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易武古樹青餅2010年 その34.

製造 : 2010年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山麻黒村大漆樹古茶樹
茶廠 : 農家+易武山の工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 京都陶器の茶壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : 鉄瓶+チェコ土の茶壺
鉄瓶

お茶の感想:
お茶の良し悪しは酔いの質をみる。
茶酔いの快楽がいちばん価値あるところ。
舌先・鼻先でわかる味や香りはその次で、むしろ没個性でひかえめなほうがよかったりする。
人は快楽に上質を求めると、なぜかストイックになれる。
なにかの本で読んだが、アヘンがそうらしい。アヘン戦争のアヘン。
その効能を最大限に発揮できるよう、喫烟する一日前からなにも食ベない。酒もお茶も飲まない。コップ一杯の水だけでしのぐ。空腹時に酒を飲むと酔いが回るように、空っぽの身体にアヘンが回るとブッ飛べるそうだ。もしも身体に不純物が入っていると飛べなくなる。
たとえ裕福な人でも、美食・美酒をあきらめてアヘンの快楽に生きようとする。だから中毒者はガリガリになってゆく。映画などで貧民が生活苦から逃げるためにアヘンに溺れてガリガリというのは作られたイメージかもしれない。むしろ公務員など要職に就く人がアヘンに侵されるから社会に大きなダメージを与える。大英帝国の狙いはそこだったわけだ。
歴史の本によると、アヘンの喫烟は主に茶楼で行われていた。
交易で栄えた華やかし頃の中国の都市の茶楼は『千と千尋の神隠し』の舞台となる油屋みたいなイメージだろうか。カンフー時代劇でも出てくる木造の豪華な館。個室で寝そべり窓から表通りを見下ろしながら、食・酒・煙草・茶・女・音楽と、あらゆる快楽を嗜む。
タイの仏像
その中のひとつだから、茶酔いは他の快楽に負けられない。
茶葉を選んだり、道具をそろえたり、キレイな水を汲みに走ったり、湯を沸かすのに時間をかけたり、淹れ方を工夫したり、瞑想したり。茶酔いの快楽のためなら手間暇を惜しまない。犠牲をためらわない。
山深い霊気のあるところに育つ茶樹で、樹齢は300年を超えた高い幹のものを選ぶ。采茶や製茶はできるだけ人の手の汚れ(わざとらしさ)から遠ざけなければならない・・・など、現在にも残る価値観は味のためより茶酔いのためだとすると、あまり大げさな話には聞こえない。快楽を求めるストイックにはわざとらしさがない。
お茶は仏教と相性がよくて、禁欲的な生活をするお坊さんが茶を飲むイメージがあるけれど、お坊さんは茶酔いの効能が最大限に発揮されるコンディションを整えているという点で、ストイックな快楽主義者である。身体に不純物が入っている凡人とは違うレベルの酔いを体験しているにちがいない。お経を唱える声がムニャムニャとなにを言っているのかよくわからないのは、茶酔いにラリった状態を表現しているのかもしれない。
さて、長い前フリになったが今日から鉄瓶を試す。
鉄瓶八角
茶葉との相性もあるだろうから、いろいろ試してゆくとなると一年はかかりそうだ。長い旅は望むところだ。もっと遠くへ連れて行ってほしい。
茶壺と同じで使い始めは安定しない。内側の漆塗りや鉄の臭いがあるので、熟茶の茶葉を2回煮て”ならし”をした。それでも安定するには3ヶ月はかかるだろう。
湯はガスコンロの極小の火で24分かかって沸騰させる。それからアルコールランプの小さな火で高温を保つ。「シューン」と小さな音が鳴っているくらいの沸騰。
今日はこのお茶。
【易武古樹青餅2010年】
易武古樹青餅2010年試作品
湯の熱には響きがあるという話を「茶学」でしていたけれど、その理屈からすると鉄瓶の熱はお寺の鐘のようにゴォーーーンと低音で響く。
茶壺に注ぐ湯、茶壺から杯に注ぐ茶。ともに湯気がみなぎって熱量の高さが現れている。生茶は高温で煮やすと苦味・渋味が立ってしまうので、ちょっと心配だけれど思い切ってじっくり濃い目に抽出してみた。
易武古樹青餅2010年
茶湯の色からしても濃い味になったはずだが、口に含んだ瞬間は意外とあっさり。ややトロンとした舌触りながら透明感があり涼しい液体。と思っていたら、ちょっと時間差があって底の方から味わいが湧いてくる。
一煎めにして三煎めくらいの深い味わい。ゆったりと長い波長。チェコ土のマルちゃんの茶壺の波長ともピッタリ合う感じ。
ひとくちめにして「はーーーーーっ!」とため息が出て腹の底から息を吐きる。
香りは素直に出ている。アピールはおとなしめだが、これも長い波長で余韻が続く。
苦味の効き方はおおらか。二煎・三煎とすすめると春尖の辛味がでてくるが、煮えた嫌味はほとんど出ない。
ただ、後の煎が前倒しになる分、煎はつづかなくなる。四煎めで落ちてきた。
茶酔いはゆったりしている。
いきなりパーンと響くようなことなくじわじわ効いてくる。覚醒と眠くなるのとがバランスよく綱引きして、ボーっと窓の外の緑を見た。
7月の緑

ひとりごと:
鉄瓶は重い。
上の写真のは1750g+1000mlの水を入れると2750g。軽めのダンベルになって筋トレできる。
たぶん重さが理由で使わなくなる人が多いだろう。
ひとまわり小さいのも買ってみた。1450g+700mlの水で、それでも2キロはある。
ストイックにならないと快楽の上質は得られないのだ。
鉄瓶小
鉄瓶小

農薬について考える その6.

肌がベタつく蒸し暑い日は冷たいものを飲みたくなる。
冷やした水やお茶をゴクゴク飲んでみる。ところが、思ったようにダルさは消えない。夜はなかなか眠れない。
こんなときは意外と身体の芯が冷えていることがある。
水分補給は冷たいものよりも温かいもの。お茶は身体を冷やす生茶よりも温める熟茶がよい。
たぶんこういうことだと思う。肌がベタつく蒸し暑い日は空気中の水分が多く、皮膚から汗が蒸発しにくい。汗の排毒機能が落ちるせいか内臓が疲れてくる。エアコンで冷やして汗を抑えるよりも、いったん汗を流してシャワーを浴びたほうがよい。発汗を促す温の性質で、内蔵にもやさしい微生物発酵の熟茶が良い。
そこまで頭で考えなくても身体はわかっている。
どんなに暑い日でも身体が冷えているときは熟茶の甘味・旨味が心地よくスッと喉を通る。腹の底が温まってホッコリする。
逆に、暑い日は身体を冷やす生茶という決まった知識を押し付けても、いつもは甘いお茶を苦く感じたり、腹の収まりが悪かったりする。
熟茶
半分は外側。半分は自分の内側。
外側と内側の関係に注意することが、お茶を理解するということ。
医薬と農業を司る神の「神農」は、あらゆる植物を試して食中毒になりながらひとつひとつを理解したということだけれど、この話は、みんなが同じアプローチで勉強することを奨励しているのではないかと思う。
毎日食べるものや飲むものが自分にどう作用しているのか、ひとりひとりが一生かかって学んでゆく。
外側と内側は相対的なものだから、どちらかの関心が薄れると両方とも小さくなってゆく。どちらかの関心が高まると両方とも充実してゆく。
農薬について考える。
農薬について考えたくない人のほうが多いと思うが、それは自分の内側に関心を持てない人が多いということ。
農薬について考えなくてもよいから、まずは自分の内側に関心を持ってほしい。
自分の内側に関心を持つ人が増えると、産地では自然環境の健康回復に関心を持つ人が増える。
お茶だけの話ではない。すべての食べもの飲みものについて。

貢朝号三合社青餅07年 その1.

製造 : 2007年5月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山三合社古樹
茶廠 : 農家+易武山の工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 陶器の壺
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺
壺熟成
貢朝号三合社青餅2007年
餅面裏

お茶の感想:
雨の季節はしっとりしたお茶が美味しくなる。
茶葉のコンディションが変わる。人のコンディションも変わる。
ふと思い出して、壺の中に保存していたサンプルを試してみる。
『貢朝号三合社青餅07年』(未出品)
製造年が2006年だったか2007年だったか覚えていない。
易武山の町役場の職員が手元で熟成させていたお茶。
餅茶7枚モノ竹皮包み1筒×6筒=42枚/一件で竹籠に入って、部屋の隅に他の数件のお茶といっしょに積まれていた。
竹籠は埃をかぶって蜘蛛の巣だらけだったが、よくあること。品質に関わる問題ではない。
その部屋は閉め切ってあってもスキマだらけで乾燥は保てない。易武山は湿度が高いから、夏の雨季には湿度80%を越す日が多いはず。さらに、家庭の豆鼓(豆味噌)づくりをするのに、蒸した大豆をザルに広げて麹カビがびっしり生えるようなのを同じ部屋で見たこともあった。
豆鼓
豆味噌
(写真は乾燥し始めていて綿状のカビは消えている。)
微生物が活動しやすい温度と湿度があるということ。
味噌の麹カビはもちろん良性のものだが、黒茶の発酵の麹カビと同じとは思えない。
しかし、茶葉の赤黒く変色した様は微生物発酵をうかがわせる。
餅面表
餅面に光沢があるのは熟成の良いサイン。
もしかしたら易武山でも熟成がうまくゆくのでは?と思って、その後も易武山で個人所有の茶葉を何度も試してみたが、二度と出会えなかった。
同じような体験を同業者からも聞いたことがある。ひとりやふたりではないが、彼らもやはり二度と出会えていないから、なにか偶然が重なったときにだけうまくゆくのだろう。
その条件がよくわからない。
貢朝号三合社青餅07年
味はどうかというと、それほどでもない。
1970年代から1980年代の香港倉で熟成された孟海茶廠の青餅の足元にも及ばない。ただ、風味の中にところどころ共通したところが見つかる。共通したところの風味に経験を積む。保存環境や茶葉のコンディションとの関係をひとつひとつ見つけてゆく。たぶんそれしか方法がない。
葉底
葉底の新芽・若葉・茎の色がなるべく均一なほうがよいが、これは比較的良いほう。悪いサインの茎の黒焦げた色は見つからない。
プーアール茶の熟成の本場は広東省の沿岸部だが、2000年前後に香港倉が消滅してからは、これといった成功例が出ていないと思う。
最近テレビによく取材されている東莞市の熟成専門業者の茶葉のサンプルを入手したので、昨年の勉強会「その3 熟成」にて数人で試飲してみたが、たいしたことなかった。この『貢朝号三合社青餅07年』のほうがましなくらい。
台湾には今も正しい味の熟成茶があるはずだが、1990年代に一度は香港倉で熟成されたものを台湾倉に移動したのが多い。それは台湾倉の成功ではない。マレーシアやシンガポールも同じ。新しいお茶から熟成をスタートしなければ倉の良さが証明できない。
チェコの壺熟成
チェコのマルちゃんの工房で壺熟成中のオリジナルのお茶。
京都壺
西双版納・チェンマイ・京都・上海・広東・・・・じわじわといろんなところに壺熟成を拡散してゆく。
壺熟成は、壺の中の条件は同じでも壺の外の環境はそれぞれ。どこに壺を置くかでお茶の味が違ってくるから、そこが面白い。自分だけの熟成味をつくれる。
いつか熟成自慢のお茶会をしたいな。
熟成は現物をもって証明するしかない。例えば、自転車に乗れるのと自転車に乗れる物理学を説明できるのとは違う。説明できても一銭にもならないのだ。

ひとりごと:
どこかの小さなお茶屋さんが熟成を成功しても、その話は聞こえてこないだろう。少量の成功は常連客だけでシェして終わり。成功しましたよ!と世に知らせる必要などないから。
また、成功しても秘密にしたがるかもしれない。すぐにみんなが模倣するから。
でも、熟成は模倣が難しい。中国はコピー天国だけれど、もしもカンタンに模倣できるなら、かつての香港倉庫の黄金時代の味がとっくに再現できているはず。

弯弓古樹青餅2014年 その6.

製造 : 2014年05月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)弯弓
茶廠 : 曼撒山の工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶崩し
保存 : アルミ茶缶密封
茶水 : 京都の地下水 
茶器 : チェコ土の茶壺
春尖の茶葉

お茶の感想:
熟成と「春尖」(chun jian)の関係を考える。
春尖とは早春の新芽・若葉のこと。
乾季の冬を越して根や幹や枝に蓄えられたエネルギーが新芽に集中する。
現在は春尖をたっぷり含んだ餅茶は少ない。茶葉の生産量が増えているからだ。
茶山や茶樹によって春の初摘みのタイミングは異なるが、春尖の採取できるのははじめの数日間だけ。春の旬は5週間ほど続くが、ほとんどは大きく育って春尖と呼べる濃度はない。需要が増えると農家の采茶は長期化する。つまり、晩春の茶葉の生産量ばかりが増えて春尖の割合は減る。
近年は多くの餅茶が早春から晩春の茶葉を混ぜ合わせて餅茶にするので春尖が少ないわけだ。
ところが、春尖が多いほど美味しいかというとそうでもない。
春尖が多いと味はピリピリ辛い。苦味がやや強い。体感も強い。
むしろ春尖が少ないほうが味も体感もやさしいくて飲みやすい。
例えばこのお茶。
+【祈享易武青餅2014年 その1.】
祈享易武青餅2014年
原料は一級品だが、早春から晩春までの茶葉が混ぜられるので春尖は少ない。森の古茶樹は日陰で育つものが多く、新芽・若葉の出てくるタイミングが遅くなる。どうしても春尖の割合は少ないわけだ。
大きめの新芽や茎
けっこう大きく育った新芽や硬い茎の部分が混じる。
しかし、味のバランスがよく、喉ごしやわらかく、体感もやさしい。ちょっと濃くしても美味しく飲める。
同じ年2014年の弯弓のオリジナルのお茶と比べてみた。
【弯弓古樹青餅2014年】
弯弓古樹青餅2014年
このお茶の春尖の割合は多い。
采茶は2014年3月15日頃と4月3日頃の2本の樹から行われている。後から考えると弯弓の古茶樹にしてはかなり早い采茶になる。比較的日光のあたる場所で育った茶樹がそうなりやすい。それゆえ早春のまだ乾燥した気候のうちに采茶ができて春尖の純度が高くなる。
弯弓と祈享
左: 弯弓古樹青餅2014年
右: 祈享易武青餅2014年
茶葉の大きさ。色の違い。
どちらも漫撒山の原生種に近い大葉種で、品種的な違いは無い。
春尖の繊維は小さく、柔らかく、茶醤と呼ぶ粘着性の成分が多く、圧延が緊密になりやすい。同じように圧延してもスキマなくガッチリ固まる。
泡茶
少し濃くしてみたら、やはり辛い。苦い。茶気がムンムンしていて喉からお腹にスッと落ちないで上がってくる感じ。しばらくしてゲップが出る。
アルコール度数の高いお酒に似ている。
40度のウオッカはストレートでゴクゴク飲めないけれど、6%のビールはゴクゴク飲める。
春尖の唯一良いところは水質がきめ細かく舌触りがツルンと滑らか。このために甘いと感じることもあるが錯覚だと思う。ウィスキーのストレートでも上質なのは甘く感じたりする。
春尖の葉底
葉底(煎じた後の茶葉)。春尖の繊維は柔らかく指でカンタンにつぶれる。
お茶好きであっても茶気の強いのが苦手な人はけっこう多い。女性やお年寄りはとくにそう。それなのに春尖にこだわる。
2014年の春は弯弓の茶葉のサンプルを多く試して、その中からわざわざこの茶葉を選んでいる。やさしい味のサンプルもあったけれどパスしている。
なぜ春尖にこだわるのか?
あまり意識しないでそうしていたが、振り返ってみると、老茶が自分の手本になっているからだ。
このふたつの餅面の茶葉の写真を見比べてほしい。
+【易昌號大漆樹圓茶04年】
+【7542七子餅茶80年代中期】
上が2004年の晩春の茶葉。色が薄い。黄金色した新芽が大きく育っている。
下が1980年代中期の早春の茶葉。色が濃い(黒い)。黄金色した新芽は爪の先ほどの大きさ。
1980年代のは春尖の多い特徴が現れている。
プーアール茶のいくつかのタイプの中で、1980年代のは清代の貢茶のカタチを継承する茶文化のお茶。交易で栄えた都市で販売されたお茶。生活のお茶ではなく嗜好のお茶。食・酒・煙草・薬草・茶。都市が求める快楽は生理的欲求から離れて、進化を欲求させなければならない。お茶は味や香りもさることながら、茶酔いに神聖なものを感じさせなければならない。
春尖にはそんなチカラが宿る・・・・というのが自分なりの見方。
熟成によって、強すぎる茶気は穏やかになるのか、熟成にどんなふうに有効なのか、13年後にははっきりするだろ。
易武古樹青餅2010年試作品
新芽が爪の先ほどの大きさ
『易武古樹青餅2010年の試作品』
黒っぽく艶のある餅面。緊密に詰まった茶葉。黄金色した新芽は爪の先ほどの大きさ。春尖の純度が高い。
追記:
春尖の茶気の強いのは、お茶淹れの技術である程度カバーできる。
白磁の蓋碗のような熱を逃がしやすい茶器でサッと湯を切るとか、保温性の高い茶壺なら煮やさないよう湯の温度を低めにするとか。なによりも茶葉の量をおもいきって少なめにしたらバランスは良くなる。

ひとりごと:
1980年代までは高級なプーアール茶はすべて海外に売られていた。外貨を稼ぐ国策で専売公社が香港経由で輸出していた。
人民元の価値がまだ安かったから、外国は中国の高級茶を格安で買えた。
日本人で中国茶=安いというイメージのある人は、このときの感覚がまだ残っているのだろう。
でも現在は違う。人民元が高いから。
この先、人民元が格安に思えるほど経済発展する国はあるだろうか?
おそらく世界中のどこにも、高級茶を安く買える人なんていなくなったのだ。

巴達古樹紅餅2010年 その20.

製造 : 2010年04月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨古茶樹
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺
巴達古樹紅餅2010年

お茶の感想:
熟成のお茶をつくりたい。
20年モノ30年モノの老茶にはそれ独自の味があり体感がある。
長年熟成することによって茶葉は性質を変える。
生茶のプーアール茶は、とくに春の茶葉は”寒”が強いと言われるように身体の芯を冷やすが、30年も熟成させた老茶は”温”の性質に変わる。味わい深くなり、茶酔い心地も上質になる。味覚と快楽と薬効がひとつにつながる感じ。漢方にも共通する知恵がある。
熟成させるためのお茶づくりは、新しいうちに飲むためのお茶づくりとは異なるはず。
ところが、そのへんが曖昧なのだ。
プーアール茶には歴史の途切れた期間があって、教科書もなければ先生もいない。わからないことは自分なりに探るしかない。
そこで仮説を立ててみる。例えば、オリジナルのお茶では直射日光による晒干にこだわっているが、近年は半透明のビニールシートやプラスチックボード越しの日光で晒干するのが一般的になっている。雨を避けて製茶できて生産効率がよいからだ。なぜ直射日光かというと、太陽光線で茶葉の表面を焦がすため。その焦げが抗酸化作用をもって長期熟成に耐える・・・というのが仮説。
この仮説が正しいかどうかわかるのは20年後。2010年のオリジナルのお茶は今年で熟成7年目なのであと13年待つことになるが、できたらそれまでにちょっとでも確かなことを見つけたい。つぎの新しいお茶づくりに反映させたい。
ということで、熟成の観点でみてみる。
巴達古樹紅餅2010年
今日はこのお茶。
+【巴達古樹紅餅2010年紅茶】
紅茶であるが一般的な紅茶ではない。生茶のプーアール茶から殺青の工程を省いただけの製法。なので”生”な要素が多く残っている。ある意味で生茶よりももっと生。一般的な紅茶は機械乾燥の工程でしっかり熱をとおす。茶葉の成分変化を止めるために酸化酵素を熱で失活させる。このお茶は圧延加工の蒸気以外に酸化酵素を失活させるほどの高熱(70度以上)がとおっていない。蒸気はコンプレッサーで圧力がかかって100度を超えているものの、ほんの15秒から20秒しか蒸らさないので、茶葉の芯まで熱がとおるはずがない。圧餅後は乾燥室で乾燥させたが60度以下で12時間ほど。12時間のうち8時間くらいは常温に近いはず。内側に”生”が宿っている。
教科書的なお茶づくりからしたら邪道である。お茶として不安定すぎて完成していない。しかし、”生”な要素が長期熟成に有効だと仮定して、その”生”の意味が酸化酵素の活性を残すということであれば、この茶葉はサンプルとして面白い。いや、実際のところイケると考えて、2011年・2013年・2014年・2015年・2016年と同じ製法の紅茶をつくっている。
餅面の色はやや黒味が増したくらいでそんなに変化ないが、香りはかなり変わった。
鮮花のラベンダーのようなツンツンした香りから、ドライフラワーのローズを経て、ドライフルーツの杏っぽい香りになった。
巴達古樹紅餅2010年
お茶淹れはこだわると難しい。当然ながら熱に敏感だから。
できたてから2年目くらいまでは高温で淹れると辛味が立つ。
昨年の同じ製法の紅茶は、蓋碗に湯を注いでから茶葉を投入するという淹れ方を紹介しているが、茶葉が煮えてしまうほど敏感なのである。
+【章朗古樹紅餅2016年】
茶葉を煮やすと美味しさは半減する。
7年目の現在は、低温では味がバラバラでまとまらない。酸味が際立つこともある。高温でじっくり抽出するとまとまる。豊かにふくらむ。茶器は保温性の高い茶壺がよい。茶壺の中で熱がとおって味がまとまるのだが、この変化の大きさをみても熱に敏感に反応していることがわかる。しっかり熱がとおると香りに新鮮さが戻ってドライフラワーのローズくらいになる。
ピリピリ感はまだ健在だが潤いが増してまろやかに感じる。苦味・渋味の余韻が涼しく鮮味を感じるので、何も言わずに飲まされても7年目の茶葉とは思わないだろう。
チェコ土の茶壺でお茶淹れ
おもいきって濃くすると苦味・渋味が強いが、かすかにチョコレート風味の出てきているのが見つかる。
これはメイラード反応(常温の焦げ)によるタンパク質の一種が焦げた風味。老茶には必ずある。烏龍茶のように柔らかい炭火で焙煎した紅茶が福建省にあるが、それも同じようなチョコレート風味を持つ。炭火は高温なので数時間でメイラード反応を得ている。
体感は”温”を増してお腹がポカポカ温かい。背中の筋肉がゆるむ。茶酔いはゆったり穏やかになってきている。
このバランス。このセンス。7年熟成モノの中ではいちばん老茶に近い雰囲気があると思う。
もっとチョコレート風味が明らかになって味に深みが出ないと、老茶ファンを満足はさせられないけれど。
葉底

ひとりごと:
2015年の冬にこのお茶を機械乾燥して餅茶のまま焙煎を試したことがあった。
しかしこれは失敗。サンプルとして不十分。
火入れは丁寧にやさしく行わないと荒れる。荒れてサンプルにならない。
ただ、風味に涼しさを失ったのは確かだった。上手に焙煎された福建省の紅茶でも涼しさの点ではこのお茶に劣る。
プーアール茶の60年モノにも保たれている涼しさが、もしも酸化酵素を残すという意味での”生”であれば、生茶づくりの殺青をあまりきっちりやってはいけないかもしれない。最近みんなはこれをきっちりやりたがっているが、どうなのかな。

農薬について考える その5.

西双版納のある茶山の畝作りの茶畑では殺虫剤が使われている。
そこでは10年ほど前から使用しているらしいが、10年前から茶葉の虫食いが増えたためにそうしているらしい。
10年ほど前といえば2007年のちょうど大陸のプーアール茶ブームで需要が拡大した頃、新しい茶園が増えた時期と重なっている。さらに、この10年間は自動車のタイヤの需要による天然ゴムのプランテーションの開拓がすすみ、茶山周辺の森林を大規模に失ってきた。
茶葉につく虫を食べる小鳥たちが住むところを失う。地域全体が乾燥して気候が変わる。他の変化には気付きにくいが、いろんな生物や植物が住むところを失って生態系のバランスが崩れてきている。
化学薬品が使われる茶畑
生態系のバランスが崩れると殺虫剤の出番が増える。
農家の経済の変化も関係する。
四季折々いろんな作物をつくって半自給自足の生活をしていたスタイルが、収益の高いひとつの作物に集中して、その稼ぎで生活費を賄うスタイルへと変化してきた。マイカーを買う。家を新築する。子供を大学にやる。収入を増やさないとやってゆけない。
中国は農家一軒ごとに土地が割り当てられた小規模農業が中心なので、限られた土地で生産性を上げなければならない。高く売れる作物に労働力を集中させたほうが効率よい。村の誰かが有効な手段を見つけたら村のみんなに普及する。殺虫剤が有効となれば村じゅうに普及する。
殺虫剤をいちど使用した茶畑は、来年も再来年も続けないと食害が止まらなくなる。
生態系のバランスが崩れて虫の天敵が減ったことに加えて、茶樹そのものの体質が虫に弱くなってゆくことも考えられる。虫のアタックを防ぐために自ら免疫力をつくりだして虫の嫌う体質になろうとするのを殺虫剤が阻んでしまうのだ。人間の子供と同じで、過保護は病気への抵抗力を養う機会を奪うことがある。
部外者の我々は安易に考える。
例えば、自然栽培をアピールしたら消費者にその価値が理解されるのではないかとか。国が保護したり規制したりするのが有効ではないかとか。
生態系のバランスが崩れたまま無農薬を維持するなど実際には不可能なのに、矛盾をかかえたまま農家は板挟みになる。
西双版納は交通の便が良くなって観光者は年々増えている。有名茶山を参観するお茶ファンも増えている。農家は彼らにウケがよいように自然栽培を演出する。お茶ファンに見せる農地だけに自然栽培を保って、ちょっと奥へ入った農地では化学薬品をつかう。そうなると余計に難しい。カムフラージュされると外から問題を見つけにくくなる。国や自治体が管理するのもうまくゆかない。巧妙な隠蔽工作を増やしたり、内部から腐敗することもある。
相反する(ように見える)2つの問題が絡んでいる。
生態系のバランスを健康に保つこと。農家が経済成長できること。
ここに勘違いがある。
作物をひとつに集中させたほうが生産効率が良いという勘違い。
例えば、茶畑には茶樹しか存在しない状態のほうが、茶葉の生産効率は良いと考えられている。栄養を茶樹に集中させたいので、他の生物や植物はなるべく排除したい。
短期的に見るとたしかにそうした農家ほど生産性を上げて稼いでいるが、長期的に見るとそうでもない。量産しやすい農産物ほど市場での需要が飽和するのにそう時間を要しないから。
巴達山の生態茶園で試みられた、茶樹に寄生する薬草の栽培に面白い結果が出ている。
巴達山の茶園
茶樹の寄生植物
茶樹の寄生植物
茶樹の寄生植物
寄生植物に栄養が奪われて茶樹が弱るのではないか?
茶葉の生産量が少なくなるのではないか?
当初はそういう心配があったが、3年目の現在はぜんぜんそんなことはない。茶樹はむしろ元気で生産量は変わらない。気のせいかもしれないが他の茶園よりもお茶は薫り高い。
薬草のためにも除草剤も殺虫剤も使えないので、労働力を要して生産コストは上がっているが、その分は薬草の収入で賄える。茶葉だけ生産する無農薬栽培よりも薬草分の収入が多いことになる。
他の生物や植物と共生することで、なにかを失うがなにかを得ている。
ひとつの作物の生産性を見るよりも生態系のすべての生産性を見たほうが、生態系にある資産が活用できるということ。まだ知らないだけで莫大な資産が眠っている可能性がある。
農家がこの分野にもっと賢くなれば、化学薬品の使用は経済的にも不合理となる。

農薬について考える その4.

他人の食うもののことなど知ったことか!
というような他人への無関心、思いやりのない心が食品の安全や健康を損なってきた原因と思う。
自分の子供には食べさせたくないものを他人に平気で売ることができる。身内と他人を分けて考えられる。これは今も昔も世界中のどの国の人もそうで、人の本性だからひっくり返すのは難しいだろう。
企業のような組織はむしろそんな人の性質をうまく利用して自己の利益を追求する。
例えば、除草剤メーカーは農家さんのためになっても、農家さんのつくるものを食べる人や、山の生態系のあらゆる産物から糧を得て生活する人のためになるところまでは考えないし、まして野生動物や虫のことなど屁とも思っていない。除草剤メーカーからしたら農家さんは身内で、地域の人や食べものの消費者は他人ということだろうか。
例えば、食品の大手貿易商社は原産国の自然環境が破壊されてダメになってもまた別の国から輸入すればよいし、産地でどんなにひどいことがあっても消費地に知られなければ大丈夫と考えて大量生産されたものを安く売る商売ができる。消費者の健康については関心がない。身内となるのは稼ぎを分けている社内の人や取引先や投資家のみで、あとはみんな他人なのだ。
身内と他人。「内」と「外」をつくることによって自己のモラルの有効範囲を決められる。有効範囲内で”いい人”であればそれでよいとする。
もしも世界が身内ばかりで他人がひとりもいないなら戦争は起こらない。人類皆兄弟なら兄弟喧嘩はしても戦争にはならない。逆に言えば、戦争するために国がある。内と外を国境線で分けて揉め事をつくりたいのかもしれない。
もしかしたら宇宙人も兄弟かもしれない。彼らは兄弟を訪ねて旅行に来ることはあっても侵略という発想ははじめからない。そうするとハリウッド映画は成立しない。世界中の人の心のどこかに外の敵をつくりたい意識が潜むからこそ映画は大ヒットする。
外に敵をつくることで内への愛情を育む。アメリカのマッチョなおっさんヒーローみたいな感じ。この構造でつくられた愛情はどこか安モノっぽい。安モノを見抜く眼を養うために、もっと心理学や社会学が普及してほしい。
ま、宇宙人は冗談として、地球上のあらゆる生きものが身内だと考えることができたら、いろんな問題の解決は早いだろう。たぶん、大昔に仏教はそれを目指した。
ビワ
(無農薬のビワ。親戚から送ってきたもの。)
お茶づくりをとおして生態系のつながりを勉強するにつれ、山の自然と自分のお腹の中の健康はいっしょになってくる。山の自然の調子が悪くなってきたら、そこでつくられるあらゆる食べものの栄養が偏ってきて、それを食べる人のお腹の中も調子を崩して、やがて健康を損なう。
みんなも自分の食べものがつくられている土地の自然を観察してみたらよいのだ。自分のお腹の中が見えてくるから。自分のお腹の中に除草剤や殺虫剤を撒きたい人はいないはずだ。肥料たっぷりでメタボになりたい人もいないはずだ。
意識しなくても人の身体は健康を回復しようと頑張っている。それと同じように、自然も健康を回復しようと頑張っている。邪魔しなければよいだけ。カンタンなこと。
たまたま見たTEDトークにこんなのがあった。
+【ダン・バーバー: 魚と恋に落ちた僕】 
タイトルと内容は一致していない。
スペインの魚の養殖に自然栽培的な手法(餌をやらない。外敵から守らない。自然のままの環境を再現した養殖池。)の成功例を紹介して、現代農業は生態系の資本を有効利用していないのではないかと異議を唱えている。
自分にはこの例のような広大な土地を所有するチカラはない。けれど、仕事を休んで山の健康が回復するのを待つことはできる。農家と相談して小さな森林を守ってゆくことはできる。森林があれば、虫やカビにやられた茶樹は何年か放置していたら免疫力を高めて回復する。その免疫力こそがお茶の薬効や香りにつながることを証明することはできる。
気の長い話だ。けれどこの問題からは逃げられない。お茶がダメなら米もいいしワインもいいなと思っていたけれど、結局同じ問題が待っている。IT業界に転職しようが、ハワイに移住しようが、朝・昼・晩と食べるものの育った自然環境のことを心配しなければならない。自分の身体を心配するのと同じように。
どうあがいても他人ごとにはできない。

農薬について考える その3.

聞くところによると、台湾では”農地の茶樹を3年間放置した後の春の初摘み”というのが高く評価されているらしい。
3年も茶摘みをしないで周囲の草刈りもしないで放っておくと、茶樹は休憩モードに入って春に出す新芽の数が少なくなる。産量は少ないので高価になる。年に一度の春しか摘まない茶葉のさらに5倍の価格なら妥当だろうか。それでも欲しい人がいるので農家は仕事になる。台湾のお茶ファンの層は厚い。
その一方で、観光客向けの安いお茶を大量に栽培する農地は面積を増やす一方である。市場シェアのほとんどを占める。
台湾はお茶どころとして成熟している。過去に自然環境の荒廃を何度も経験してきて、二極化が鮮明になったのだろう。
雲南も同じようになってゆくにちがいない。
西双版納の産地でもそうした動きがある。
茶商やメーカーが農家から土地を借りて自分の思うように茶樹を栽培するのが流行りつつある。内容はピンからキリまであるだろうが、いずれにしても根本が大きく違ってくる。
西双版納の山
自然のままの自然ではなく、人間の管理した言わば”自然栽培の盆栽”みたいなものになってゆく。
植木鉢の中だけを管理する盆栽のように茶園に区切ったところだけを管理する。隣の茶園のことは知らないことにする。茶園であろうが茶山であろうが規模は違えど範囲を区切れば管理できる。地域の広範囲な環境破壊から茶樹を守るのはその手しかないだろう。
でも本当は、山の生き物や植物はすべてが繋がっている。隣の茶園も隣の山も谷も平地も・・・境界線とか土地の区分とかは人間の都合でつくった概念でしかない。自分の茶園だけいい顔をしても健康な自然は戻ってこない。そうと知っていてもそうするしかない。それしかできない。地域全体の環境や人々の生活が大きく変わってゆく流れは誰にも止められない。
結局、農薬の問題も他人の問題というふうに線を引いてしまうのだな。

倚邦古樹晒青茶2017年 その1.

采茶 : 2017年03月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県象明倚邦山小葉種古樹
茶廠 : 農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の茶壺
倚邦古樹晒青茶2017年

お茶の感想:
早春に茶友が農家から拾ってきたお茶。
采茶は3月15日頃かと思う。
古茶樹の旬のはしりだが、その後すぐに長い雨になったから、2017年春の雨の前のはこのお茶だけ。
今年の茶摘みの第一日目の分、晒青毛茶にして1キロ弱。
現地の茶友たちと分けて飲んで終わり。市場に流通するわけがない。
自分の手元には5煎分来たが、美味しいから3日でぜんぶ飲んでしまった。勉強会のサンプルにできたのに・・・・。
そういうわけで、今年は新茶をテーマにした勉強会ができなくなった。
3月中頃の試飲からすでに2ヶ月も経過しているが、ちょっと思い出して、そのとき感じたことを記録しておこう。
倚邦茶山
旧六大茶山の倚邦には小葉種の古茶樹がある。明代に漢族が南下して持ち込んだ品種。中国の都市の茶文化の市場に向けたお茶づくりのはじまりである。
倚邦は現在3つの村に分かれていて、茶地(山)も3箇所に分かれている。
ちょうど真ん中に位置する村は昔の石畳が残っているので有名だが、茶地にも村にも除草剤を使用している。
【倚邦古茶樹 写真】
村長の管理が悪いのだと思う。他の2つの村は頑張っていて、村の中や茶地へ向かう道も村人が総出で草刈りをしている。除草剤を使わない。除草剤を完全になくさなければ意味がないのだ。それゆえに真ん中の村のしていることが憎い。
いちばん奥の村は、この地域に最初に漢族が移住してきた村だが、後に茶荘(今で言う貿易商)らが真ん中の村に引っ越して、現在は当時の石畳すら残っていないので見学する人は少ない。15世帯ほどだろうか、古くからこの地域のお茶づくりに関わってきた彝族の農家がひっそり暮らしている。
倚邦老街
村は過疎化がすすんでいるが、近年の古茶樹ブームで農地の拡大は再び盛んになっている。新しく開拓された農地は外地の業者の投資によるもの。製茶工房も村の外の幹線道路沿いに建設されている。
倚邦茶山
森が伐採され、ゴルフ場の芝生のような緑の農地に新しい苗が植えられる。
森が減ったことで山の気候が変わり、古茶樹のお茶の味や体感までもが変わってくる。
ま、それでも他の多くの茶山に比べると自然環境は良く保っているほう。茶地は村の周辺だけでなく、1時間以上歩いて入る森の中にもまだ残っている。
前回に訪問した際には村の近くの茶地を見学した。
茶地
茶樹
虫糞茶の虫
昨年の秋はなぜか茶虫が異常発生していた。もちろん殺虫剤は撒かないでそのまま放置。小鳥が群れで来たらいっぺんになくなる。生態環境が良ければ、茶葉だけが食い尽くされることなどない。
泡茶
泡茶2
泡茶3
泡茶3
香り高くジューシーで甘味も苦味もすっきり消えが良い。
水の粒子が細かくて舌触りが滑らか。でも後味は軽い。旬が濃縮されている。
葉底
小葉種といってもそこそこの大きさだが、このくらい小さいといつもの調子で殺青(鉄鍋炒り)すると焦がしてしまう。とくに雨の前の水分の少ない茶葉は注意が要る。農家はそんなのお構いなしで火加減しないので、茶杯の底にちょっとだけ焦げた黒い粉が見える。ただ、味的には問題のないレベルだった。
問題は、この品種はたぶん長期熟成に適したタイプではないこと。熟成するほどに完成度が下がってゆくような気がする。
個人の感覚で判断していることだが、老茶の経験からすると、旧六大茶山の老茶と共通する体感が見つからない。
なぜそうなのか?茶葉の大きさやカタチゆえに製茶の仕上がりが異なるのか?そもそも茶葉の持つ成分が熟成変化に向いていないのか?ただ味のバランスがそう感じさせるだけなのか?
品種が製茶方法を選ぶ。
昔にどうやって製茶方法が選択されたのかを想像してみると、やはり味や香りだけで判断されるものではなかっただろう。それよりも体感を重視したはず。漢方薬の価値観があるから。
その観点からすると、この品種は緑茶か烏龍茶に適しているような気がする。
手元に5煎分だけまわってきて、サンプルを残さず3日間で飲みきったというのも、このお茶は新鮮なうちが美味しいと知っているからだろう。

ひとりごと:
四国の愛媛県で無農薬栽培されている甘夏。
見かけが悪いから市販されずに親戚や友達にまわってくる。それでいいのだ。
無農薬甘夏
酸っぱくて甘い。ちょっと苦い。
体感が良い。息がスッと軽くなる。肩から背骨の上から下までの筋肉がゆるむ。
お茶もそうで、どんなに専門家が評価していても体感の悪いのはダメ。
当店のお茶も、いよいよ市販されずに親戚や友達だけにまわるようになるのかもしれない。
米・酒・調味料・野菜・キノコ・果物・魚・肉・なんでもよいので、無農薬・無化学肥料で体感の良い上等なのと物々交換しましょう。

農薬について考える その2.

見たいものだけを見たい。嫌なものは見たくない。
毎日を気分良くすごしたい。
みんなそうだろ。
みんなそうだとみんなが知っているから、環境破壊や農薬の問題は軽視されやすい。
見ざる聞かざる言わざる
逆に、自分にとってちょっとでも都合の良いことは過大評価されやすい。自然栽培や有機栽培を謳うお茶はそんな消費者の心理を追い風にする。自然栽培や有機栽培といってもピンからキリまでものすごく大きな差があるが、その差を正確に把握しようとすると不都合な真実を知ることになって他人から嫌われる。嫌なことはしたくない。知らないふりをして見過ごしたい。
結局この問題は消費者が悪い!と、自分の立場からは言いたいところだが、そうじゃない。農家が悪い、メーカーが悪い、茶商が悪い、小売店が悪い、消費者が悪い、農薬メーカーが悪い、国が悪い。他人が悪いとして外側の問題にしてしまいたいが本当はそうじゃない。
人間が悪い。みんなひとりひとりの内側に潜む悪。
自分の悪と対峙するのを避けて楽しく生きようとする陽気な性格。だからこそ人間は繁栄できたのかもしれない。国は未来の子どもたちから借金しまくって経済のお祭りを続けたり、毎日の食品の原料となる農作物にヘンな化学薬品がいっぱい使われたり、賢い人はこれを利用してもっと幸せになることだけを考えたりするのかもしれない。
環境破壊や農薬の問題はいつか暇な時に考えることにして、今日を楽しく生きよう。


茶想

試飲の記録です。

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