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紫・むらさき秋天紅茶2011年 その12.

製造 : 2011年10月17日
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 茶缶
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興土の茶壺(秋水)・チェコ土の杯 鉄瓶・炭火
朱泥
朱泥
葉底

お茶の感想:
このお茶は、”あっち”のお茶だった。
+【紫・むらさき秋天紅茶2011年】
”あっち”のお茶については以下の記事を参照。
+【”こっち”と”あっち”】
2011年の秋の采茶なので、8年とちょっと経っている。
もしも8年前に”こっち”と”あっち”を見分けるチカラがあったら、もっと早くに気付いたはず。熟成による変化で”こっち”と”あっち”が入れ替わることなどないと推測しているから。
”陰”の気配のあることには、1年ほど前から気付いていた。
茶湯
そのときはそんなものかと思っていたけれど、よく考えてみたら不思議なのだ。”陰”の気配やら”あっち”感やらの出てくる原因が不明。
つじつまが合わない。
秋の茶葉である上に、2011年の秋は雨が多くて当たり年ではない。
刮風寨の深い原生林の森の”陰”の環境が宿る、というほどの深い森でもない。どちらかというと強い太陽の当たる明るいところ。
茶樹
ここ。2011年10月の巴達山曼邁寨古樹の茶地の写真。
紅茶の製茶でもっとも労力のいる揉捻は、手作業でしないで機械でしている。機械のリズムが宿っているはず。
圧餅加工の乾燥はメーカーの設備で熱風乾燥だった。自然乾燥で何日も待たずに24時間で乾いた。
保存熟成は特別ではない。同じ保存環境の同じ巴達山の紅茶(オリジナルが何種類かある)はどちらかというと”こっち”感の強いのが多い。
もしかして・・・・昨年くらいからちょっと気になりだしているのだけれど、もしかして采茶のときの”月”の満ち欠けが影響している?
と、思って写真ファイルを探してみたら、采茶の次の日の月を撮ったのがあった。
月
2011年 10月18日 9:16:56
え、朝の空の月だったのか。
半月くらいに見える。
ふーん。満月とか新月じゃないのだ。
ま、いい。
ゆっくり因果関係を探ってゆく。焦って急ぐと、つくり話をつくってしまうからな。その自覚もなく。

ひとりごと:
この熟成壺、どの茶葉を入れよかな。
熟成壺
チェコ土。薪火。マルティン・ハヌシュ作。

”こっち”と”あっち”

2020年2月2日の勉強会「ゆるいめの試飲会」のことを記録しておきたい。
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店長が個人的に、手元の茶葉の整理のために、しばらく飲んでいないお茶をメインに、勝手に淹れて飲みます。
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という趣旨であったが、茶葉の整理などは自分ひとりでできることであって、それをわざわざ勉強会と称して人を集めて行うには別の目的がある。検体となる他人が必要な目的。
今回は、”陰”と”陽”がはっきり分かっていないお茶を、はっきりさせたかった。
お茶は体感。それと、心の動き。
お茶の知識や味や香りに囚われず、その奥へまっすぐにすすんで向き合う。
けっこう集中力のいる作業になる。
なので、ほんとうはおしゃべり無用。お茶のことを説明してもいけない聞いてもいけない。ただただお茶を飲んで体感と心の動きに注目する。3杯ほどつづけて飲んでからやっと判定を下す。というのが理想だったが、参加者が少なかったので集中しやすかった。人数が多いとこのへんのルールを設定したほうがよいだろう。
さて、飲んだお茶は以下のとおり。
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+【南糯蜜蘭青餅2013年】(生茶のプーアール茶)
+【刮風古樹青餅2018年・黄印】(生茶のプーアール茶)
+【老象古樹紅餅2019年・秋天 その1.】(オリジナル紅茶)
+【章朗古樹紅餅2016年・青印】(オリジナル紅茶)
+【紫・むらさき秋天紅茶2011年】(オリジナル紅茶)
+【香椿林青餅2016年】(生茶のプーアール茶)
+【昆明老方磚92年 その1.】(藏茶)
+【版納古樹熟餅2010年】(熟茶のプーアール茶)
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けっこうバラバラである。
製法も違う。季節も違う。山(地域)も違う。
でも、これらを”陰”と”陽”のどちらかに分けてみる。
”陰”と”陽”という言葉のもつ印象にひっぱられてはいけない。
なんだったら”白”と”黒”でもいい。
ただこの対局は確かにある。
実感するとわかる。
体感や心の動きはどちらかに傾く。
味の好みのように個人の嗜好が分かれることはない。
開始から2種類のお茶を飲んだところで、参加者のひとりが別の言葉を提案してきた。
「どちらかというと”陰”と”陽”よりも、”こっち”と”あっち”と言うほうがしっくりくるのでは?」
なるほど!たしかにそうなのだ。別の参加者もこれに同感。
お茶を飲んだときに感じる自分の居場所が”こっち”なのか”あっち”なのか。
この感覚に注目すると、3杯飲む前にだいたい分かる。1杯めで分かることもある。
判定は以下のとおり。
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『南糯蜜蘭青餅2013年』  ”こっち”
『刮風古樹青餅2018年・黄印』  ”あっち”
『老象古樹紅餅2019年・秋天』  ”こっち”
『章朗古樹紅餅2016年・青印』  ”こっち”
『紫・むらさき秋天紅茶2011年』  ”あっち”
『香椿林青餅2016年』  ”こっち”
『昆明老方磚92年』  ”こっち”
『版納古樹熟餅2010年』  ”あっち”
ーーーーーーーーーーーー
実感を伴わない人がこの文章だけ読むと、なにのことを言っているのかさっぱりわからないだろう。
ま、仕方ないな。バッサリ切り捨てることにする。
どちらかというと”あっち”のお茶は少ない。
”あっち”とは、確かであるはずのことが不確かになる感覚。
”無い味”があるという話を昔にしていたが、それにもちょっと似ている。
味があるはずなのに無いことに脳が混乱して、一瞬の幻を見てしまう。
自分が今いるココはほんとうにココなのか、今という時間はいつの今のことなのか、自分とはどの自分のことなのか・・・みたいなことまでが一瞬だけあやふやになる感じ。
一般的な流通では手に入らない上等なお茶に、”あっち”のやつが多いような気がするが、ほんとうにそうだろうか。まだこの観点を意識して確かめていないので、今後は注意してみることにする。
逆に、「”あっち”じゃなければ上等ではない」とも言えない。例えば、『昆明老方磚92年』はかなり上等に分類できるハイクオリティーな藏茶であるが、このお茶は”こっち”感が強い。”今ここ”。藏茶だから仏教に仕えているせいか、目の覚めた感じなのだ。
まだこの観点を試していないお茶について、”こっち”なのか”あっち”なのかの予測は難しい。なんらかの法則を見つけていない。製法でもない。季節でもない。山(地域)でもない。
なので、つくろうと思ってつくれるものではない。
でも、直感でわかる。
”こっち”と”あっち”にはお茶の本質がある。

追記:
後日、お客様より情報をいただきました。
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大和言葉には、一音毎に意味があるということでした。

あ すべての始まり 天 雨 光 明るい 朝
こ 親愛 優しさ 大切にしたい思い ここ こころ
ち 魂 神々しさ たくさんの 体内をめぐるもの ち みち いのち(息をする魂)

やまとことば50音辞典 高村史司より
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喫茶禅 栖賢寺2月23日ワークショップ 京都

このイベントは終了しました。

大広間

内容:
お茶と禅のコラボレーションです。
今回のテーマは”品茶体験”。
品茶とは、お茶を評価すること。
お茶を評価するとは、心と身体に問いかけること。
前回は坐禅をしましたが、今回は別の禅的なアプローチを試みます。
いろんな気付きがあれば幸いです。
はじめての方でも大丈夫です。

禅: 栖賢寺住職宗貫
茶: プーアール茶ドットコム店長ふじもと

日時:
2月23日 日曜日 14:00から17:00頃まで
14:00までに集合

場所:
栖賢寺(Seikenji) 書院(大広間)集合
正門を前に見て、右に見える垣根と石畳の参道を奥へ歩き、山門から境内に入り、大玄関(左側)からお入りください。
書院
京都市左京区上高野
+【栖賢寺のfacebook】
+【栖賢寺のサイト】
+【栖賢寺のグーグルマップ】



注意:栖賢寺には駐車場がありません。
叡山電鉄の三宅八幡から徒歩6分ほど、八瀬比叡山口から徒歩10分ほど。

刮風古樹青餅2018年・黄印 その5.

製造 : 2018年4月11日・13日(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶坪
茶廠 : 農家と店長
工程 : 生茶
形状 : 餅茶180gサイズ
保存 : 熟成壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興の茶壺・チェコ土の茶杯・鉄瓶・炭火
茶箱
崩し
餅面
茶葉

お茶の感想:
熟成壺に入ってから1年半め。
緑印につづいてこのお茶も出品することにした。
+【刮風古樹青餅2018年・黄印】
壺に入れていた崩しかけの一枚を取り出して、3日かけて3回に分けて飲んでみた。
泡茶
茶湯
何度やっても、
一煎ごとに甘いか苦いかのどちらかになる。
やや淡く淹れると甘い。やや濃く淹れると苦い。
なぜか、その中間にはならない。
甘い苦いが五分五分にはならない。
錯覚が関係しているのかな。ほんとうは存在しない味を見てしまっている・・・。
ま、甘くても苦くてもそれなりによいから、あまりシビアに考えなくてもよいだろう。
緑印のほうはそこまで極端に振れることはない。その点で安定している。
熟成壺に入れて10年目くらいから飲みはじめてほしい感じ。
葉底

ひとりごと:
お茶を熟成させる一番のコツは、忘れること。

8582七子餅茶・1985年を飲む会 京都 2月16日

終了しました。

老茶の中でいちばん美味しいプーアール茶は?
と聞かれたら、このお茶を候補に上げます。
+【厚紙8582七子餅茶】
8582の第一批(初作)です。
1985年のこのお茶の実力は、1970年代・1950年代の名作にも負けていません。
鑑定
鑑定
鑑定
かれこれ10年以上前、当店は老茶を専門に扱っていました。
+【過去に紹介したプーアル茶】
しかし、価格の高騰と偽モノや粗悪品の洪水に対応できず、2009年から老茶をあきらめ、新しいお茶づくりに関わりました。
店長ふじもとの手元にはもう無いアンティーク銘茶たち。
でも大丈夫です。
その当時のお客さまのMさんが、現在も所有されています。
「ごちそうになります!」
ということで、提供していただきます。
当店が『厚紙8582七子餅茶』を出品したのは14年前。2006年でした。
この14年間で、どんな風味が醸し出されているのか?
老茶の中でも謎の多いお茶でした。
国営時代の孟海茶廠にこのお茶をオーダー生産したのは、今はなき香港の名茶商「南天公司」。その当時、代表の周氏は西双版納の現地に入り、孟海茶廠と協力してお茶をつくっていました。
そこでどんなやり取りがされたのか?
想像力豊かに推理してみたいと思います。

日時:
2月16日(日曜日) 14時から17時まで

場所:
京都 岡崎 好日居(地図)
京都マラソンのため付近の交通規制があります。ご注意ください。
+【京都マラソン2020】

注意:
お茶をたくさん飲むので空腹はお腹に負担がかかります。なにか少しはお腹に入れておいてください。

刮風古樹青餅2018年・緑印 その1.

製造 : 2018年4月11日・12日・13日(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶坪
茶廠 : 農家と店長と茶友たち
工程 : 生茶
形状 : 餅茶180gサイズ
保存 : 熟成壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興の茶壺・チェコ土の茶杯・鉄瓶・炭火
熟成壺
茶器
あたため

お茶の感想:
このお茶。
+【刮風古樹青餅2018年・緑印】
熟成壺に入れて一年半。
まだちょっと早いと思いつつ出品した。
緑印
舌にのる液体の感じがエキストラバージンオリーブオイルの高級なやつ。
お茶なのに。
味はしっとりしている。
寒い季節に、上空に暖かい空気が流れ込んできて、雨が降ったときの空気に包まれたあの感じ。
景色がある。
茶湯
夜が来る
昼からずーっと飲み続けて夜が来る。
ひとつのお茶で一日が過ぎてゆく。
最後の一煎分の湯を茶壺に注いでおいて、鉄瓶の湯を切って乾かす。
残りの炭を炭消し壺に入れる。
まだ赤々とした炭のかけらが残る炭炉に網をのせて、遠火で茶壺ごと炙って抽出する。
最後
30分ほど待って、最後の一杯を飲む。
寝るときになっても舌にピリピリした刺激が残って、お茶の甘さが蘇る。この甘さは幻のやつ。
そういえば、上海の試飲会で参加者の誰かが「回甘と回甜は違う・・・」なんて言っていたな。
どっちがどっちだったっけ?

ひとりごと:
ま、どっちでもいい。

刮風秋水紅餅2018年 その4.

製造 : 2018年10月18日(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶王樹
茶廠 : 農家と店長
工程 : 紅茶
圧餅 : 2018年10月25日
形状 : 餅茶180gサイズ
保存 : 熟成壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 宜興の紅泥の茶壺・チェコ土の杯・鉄瓶・炭火
鉄瓶
葉底

お茶の感想:
朝起きてすぐ昨晩のつづき。
高幹のお茶を飲む。
昨晩、眠れないと思って本を読んだらすぐ寝てしまった・・・。本を読むチカラが衰えているのだ。脳の老化で。
肯定的に考えると、高幹のお茶はたくさん飲んでも眠れる。ということになる。
残り惜しんで3煎ほど時間をかけて抽出したが、さすがにもういいかな。20煎は余裕で超えている。
熟成壺
秋水紅餅
さて、今日はこのお茶。
+【刮風秋水紅餅2018年】
熟成壺に入って一年。
熟成壺の餅茶の包み紙がしっとりと感じる。
茶葉も多少はしっとりしているはずだが、あんがいパリッとしている。
10年以上前に、上海で老茶を扱っていた頃は、蔵出しのお茶は湿っているのがよくあった。
その場合は、少なくとも1ヶ月ほど常温で乾燥させてから出品するのだが、この熟成壺の場合はそこまでしなくてよいかと思う。
茶葉の乾燥度には、けっこう個人の嗜好の幅があるので、あらかじめベストな状態に調整することに意味がない。
個人がおのおのの好みに調整するのがよい。
例えば、ちょっと湿っていると感じたら、40度から50度くらいの柔らかい熱にあててゆっくり乾かしてみるとか。もちろん天日干しでもよい。
例えば、ちょっと乾燥しすぎていると感じたら、部屋の常温の通気のある状態で3日間ほど放置してみるとか。
多少、経験が必要になる。
餅茶一枚ごと実験して失敗したら痛いから、まずは崩した少量でやってみるとよい。
茶葉をむき出しにはせず、紙とか布とかで包むこと。
茶葉
茶葉のコンディションを自分で調整できないと、熟成モノを楽しむことはできない。
例えば、餅茶一枚ごと買って、密封できるプラスチックバッグに入れて、ちょっとずつ崩して飲んでゆくにしても、何度も袋を開け締めして数カ月後には餅茶はしっとりしてくる。
それで風味が落ちたから、このお茶は熟成向きじゃない・・・なんて判断する人の手元にお茶が届かないようにするのが仕事。
ひそかにいい仕事をしているのだ。みんなの知らないところで。
秋水紅餅
このお茶『刮風秋水紅餅2018年』は、熟成によって得たものと失ったものがある。
とくに香り。香りの新鮮味。
新鮮味を留める。時間にブレーキを掛ける。
この技術は、焙煎にある。
烏龍茶とまではゆかなくても、中国紅茶や白茶のほんのり焙煎の技術は、その点ですばらしい。
しかし、それはこのお茶のそもそもの狙い所ではないのだから、香りが変化するのはよいけれど、多少個人の好みに調整できる。それが保存時の乾燥ということになる。
西双版納でお茶づくりをしている茶友の北京人は、かなり湿った風味を好む。
なので、彼の倉庫は西双版納にある。
北京人
北京や中国の東北地方の多くの街は、冬は寒いので街中に熱湯管を巡らせたセントラルヒーターが稼働する。
そうなるとビル一棟ごと温められてしまう。そこに住む個人は、茶葉倉庫用の部屋ひとつだけ常温に保ったとしても、かなり乾燥した状態になる。ビル全体から水分が逃げたがっているのだから、ひと部屋だけしっとりさせるなんて無理なのだ。
そこに保存した茶葉は、乾燥してカラカラした口当たりと喉越しになって、同じくカラカラした部屋で飲むことになって、美味しくないらしい。
ところがこれを西双版納にもってくると、美味しいのだな。
つまりその逆で、西双版納で湿ったのを北京にもってゆくと、美味しいらしいのだ。(自分は北京に行ってその味を確かめていないからなんとも言えないが、あまり好みではないことは確かだ。)
とうことなので、ある程度個人が調整できたほうがよい。
熟成壺のはちょっとだけ湿って熟成しやすい状態を保っているから、個人が手元で乾燥させるなり、そのまま楽しむなり、好きにしたらよいと思う。
葉底
この紅茶が、どんな香りか味かというのをどこにも書いていなかったな。
説明ページにも書いていなかった。
森の霊気感がすごいけれど、霊気って透明で見えないように、味や香りもあまりはっきり姿を表さないのだよな・・・。でも、そこにいる・・・ってわかる。
いや、自分がそっちに行っているってわかる。そのときの茶王樹の森にいるのがわかる。
”私”のない状態になると、時空の概念はいともカンタンにゆがめられる。

ひとりごと:
肩のひどい痛みは、亜脱臼ではなかった。
ということにする。
たぶん、若い整体の先生はそういうふうにもっていったのだ。
ひとことも病名を言わない。患部を指摘しない。
全体のバランスのどことどこに関連ポイントがあるというのを教えてくれて、マッサージしたり運動したりで整えただけ。
もちろん痛みはすぐに治まらない。
けれど、改善の方向に向いていると実感している。若い整体の先生はその方向をはっきりさせてくれた。
それで十分。
もしも大学病院に行って、MRIを撮って靭帯の損傷を見つけたら、病名が付いただろう。
下手したら手術することになったかもしれない。
そこまでゆかなくても、痛み止めや関節を軟化させるクスリを飲まされたかもしれない。全体のバランスとは関係なく。
自から治ろうとするチカラを発見するって大事だ。
”私”のないところでチカラが働いている。”私”もそれに協力する。

老撾高幹龍珠2019年・秋天 その4.

製造 : 2019年10月20日から27日(采茶)
茶葉 : ラオス・ポンサーリー県・孟臘県漫撒山(旧易武山)天門山寄り
茶廠 : 瑶族の農家+義烏人
工程 : 生茶
形状 : 龍珠 約8.5g
保存 : 密封
茶水 : 京都の井戸水
茶器 : 宜興の茶壺・チェコ土の杯・鉄瓶+炭火

お茶の感想:
ラオスの高幹の”龍珠”版を飲む。
義烏人が加工したもの。
圧延加工が違うだけで、自分が餅茶に加工した”青餅”版と同じ原料の茶葉である。
味や体感も異なるなずなので、加工の違いが注目のしどころだけれど、関連記事としてひとつにしたいので、前回からつづく”その4."とした。
今後はタイトルの一部分の”青餅”と”龍珠”のところだけが変わる。
龍珠
龍珠
8gと聞いていたが、測ってみたら8.8gもあった。
たぶん8.1gのもあれば9.0gのもあるだろう。
微調整ができないので、とにかく8.0gより少なくならないようにと、義烏人は考えたわけだ。
中国では龍珠は重量で量る。
例えば200g分とか。基本たくさん買うから一粒いくらとは量らない。
重量いくらとすると価格は公平になるが、一粒いくらにしたら重さが違ってきて不公平になるな・・・。
一粒ごとにするなら、例えば二粒をあわせての重量でバランスを取るしかないか。
小さな龍珠への加工は、個人的には否定的で、餅茶のサイズがあったほうが味も体感も保存熟成にもよいと考えているが、このお茶は別格。
義烏人は龍珠にすることを想定して殺青の火入れ具合を浅めに仕上げている。
その効果もちゃんと現れていると思う。
いずれ餅茶と飲み比べしてみるが、少なくとも一年くらい熟成してからにしたい。
茶器
龍珠
話は変わるが、茶机の道具の配置をちょっと変えた。
冬の寒い室内(暖房はオイルヒーターのかすかな暖かさのみ)で足が冷たいので、瓶掛を机の下の足元に置くことにした。足はポカポカ。
炭の火はやさしいので、50センチほど上にかぶさる机の板を焼いたりはしない。
寒い季節のお茶を美味しくするには、室温が18度もあればよいと思う。
部屋の中で厚着をして、熱いお茶をフーフーして飲むのだ。
宜興の急須
龍珠は、煎じる器が思案のしどころ。
8.8gも茶葉があって、煎をかさねると大葉種の極みのような葉がひらいてくるのだから、茶壺を選ぶ。
蓋碗は口の大きくて便利だけれど保温力がないから、何煎もしてからグーッと茶葉の内側の成分を引き出すにはチカラ不足。
とりあえず万能の古い宜興にした。
龍珠の性質上、おのずと長く蒸らす”闷泡”になる。
8gもある茶葉がギュッと飴玉くらいに圧し固められているのだから一煎・二煎では開かない。
ギュッと圧し固めるために、茶葉が柔らかくなるまで長時間蒸しているので、一般的にはそういう味に仕上がるが、この龍珠は全行程の火加減を調整されていて、そこまで深蒸しになっていない。
もしかしたら、自分が加工した餅茶に比べたら、龍珠のほうが浅蒸しじゃないかな?と思う。
2煎め
新しい生茶の多くは、高温の湯で長く蒸らすと渋味や辛味が嫌味になりやすい。近年の摘みすぎ傾向で茶樹が弱って、茶葉の性質がそうなっているから。というのが一番の原因と推測している。
その点で、高い幹には高温で長時間蒸らしに耐久性がある。
熱々の湯でじっくり蒸らすと、トロンと甘い水質になる。
5煎めくらいで茶壺の口からあふれんばかりに茶葉が開いた。
こうなったら湯を足せる量が減ってくる。
葉底
ひとりかふたりで一日かけてずーっと飲むのならこれでよし。多くの人数で分けるには茶湯が少なすぎるから、もっと大きめの茶壺がよくなる。
餅茶を崩して淹れたら、だいたい5煎めくらいに出てくる苦底の味が、龍珠では8煎めくらいにやっと出てきた。
でも、これもいいかも。
さらに煎をすすめると、舌にピリピリする辛味がでてきた。
餅茶にしたのはピリピリがもうちょっと落ち着いている気がする。
でも、これもいいかも。
「辛味がダメ」とは言っていない。
心地いい辛味と嫌な辛味があるということ。
その違いは飲めば誰でもすぐにわかる。けれど、言葉で詳細に語るのはバカらしい。言葉はそこまで信用に足るものじゃないからな・・・。
感じるだけで十分。
お茶を飲むことそのものの良さを、高い幹のお茶は滔々と語ってくれる。言葉を使わずに。
舌先に意識を向けたり、身体の変化に気付いたり、試飲のための技術などまったく要らない。
美人と眼が合ったときみたいに、一瞬で伝わるものだから。
途中で外出したり、仕事したり、しばらく放置しておいて、夕方になってからつづきを淹れた。
読書
もう15煎を超えているだろう。
まだ出る。これから長い夜をともにする。
さすがに生茶をこれだけガブガブ飲んだら眠れないだろうから、今夜は読書でもする。

ひとりごと:
中国人が観光で日本に来て、行儀の悪いところがあったら、すぐにその場で注意すればよいのだ。
それで気分を悪くする中国人はほとんどいないはず。
「あ、そうですか知りませんでしたすみません。」くらいのこと。
あんがい謙虚で、むしろ知らないことを教えてもらって感謝しているはず。
知らない人に注意をするのは親切というもので、なにも言わないのは不親切だと思う。
注意したりされたりは、中国の日常ではふつうのことで、ムカつく余地はどこにもない。
ところが日本人の多くは、注意された相手の気分を悪くさせるのではないかと心配するのだよな。
その心の負担で勝手にムカムカしている。不親切な上にムカついているわけだ。
たとえ親切のつもりで注意をしても、「オレの気持ちを煩わせやがって・・・」と内心で怒っている。
「いいことをした」と、幸せな気持ちにはなりにくい。
そんな感じがするけれど、どうだろ。
なんでこうなる?

老撾高幹青餅2019年・秋天 その3.

製造 : 2019年10月20日から27日(采茶)
茶葉 : ラオス・ポンサーリー県・孟臘県漫撒山(旧易武山)天門山寄り
茶廠 : 瑶族の農家+義烏人
工程 : 生茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 農夫山泉
茶器 : チェコ土の茶壺・景徳鎮の茶杯・鉄瓶+炭火
泡茶
炭

お茶の感想:
肩が痛い。
もう4ヶ月つづくが、途中から痛みのタイプが違っていて、症状をネット検索したら"亜脱臼"というやつだとわかった。
ヨガとか按摩が逆効果なわけだ。むしろ傷めていたわけだ。
昨年の11月の圧餅で重い石型を上げ下げしたときに靭帯を損傷したのだと思う。
幸い、激しい痛みがきたら自分で治せる。
めまいしそうな痛みに耐えながら、脇の下の肋骨あたりに指をあてて強く圧すと、なぜか痛みが収まる。おかげで肋骨あたりが青あざだらけになっている。
しばらく安静にするしかないな。
シーズンオフでよかった。
ラオスの高幹の茶樹のある森に入るのは4月に延期した。2月は間に合わない。
4月はちょうど采茶の季節だから、いきなり現場でお茶づくりを手伝うことになるけれど、そんなのは慣れている。条件が整わない中でいい仕事をする。みんな同じように条件が整わない中でやっているのだし、現場で瞬時の工夫と判断が大きな差をつける。そこには自信がある。そのときだけ天才になるから。
この地域のお茶づくりは体力勝負なので、農家もメーカーの職員もみんな若い。
いつのまにか現場では一番年上になっている。体力の限界は過ぎているから今年が最後と思って現場に向かっても、また新しい興味が湧いて、つぎにつながってしまう。
ただ、ちょっと変化の兆しが見えてきた。
2020年1月2日・3日・4日の上海の試飲会で、ひとつはっきり見えたことがある。
高幹のお茶を飲みだしたら、みんなもう他のお茶はいらなくなる。
例えば、ふたつめに出そうものなら、用意していた他の何種類ものサンプルを試さないで終わる。もしくは、たとえ試しても、ひとくちかふたくちで「また戻りたい」とリクエストが出る。
子供
子供にもわかる。
味の問題じゃない。体感の問題。
高幹のお茶を飲んで気持ちよくなったら、もうそこから降りられないのだ。
あんな味もこんな味も試したいという興味は理性的すぎて、快楽には勝てない。
味にはあれこれ個人の嗜好があるかもしれないが、体感はひとつ。みんなが良いかそれほどでもないか。心地よい音色に反応するようなもの。
自己評価的には、この秋の『丁家老寨紅餅2019年・秋天』などは手応えがあったのだ。もしかしたら高幹ともいい勝負するのじゃないかと思ったりしていた。
でも、比べたらもうぜんぜん。遠い遠すぎる。製茶の技術を過信していた。
チカラを注いでつくったお茶なのに、こんなにも天地の差がひらくなら、今後は高幹と同じレベルの素質の茶葉が手に入らないかぎり、製品化するのはやめておこうかな・・・
時間と労力がむなしい。
製品にしたら誰かに売らないといけないし。
熟成のために器と場所を用意しないといけないし。
販促のための活動もしないといけないし。
誰かの手元に渡ってからも、ちゃんと美味しく飲めているのか心配だし。
いや、そうしたことぜんぶがお茶なのであって、自分はその要所要所でできることをしたらよいのだけれど、その仕事は自分じゃない。そこは天才じゃないし。
「値ごろなお茶ありませんか?」
義理チョコみたいな義理お茶を欲しがる友人たちには悪いけれど、昨年の秋の『巴達生態紅餅2019年・秋天』が最後だ。
義理お茶のために肩を傷めていたのでは割に合わんからな。
上海試飲会

ひとりごと:
写真を一枚も撮らなかったけれど、久々に香港に行ったのだよな。
香港島のど真ん中の高層ホテルにした。
高いところは高いところなりのアホらしさにつきあってみた。
パリッとしたスーツ姿の西洋人が多かった。もしかして10年前よりも外人が増えている?
お昼の時間の公園におしゃれなオフィスワーカーたちがどっと出てきて華々しかった。公園だけじゃない。ハイブランドの広告でピカピカの大通りにも、高層ビルを渡る長い長い通路にも、地下鉄駅にも、おしゃれなお金持ちがあふれている。
この狭い土地にチカラとか気とか運とかが集中している感じ。空気が濃い感じ。林立する高層ビルの間を大きな龍が舞っていてもおかしくない。
この人達、基本的になにも生産せずに、たいしたサービスもせずに、なんらかの理屈をこねて金利という数字を増やすだけでめしを喰っているのだよな・・・。

意識と無意識について その2.

川を見ていたのだ。
+【ずっと川を見ているのつづき】
そのとき、なにやら様子がおかしくなっているのに気付いていた。
もちろん正気である。
クスリなんてやっていない。
酒に酔ってもいない。
川の流れのキラキラのほうに手をかざしていると、だんだん手の輪郭がはっきりしなくなる。
メコン川
”千と千尋の神隠し”のシーンで、神の国に紛れ込んだ千尋の手が半透明になってゆく・・・あの感じ。
自分は川だったのだ。
そこには川があるだけで、そもそも自分の存在なんてない。
川の魚も、川を渡る鳥たちも、岸に住む動物たちも、虫たちも、川の流れがぶつかる岩も、底を流れる砂も、そして自分も。みんなひとつの川であって、それ以外のなにものでもない。
人間以外の生命や、生命がない鉱物なども、すべては一人称を持たない。”私”が存在しないのではないかな?
例えば、ライオンはサバンナの大地として野牛を食べて、野牛は食べられてサバンナの大地のままでいる。
”私”がなければ、死なない。
減りもしない増えもしない。
”私”がなければ戦争もない。
所有や支配の概念がないから、だから動物も植物も人間のなすがままをゆるしているのではないかな?
死なないのなら、天国も地獄もない。
川が流れて海に注いで蒸発して雲になって雨になって山に戻って・・・と終わりなくつづくなにかであって、どこからどこまとか、過去とか未来とか、距離や時間の概念さえもあやしくなってくる。
例えば、1万年後に川がなくなったとしても、別のなにかになってつづいている。地球が爆発して星クズになっても、まだつづきはある。
朝日
神様というのは、自分の外側にいると思っていたけれど、”私”がないということは外側も内側もないのだから、居場所がないよな。
それでも無理やり居場所をつくるとしたら、自分と神の境目はない。
やっぱりな。
ときどき自分は神じゃないかと思うことがあったのだ。
お茶づくりという小さな仕事にも、理屈に合わないすごい才能が発揮されることがあった。
でもそれは、”私”のものじゃなかった。
残念ながら”私”の特別な才能や運命ではなくて、宇宙のあらゆるところで起こる自然現象のひとつにすぎなかったわけだ。これまでの人生に起こったすべてのミラクルは、川岸で葦の葉がゆれるのと大差ない。そこらじゅうにある現象だったのだ。
”私”という概念を、昔の誰かがつくって、そこから人間の歴史がはじまっている。
脳にもう一つのバーチャルな世界が構築されている。”私”というのがある世界。
”私”だけでは世界が構築できないから、”私”を元にして他のいろいろな概念を増殖させて、世界がウソっぽく見えないようにしているけれど、不安を感じるのは仕方がない。地盤となる”私”の存在があやしいのだから。
Youtubeを見ていたら、ある医者がこんな話をしていた。
「ガンを治したい医師が、かえってガンをつくってしまう」。
ガンという憎むべきもの、排除したいもの。対局の構造をつくっておいて、クスリや医療技術や保険や、そして経済を発展させる。世界中にガン患者を増やし、ガンの原因を増やし、おおいに戦ってしまう。そもそも自分の中にある細胞の一部で、私もガンも同じなのに。
えらく大きな話になってしまったけれど、今、自分の目前にある小さな課題、「良いお茶とはどういうものか」をつきつめるには、どうしても”私”というのがあるインチキ世界を、自分の脳に構築されているウソを、理解しておかなればならなかったのだ。
自分を意識する脳をスルーして、自分の無い無意識の、リアルな世界に通じる。
カンタンではないだろう。
おそらくこの過程で、言葉のもつ作用。”私”という概念をつくることのできる強力な作用について理解する必要がある。
次はそれについて考えてみる。
つづく。


茶想

試飲の記録です。

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