮るだろう。
桜を撮るようなベタなのはわかりやすいけれど、ちょっと絵心のある人なら、春をあからさまに象徴しない被写体を選ぶのじゃないかな。
例えば、海の水平線あたりの遠くの波がキラキラ反射しているだけの写真だとする。抽象的だけれど、たしかにその光は夏でも秋でも冬でもない。ちゃんと春を感じることができる。
べつに海じゃなくてもいいのだ。ただ窓から部屋に射し込む光だけでもいい。
なぜ、わざと春を象徴しない被写体にするのかというと、眼球から入った信号が、言葉で理解しようとする脳をとおり越して、もっと深いところに潜入してほしいからだろう。
無意識のところ。意識している自分じゃないところ。
なぜかその脳は知っている。
たとえ海を見たことのない人でもわかる。
もしかしたら春をはじめて経験する赤ちゃんでも、写真に写っている春を認識できかもしれない。
光の信号でなくてもいい。音でもいいし、皮膚感覚でもいいし、香りでもいいし、味でもいい。
経験しなくても知っている。
外とつながっている。
過去とつながっている。
もしかしたら未来ともつながっている。
自分の中に神がいる。
滑竹梁子
滑竹梁子
(写真:滑竹梁子の森の古茶樹)
小さな存在であるけれど、正しくありたいと願っている。
ほんとうはみんな正しくありたいけれど、意識しているところはウソをついたり騙されたりしやすい。意識できるところのほうがカシコくてエライと勘違いしているし、勘違いしているとわかっていても、その呪縛から抜けるのは容易でない。
大人になる過程でそういうふうに教育されている。
弱いのだ。
人間社会が歪んだり、自然環境と調和できなかったり、不健康な状態をいつまでも正せないのは、意識に支配されているからだろ。ひとりひとりの中で、どこかで負けている。
無意識のところと通じる機会を増やして、時間を増やして、チカラの均衡を取り戻さないといけない。
世界中のおびただしい数のアーティストが、無意識のところにみんなを導く努力をしている。自分が何者かわからないまま正しくありたいと願っている。
それでも世界は変わらなくて消耗戦になって勝てる気がしないけれど、闘いを放棄してはいない。
そっち側のひとりのつもりだ。
最近たびたび「自分のお茶づくりは最強でっせ!」と自画自賛しているのには、こういう根拠がある。
勝てないかもしれないけれど負ける気もしないのだよな。自分の中のことだし。
さて、
なぜこんな話をはじめたかというと、ある問題への気付きがあったから。
良いお茶とはどんなお茶か?
仕事上、ふだんたくさんのお茶を飲んで、比べて、瞬時に判別している。
これは良い。これはダメ。
でも、なぜ良いのかダメなのか?
説明しようとしたとたんにウソが発生してしまう。話をつくってしまう。ホントウのことを言おうとしているのにウソになるジレンマ。
自分で自分がイヤになりかけていたわけだ。
なぜこんなことになるのか?
ある日ストンと理解できたのだけれど、そのきっかけとなったエピソードはつづきの記事”その2”で話すことにする。

つづく。

孟海旧家紅餅2019年 その1.

製造 : 2019年3月(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県孟宋山小茶樹
茶廠 : 愛尼族の農家
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納
茶水 : 孟宋山の山水
茶器 : 白磁の蓋碗・景徳鎮の茶杯 鉄瓶+電熱
孟宗
ベランダ
山
道
上
茶地
茶葉
人
茶樹

お茶の感想:
孟宗山の農家の若者のところに3泊した。
農閑期になったら遊びにゆくと約束していた。
愛尼族(アイニ族)の正月は1月1日前後。今回は12月28日らしい。
村はその準備で、みんなのんびりしていた。
お酒つくったり、豆腐つくったり、美味しいもの食べたり。
玉蜀黍
焼酒
酒
火
煮魚
豆腐
豆腐
ひとつ気になっていたのが紅茶づくりの問題。
2018年のはよかった。
+ 【孟海旧家紅餅2018年 その1.】
ところが、2019年の春の紅茶がダメだった。
なぜか酸っぱくなった。
圧餅を失敗して水で濡らしたときに似ている。
【巴達生態紅餅2019年・秋天 その2.】
農家に2017年の紅茶のサンプルが残っていたので、これと比べてみた。
崩し
泡茶
葉底
左: 2017年
右: 2019年
やはり2019年のは酸っぱい。バランスが悪い。
圧餅のときに水で濡れたような、同じような状況はなかったか?
ひとつひとつの工程を確かめたら、心当たりが出てきた。
布袋で軽発酵するとき。
布を絞って圧力をかけて茶葉を緊密にしていた。
農家のスマホにその写真が残っていた。
布軽発酵
布袋の軽発酵を8時間して、取り出したところ。
これまでしたことのないくらいしっかり圧力をかけて緊密にしたらしい。
外側は赤黒く変色して、ちゃんと軽発酵している様子。
外
ところが、内側は変色していない。
そう。この色。
水に濡れて圧餅したときの茶葉に似ている。
中
これだな。
緊密にしたほど良いと考えたらしい。
空気が適度に通らないといけなかったのに。
わかってよかった。
ほっとした。
貯水池
日光浴
お茶
お酒
料理

ひとりごと:
農家の若者は昨年まで貧しかったのに、大口顧客をつかまえて飛躍した。
来年はもっといけそう。お茶は稼げる農業。
でも、今の50代や40代の人たちのような大量消費の価値観はない。
大きな車を買ったり、何軒も家を買ったり、できるようになってもしないだろう。
お金に余裕ができたら海外旅行をしたいらしい。
足るを知りはじめた30代なのだ。

巴達生態紅餅2019年・秋天 その2.

製造 : 2019年10月23日・24日采茶
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山賀松寨小茶樹
茶廠 : 農家+店長ふじもと
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 乾倉
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 白磁の蓋碗 グラスの茶杯 銅瓶 電熱
巴達生態紅餅2019年・秋天

お茶の感想:
このお茶、出品することにした。
半年以上寝かしてから。
+【巴達生態紅餅2019年・秋天 その1.】
前回の記事では”渋い”と書いていたが、今飲んでみるとそれほどでもない。
味がまとまって美味しくなった。甘味ものってきた。
10月24日の采茶分だけにしようと考えていたが、前日の23日のも圧餅してみると美味しくなったので、合わせることにした。合計で56枚だったかな。
圧餅のときに2枚失敗している。
蒸すときに蒸し器の蓋についていた水滴が落ちて、布ごしに浸透した。
変色しているところがそう。
濡れた餅面
拡大
崩し
ほんのちょっとの水滴を吸ってもこうなる。デリケートなのだ。
意外に、蒸すときの蒸気の水は多くない。例えば、蒸しパンは外も内もフワフワで、濡れるというほど水分を含んではいない。茶葉も同じ。
圧餅
圧餅
茶葉が濡れると酸っぱくなる。
製茶時に水がかかるとダメージになる。なので、晒干で仕上げるお茶は天候のリスクが大きい。雨に打たれたらおしまい。農家が半透明のボード越しに晒干するのが標準になったのはこのためである。
どのくらい酸っぱくなるのか比べてみた。
蓋碗
茶海
茶湯
左: 水滴のかかった茶葉
右: 水滴のかかっていない茶葉
水滴のかかったのは明らかに酸味が際立って、香りや甘味などが弱くて、バランスが悪い。
茶湯の色は少し濁っている。舌にざらつく渋味もある。
しかし、酸味だけに注目してみたら、水滴のかかっていないほうもけっこう酸っぱいわけだ。
味はバランスで、全体的にまとまって美味しいから気づかないだけ。
ここに注目してみる。
気にならないだけで、軽発酵のお茶はどれもあんがい酸っぱい。
なので、軽発酵を意図的にすすめている当店の生茶も、実は酸っぱいはずなのだ。
祁門紅茶と比べてみた。紅茶の優等生。
もらいものだが上等のやつだと思う。
祁門紅茶
泡茶
美味しい。
でも、やはり酸っぱい。
同じくらい酸っぱい。
酸味に注目したらのことで、ふつうに飲んでいたら気が付かない。
祁門紅茶の場合、乾燥のための火入れによる焙煎っぽい香ばしさと、新芽の旨味からくる甘味と、うまく調和して酸味が目立たない。
むしろ酸味がなければ味が引き締まらないだろう。
このお茶『巴達生態紅餅2019年・秋天』は、複雑味で調和している。
鮮味のスパイス、メントールの涼しい刺激、渋味、苦味、大柄な葉っぱと茎からくるおっとりした甘味。祁門に比べたらにぎやかだ。
2019年の春に農家の若者がつくった『孟海旧家紅餅2019年』と比べる。
孟海旧家紅餅2019年
孟海旧家紅餅
これがいまひとつで、仕入れることはなかった。
昨年の2018年の春のは散茶の段階で仕入れて、自分で圧餅して、なかなか良かった。
+【孟海旧家紅餅2018年 その1.】
なのに、なぜ2019年のはダメなのか?
今、酸味に注目してみると、明らかに酸っぱい。
水滴のかかったのと似ていてバランスが悪い。
苦いハーブのような高山の薬味がすばらしいけれど、それだけではバランスがとれない。
原料の良し悪しじゃない。ハズレ年・アタリ年の問題じゃなかったのだ。
製茶の軽発酵になにか問題がある。
水滴のかかったような状況が製茶のときにあったはず。
左巴達右孟宗
左巴達右孟宗
左: 巴達生態紅餅2019年・秋天
右: 孟海旧家紅餅2018年
こうして比べると、意外と軽発酵は『巴達生態紅餅2019年・秋天』のほうがすすんでいる感じ。茶湯は赤いし、葉底の緑の残った部分も少ないし。
水が掛かったから、軽発酵がよりすすんで、酸っぱい・・・という単純なものでもなさそう。

ひとりごと:
すっかり冬になった。
西双版納なのに昼間の気温17度。寒い。
空

丁家老寨青餅2019年・秋天 その2.

采茶 : 2019年11月12日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)丁家老寨古茶樹
茶廠 : 農家+店長
工程 : 生茶のプーアール茶
形状 : 餅茶
保存 : 乾倉
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の茶壺+チェコ土の茶杯+銅瓶+電熱
泡茶
茶湯

お茶の感想:
このお茶美味しい。
誰にでもわかる美味しさ。
甘いし、香ばしいし、柔らかいし、清々しいし。
秋から冬になる冷たい空気。晴れて高く青い空。そのもののお茶の味。
前回の記事では、渋いとか酸っぱいとか書いていた。
+【丁家老寨青餅2019年・秋天 その1.】
なので、ホントかな?・・・と思って、昨日から続けて3度淹れて飲んだ。
でも、やはり美味しい。
評価ミスだった。
圧餅後にちゃんと乾燥しきっていなかったのだろう。
自分でこう書いている。
圧餅はお茶づくりの一工程で、ここで明確に変化させたほうがよいと考える。
散茶の美味しさが消えて、餅茶の美味しさが出てくる。
どうも近年は散茶の美味しさをそのまま餅茶にしたいようなところがあって、メーカーの技術をみても成形だけが目的になっているような感じがするが、これは間違っている・・・と仮定する。
味がはっきり変わるくらい火(熱)を入れたり圧して揉んだりしているのだから、ということは、茶葉の変化のショックもそれなりに大きい。例えば、一般の餅茶が圧餅後の風味が落ち着くのに5日かかるとしたら、ウチのは10日かかって当然だろ。
茶葉の本質がだんだんとわかってくる。
時間がかかる。
前回の記事で「殺青には問題ない・・」と書いていたが、やや焦がしている。ややしっかり火が入っている。
葉底
葉底に比較的緑色がキレイに残っている。
焦げは気にならない程度。火入れしすぎて豆を炒ったような緑茶風味は出ていない。ど真ん中の生茶風味を保っている。
しっかり火が入っているけれど、ちゃんと軽発酵している風味。
丁家老寨やその隣の張家湾の農家の習慣で、けっこう粗い茶葉や長い茎を新芽・若葉といっしょに摘んでおいて、製茶してから後で選別する。
これが良いのかもしれない。
もしも新芽・若葉だけで炒ったら、乾燥するのが早すぎて緑茶っぽくなる。
烏龍茶づくりでは、茶葉がかなり成長したときに采茶のタイミングがくるが、これは軽発酵をすすめるのに十分な水分を確保するためだろう。
そうすると、自分の考えていたことは逆になる。
春のお茶はとくに、新芽・若葉のなるべく柔らかく小さいのを採取しようとしていたけれど、これにこだわると軽発酵がうまくすすまずに、緑茶っぽくなりやすい。
餅面
生茶を”青餅”と呼ぶ”青”の意味は、烏龍茶(青茶)のような軽発酵度を示していると解釈している。そうすると、采茶は一芽三葉くらいに大雑把にして、製茶が終わって乾いてから新芽・若葉だけを摘出するほうがよい。
その新芽・若葉はちゃんと軽発酵がすすんでいる。
これ、けっこう大事なところ。
近年のプーアール茶っぽくないプーアール茶は、これについて考えが足りないのじゃないかな。
泡茶
この美味しさは、2012年の秋を思い出す。
ブログにもサイトにも登場しないが、2012年の秋に丁家老寨で生茶をつくって、たしか180gサイズの餅茶にして20枚あった。上海ですぐに売り切れた。
餅茶の写真があった。
たぶんこれに違いない。
表
裏
色調がちょっと違うのはカメラが違うせいだが、それにしても”青餅”らしい色をしている。
2012年の秋の写真に、このお茶をつくった一部が残っている。
+【易武山丁家老寨 秋天】
さらに探してみたら、圧餅の写真にこのお茶を見つけた。
渥堆軽発酵
晒干
圧餅
晒干
晒干している真ん中あたりにある小さめの餅茶がそう。
両脇の大きめの餅茶はなんだったのだろう?思い出せない。
このときは、数年に一度しか当たり年が巡って来ないことをまだ知らなかった。
なので、つづけて2013年の秋にも丁家老寨に行ってお茶をつくったけれど、2012年の美味しさには及ばなかった。
これだな。
+【漫撒山秋の散茶2013年 その1.】
今年、2019年の秋は全体的にはそれほどでもないので、”当たり年”ではないかもしれないけれど、晩秋の最後のギリギリを狙った効果はあったのじゃないかな。
秋の味わいが表現できたと思う。
めでたしめでたし。

ひとりごと:
正月に上海に行くことになった。
また天山茶城の友人の店を借りてお茶を飲めるようにするつもり。
無料ではないけれど・・・。
詳細は後日。
よろしく。

老撾高幹青餅茶2019年・秋天 その2.

製造 : 2019年10月(采茶)
茶葉 : ラオス・ポンサーリー県・漫撒山(旧易武山)天門山に近い
茶廠 : 瑶族の農家+義烏人の茶商
工程 : 生茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の茶壺・チェコ土の杯・鉄瓶+炭火

お茶の感想:
このお茶のつづき。
+【老撾高幹晒青茶2019年 その1.】
圧餅した。
180gサイズ5枚
余った110gほどの1枚。
この小さめの1枚を試飲用にした。
高幹表
高幹裏
圧餅は、ちょっと長いめの10分間蒸した。
製茶のときの殺青の火(熱)が控えめにしてある分、圧餅の蒸しで調整したつもり。
餅形がわるい。
まるくならない。
繊維が違うのだな。たぶん。
5枚ではコツがつかめないので、餅形の整わないのは仕方がない。
高幹上
高幹下
この茶樹を見に行くことにした。
といっても、すぐには無理。
体力がない。
トレーニングするところからはじまる。最短でも2ヶ月はかかるかな・・・。
片道5時間と聞いていたが、これは走ってのこと。ベトナム戦争の映画に出てくる密林を走るゲリラのスピードで。
そんなことできるのは義烏人の茶友と地元の瑶族だけ。
慣れない自分なら8時間はかかるだろう。
しかも、8時間では目的地に着かないことを考慮して泊まるらしい。
1日目:村から茶地に向かう途中でキャンプ。
2日目:キャンプ地から茶地に入る。茶地から帰路の途中でまたキャンプ。
3日目:キャンプ地から村へ戻る。
という計算。
そうなのだ。
采茶も日帰りではなかったのだ。
どおりで、20日間かかって7キロしかつくれないわけだ。
こんなスケジュールになる。
采茶を午後2時には終わって、足の早い人が鮮葉を担いで走って、村に着く頃は日が暮れている。一晩萎凋させて、翌日の早朝から殺青と揉捻。正午までには晒干をはじめる。昼食後に、つぎの鮮葉を採りに出発する。行けるところまで行って一晩キャンプして、翌日の早朝に茶地に入って采茶する。采茶を午後2時には終わって・・・・。その繰り返しの20日間。
自分にはこの仕事は無理だ。体力がもたない。年齢的にも限界。
森の上
森の下
過去にもっとも山歩きしたのは一扇磨だったかな。
+【一扇磨 古茶樹 写真】
このとき一日8時間は歩いたと思うが、次の日は筋肉痛で山歩きなんて無理だった。
一扇磨への道は草刈りくらいはしてあったが、ラオスの山は道がない。
道なき道の経験は巴達山の茶王樹の裏山に入ったときだった。
+【巴達山 茶樹王の森】
熱帯雨林。びっしり緑で埋まった密林へは一歩も入れない。道のかわりに沢の流れをつたって入った。
たぶんラオスもこんな感じなのだろう。
義烏人は現在またラオスに入っていて、ときどきスマホから写真などを送ってくる。
また新しく未開の茶地を発見したようで、10メートル超えの高幹の茶樹が100本は群生しているらしい。
そこも村から1日では行けない遠いところ。
「せめて村から4時間くらいで見物できる高幹はないの?」
すぐに、これがアホな質問だと気が付いた。
一本すらっと上に伸びる高幹は、茶樹が生まれてからほとんど采茶されなかったことを示している。例えば樹齢が300年なら、もしかしたら300年間誰も采茶していないことになる。人間と出会ったことがない茶樹。
そんな場所、村の近くにあるわけない。
お茶として飲めない野生種の茶樹なら、村の近くにあってもおかしくない。
しかし、これはどう見てもどう飲んでも、美味しく飲めるお茶の品種。
鮮葉
歴史では、西双版納からラオス・ミャンマーにかけての山岳地帯が、人間とお茶がはじめて出会った場所と推測されている。
人間がはじめて出会った、そのときの森。そのときの茶樹。そのときのお茶の味。そのときの体感。
近づいている。
西双版納側の弯弓や刮風寨の国有林の中にも高幹は少し残っている。このブログでも出会ったやつを紹介してきた。しかし、これらはもう何年も前から采茶されていて、性質を変えていて、味も年々変わってきている。
いずれ、ラオスのも何年か続けて采茶されて、性質を変えてゆくだろう。
なので、今すぐ行かないと・・・。
泡茶
葉底
茶湯
で、来年3月には必ず行くつもりだが、その後どうする?
もしかしたら製茶を手伝うことになるかもしれないし、ラオスに製茶設備の投資をするかもしれないし、いっそうのこと西双版納から引っ越すことにするかもしれないし。
ま、そんな先のことはどうでもいいこと。
あと3ヶ月ほど。
この間はラオスの茶樹に出会うことを最優先して、まっすぐ生きることにする。

ひとりごと:
肩がまだ痛いのだよな。
こういう不安要素をできるだけ消しておきたい。
山に入って歩き疲れると、足の踏ん張りがきかなくなって、あちこちに体をぶつけて、打ち身や擦り傷が増える。
そして、ふとこんな考えがよぎる。
もしもここで倒れても、村まで自分を運ぶには人手が足りない。誰かが村人を呼びに戻って、何人か連れてきて担いで帰るにしても、夜道は動けない。ということは少なくとも2日はかかる。虎や象のいる森で、動けないまま夜を過ごすのか・・・。
おそらく、案内する現地の瑶族も同じ心配をするはず。
なので、「この人なら行ける!」と心配させない体造りをしておかないとな。
がんばる。


茶想

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