茶教室・京都
川が空をひっぱっている
こまごまとした用事をすませて、
またメコン川の小さな町にもどってきた。
チェンマイという町から車できた道中は、道のわきにちょこっと家があって、ひろい水田があって、水路があって、ところどころにお寺があって、遠くに山があってという緑の景色がつづいていた。
川にだんだんと近づいてきたという予感みたいなものが、水田のむこうの山なみに感じられて、町に着くと、路地の向こうに流れる水の輝きが見える。
いっきに引き込まれる。
そこにただよう密度の濃い空気に飲みこまれる。
やっぱりこの川はすごい。
もしかしたら、
川の流れがあまりにもすごいから、ここでは空間がゆがんでいるのではないか?
と、思ってみることにする。
勢いよく流れる大量の水が、いろんなものをひっぱってしまっているのだ。
たとえば重力とか。
川べりで空を見上げたときに地面から足が離れそうになる錯覚は、錯覚ではなかったのかもしれない。
もしかしたら、
それは時間までもひっぱっていて、時間の流れるスピードも他の場所とはちがうのかもしれない。
ついにアホなことを言いだしているかもしれない。
けれど、
いつかアインシュタインくらいの天才が証明する可能性があるから、そっちに賭けてみる。
この川の美しさには、まだ説明のつかない神秘がぜったいにある。
お茶の味にもそういう神秘がある。
つまらない凡人の研究でお茶を不味くするなと言いたい。
天才しか必要とされないのは、なにも芸術の世界だけじゃない。
そんなことを考えたということさえ、
あっというまに川に流されて、どうでもよくなって、
お腹が空いたからごはんを食べにゆくとする。
ずっと川を見ている
川が美しいのだ。
川を見ているとたまに涙がでてくる。
悲しいのではない。
水のうごきを一瞬たりとも見逃すまいとして、まばたきをしなくなるからだ。
メコン川のスケールは大きく、
町のいたるところから川が見える。宿の部屋からはベッドに寝たまま川が見える。小道を散歩していても、レストランのテラスにいても、どーんとそこに川がある。
朝も昼も夕方も夜も明け方も同じように流れている。
このあたりには橋がないから、遠くまで流れを追いかけて見れる。
人もバイクも車も犬も猫も豚も牛も象も、川の上を船で渡る。
遠くのメコン川沿いの町へ毎日船が出ていて、西洋人の旅行者たちにはラオスのルアンパバーンへ2日かけて川を下るコースが人気みたいだ。
もう数え切れないほどそんな船が目の前を行ったけれど、まだしばらくここにいてみたい。
予定なんてどうでもよくなりつつあるが、
はじめはラオスやタイの北部の町を観光するつもりだった。
ガイドブックなんかで紹介されているこじんまりした美しい町。古い寺院や楽園の滝。
それともうひとつ、雲南省西双版納孟臘県易武山にあった古い茶荘の「同興號」の末裔が、今も易武山の茶葉を仕入れてこのあたりでプーアール茶をつくっているかもしれないので、それを探す目的もあった。
しかしそれはまた次でもよいだろう。誰も困らないし。
川沿いのこの小さな町は、
国境をこえる旅の通過点になっているようで、ほとんどの旅行者が一泊だけして移動する。そのせいか宿はあっても部屋はけっこう空いている。観光の目的になるようなこれといった見所はないし、地元の人々の静かな暮らしがあるだけで、つまらないところなのかもしれない。でもそこがよい。
ここに住んでいる人たちもみんな川が好きみたいで、夕暮れどきには川べりにでてきて散歩したりおしゃべりしたり、ぼーと眺めたりしている。
なにはなくても川がある。
この川の魅力は、
なんといっても走るようなスピードで流れる水とそのおびただしい量。
流れに負けて浮き上がった大きな波紋が手前から1つ・2つ・3つ・4つ・5つ・6つ・・・・・・・向こう岸まで数え切れないほどある。
ものすごい質量が目の前を移動している。水だからふつうに見えるけれど、これがもしも土砂だったら山が連なって猛スピードで駆けてゆくような異常な光景になる。しかもとぎれなく。
そんな水の流れから目を離すのがもったいない気がしてくる。
光と色の美しさもある。
太陽や月や星の光が川に溶けてゆく。
空にかかる霧や雲や雨が光をちらして無限の組み合わせをつくる。音楽のリズムのような微妙な感覚も、川の光と色は奏でることができる。
ちょうど宿の前のあたりは中州があり、流れが複雑になっていて味わいがあるみたいだ。
たまに雲が切れて空が青くなると、赤く濁った水は黄金に輝く。
青空もつかのま、むこうの山に沸き上がった積乱雲がゴロゴロ鳴りだして、涼しい風が吹いてきたと思ったらあっという間に頭上の黒い雲になってものすごい雨を叩きつける。
煙る雨の中でも、やっぱり川は美しい。
焼きバナナとワインを買いこんで、屋根のあるベランダから降りしきる雨の川を眺めるのだ。
水の音もまたよい。
部屋のすぐ前にある岩が瀬となってザブザブ水音を立てている。
昼間は小鳥のさえずりや鶏のコケコッコーや地元の人たちの生活や渡し船のエンジンで瀬の音はそれほど目立たないが、夜になるとちがう。
近くのカラオケ店の酔っ払いが歌い終わると、草むらにいる小さな虫や蛙たちの大合唱がすぐに聞こえてくる。瀬の音がじわじわ迫ってくる。
夜の真っ暗な水面には岩も渦も見えないけれど、昼とまったくおなじスピードで水の流れていることを瀬の音は教えてくれる。
川が大きいとなぜか空は広い。
ちょっと高いところに立って見上げると落ちそうになる。空のほうへ。
足のうらの重力を意識しておくことだ。それを忘れたら外へ放り出されるかもしれない。
あたりまえだけれど、
光も色も音もそしてこの空間もずっと昔からあって、
これからもずっと無くなることはないのだろう。
それがなんだかとても安心できる。
眠くなったら眠って、目が覚めてから川を見たらよいのだ。
夜中に眠りが浅くなったときは、瀬の音のザブザブが聞こえてくる。
もしも自分が永久に眠っても、誰かがかわりにまた川を見にくる。
そのときも同じように、水は流れて川は美しく空は広いのだ。
旅の高揚感はすでになくなっているし、いつものような毎日がもどってきている。けれど今、これはたぶん夢の叶っている瞬間だと思う。
小さなころから川や魚が好きだったから、生まれながらにしてもっていた夢かもしれない。
でもこの夢は、誰かの役に立ったり誰かを幸せにすることはない。
自分の将来のためになることもないのだろう。
誰かのために川を見ているのではないし、自分のために川を見ているのでもなさそうなのだ。
社会や世界を意識する大人になってからの夢は、誰かに話すためにつくったような感じがしてわざとらしいけれど、実際に社会人としてやってゆくうえで、誰かに必要とされる存在になることや、難しい仕事を成し遂げる夢をもったほうが生きてゆきやすい。
誰かの役に立ちたい。環境を守りたい。競争に勝ちたい。そんな感じ。
「将来の夢は?」と子供に聞く大人は、「宇宙飛行士になりたい」と言うと満足するだろうけれど、「じっくり川を見たい」と言うと満足してくれないだろう。
なにが言いたいのか自分でもよくわからないけれど、今はとにかく川を見る。
有益なことではなくても、ゆっくり味わう。
味わうとはそういうことで、本来は王様の仕事なのだ。
川を見ている
ラオスとタイの国境をわけるメコン川まできた。
その小さな町でもうすでに4日すごしたけれど、まだあきない。
ものすごい水の量が、川と空とそして緑にもあって、つい茫然とながめてしまう。
まったくなにも考えられない。
ゆるんでほどけてどうにかなってしまうまで、そうしていようと思う。
その小さな町でもうすでに4日すごしたけれど、まだあきない。
ものすごい水の量が、川と空とそして緑にもあって、つい茫然とながめてしまう。
まったくなにも考えられない。
ゆるんでほどけてどうにかなってしまうまで、そうしていようと思う。
写真:メコン川と水盆と生茶のプーアール茶とワイン
月と六ペンス
『月と六ペンス』 サマセット・モーム著1919年出版
”タヒチの女”で知られる画家ポール・ゴーギャン(1848年〜1903年)をモデルにして書かれた小説。
ゴーギャンは旅を多くした画家だったが、小説家サマセット・モームもまた人生を旅と共にした人だった。
中国から紅茶の技術が盗まれて、インドやスリランカに生産地の中心が移った時代。
”タヒチの女”で知られる画家ポール・ゴーギャン(1848年〜1903年)をモデルにして書かれた小説。
ゴーギャンは旅を多くした画家だったが、小説家サマセット・モームもまた人生を旅と共にした人だった。
中国から紅茶の技術が盗まれて、インドやスリランカに生産地の中心が移った時代。
写真:マレーシア・ペナン島 Eastern & Oriental Hotel
モームが長期滞在した東南アジアのホテルは、シンガポールの『Raffles Hotel』、タイ・バンコクの『The Oriental Bangkok』(現在Mandarin Oriental Bangkok)が有名だが、マレーシア・ペナン島の『Eastern & Oriental Hotel』はそれらに比べると安くて気軽。茶想
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