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弯弓古樹青餅2014年 その6.

製造 : 2014年05月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)弯弓
茶廠 : 曼撒山の工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶崩し
保存 : アルミ茶缶密封
茶水 : 京都の地下水 
茶器 : チェコ土の茶壺
春尖の茶葉

お茶の感想:
熟成と「春尖」(chun jian)の関係を考える。
春尖とは早春の新芽・若葉のこと。
乾季の冬を越して根や幹や枝に蓄えられたエネルギーが新芽に集中する。
現在は春尖をたっぷり含んだ餅茶は少ない。茶葉の生産量が増えているからだ。
茶山や茶樹によって春の初摘みのタイミングは異なるが、春尖の採取できるのははじめの数日間だけ。春の旬は5週間ほど続くが、ほとんどは大きく育って春尖と呼べる濃度はない。需要が増えると農家の采茶は長期化する。つまり、晩春の茶葉の生産量ばかりが増えて春尖の割合は減る。
近年は多くの餅茶が早春から晩春の茶葉を混ぜ合わせて餅茶にするので春尖が少ないわけだ。
ところが、春尖が多いほど美味しいかというとそうでもない。
春尖が多いと味はピリピリ辛い。苦味がやや強い。体感も強い。
むしろ春尖が少ないほうが味も体感もやさしいくて飲みやすい。
例えばこのお茶。
+【祈享易武青餅2014年 その1.】
祈享易武青餅2014年
原料は一級品だが、早春から晩春までの茶葉が混ぜられるので春尖は少ない。森の古茶樹は日陰で育つものが多く、新芽・若葉の出てくるタイミングが遅くなる。どうしても春尖の割合は少ないわけだ。
大きめの新芽や茎
けっこう大きく育った新芽や硬い茎の部分が混じる。
しかし、味のバランスがよく、喉ごしやわらかく、体感もやさしい。ちょっと濃くしても美味しく飲める。
同じ年2014年の弯弓のオリジナルのお茶と比べてみた。
【弯弓古樹青餅2014年】
弯弓古樹青餅2014年
このお茶の春尖の割合は多い。
采茶は2014年3月15日頃と4月3日頃の2本の樹から行われている。後から考えると弯弓の古茶樹にしてはかなり早い采茶になる。比較的日光のあたる場所で育った茶樹がそうなりやすい。それゆえ早春のまだ乾燥した気候のうちに采茶ができて春尖の純度が高くなる。
弯弓と祈享
左: 弯弓古樹青餅2014年
右: 祈享易武青餅2014年
茶葉の大きさ。色の違い。
どちらも漫撒山の原生種に近い大葉種で、品種的な違いは無い。
春尖の繊維は小さく、柔らかく、茶醤と呼ぶ粘着性の成分が多く、圧延が緊密になりやすい。同じように圧延してもスキマなくガッチリ固まる。
泡茶
少し濃くしてみたら、やはり辛い。苦い。茶気がムンムンしていて喉からお腹にスッと落ちないで上がってくる感じ。しばらくしてゲップが出る。
アルコール度数の高いお酒に似ている。
40度のウオッカはストレートでゴクゴク飲めないけれど、6%のビールはゴクゴク飲める。
春尖の唯一良いところは水質がきめ細かく舌触りがツルンと滑らか。このために甘いと感じることもあるが錯覚だと思う。ウィスキーのストレートでも上質なのは甘く感じたりする。
春尖の葉底
葉底(煎じた後の茶葉)。春尖の繊維は柔らかく指でカンタンにつぶれる。
お茶好きであっても茶気の強いのが苦手な人はけっこう多い。女性やお年寄りはとくにそう。それなのに春尖にこだわる。
2014年の春は弯弓の茶葉のサンプルを多く試して、その中からわざわざこの茶葉を選んでいる。やさしい味のサンプルもあったけれどパスしている。
なぜ春尖にこだわるのか?
あまり意識しないでそうしていたが、振り返ってみると、老茶が自分の手本になっているからだ。
このふたつの餅面の茶葉の写真を見比べてほしい。
+【易昌號大漆樹圓茶04年】
+【7542七子餅茶80年代中期】
上が2004年の晩春の茶葉。色が薄い。黄金色した新芽が大きく育っている。
下が1980年代中期の早春の茶葉。色が濃い(黒い)。黄金色した新芽は爪の先ほどの大きさ。
1980年代のは春尖の多い特徴が現れている。
プーアール茶のいくつかのタイプの中で、1980年代のは清代の貢茶のカタチを継承する茶文化のお茶。交易で栄えた都市で販売されたお茶。生活のお茶ではなく嗜好のお茶。食・酒・煙草・薬草・茶。都市が求める快楽は生理的欲求から離れて、進化を欲求させなければならない。お茶は味や香りもさることながら、茶酔いに神聖なものを感じさせなければならない。
春尖にはそんなチカラが宿る・・・・というのが自分なりの見方。
熟成によって、強すぎる茶気は穏やかになるのか、熟成にどんなふうに有効なのか、13年後にははっきりするだろ。
易武古樹青餅2010年試作品
新芽が爪の先ほどの大きさ
『易武古樹青餅2010年の試作品』
黒っぽく艶のある餅面。緊密に詰まった茶葉。黄金色した新芽は爪の先ほどの大きさ。春尖の純度が高い。
追記:
春尖の茶気の強いのは、お茶淹れの技術である程度カバーできる。
白磁の蓋碗のような熱を逃がしやすい茶器でサッと湯を切るとか、保温性の高い茶壺なら煮やさないよう湯の温度を低めにするとか。なによりも茶葉の量をおもいきって少なめにしたらバランスは良くなる。

ひとりごと:
1980年代までは高級なプーアール茶はすべて海外に売られていた。外貨を稼ぐ国策で専売公社が香港経由で輸出していた。
人民元の価値がまだ安かったから、外国は中国の高級茶を格安で買えた。
日本人で中国茶=安いというイメージのある人は、このときの感覚がまだ残っているのだろう。
でも現在は違う。人民元が高いから。
この先、人民元が格安に思えるほど経済発展する国はあるだろうか?
おそらく世界中のどこにも、高級茶を安く買える人なんていなくなったのだ。

巴達古樹紅餅2010年 その20.

製造 : 2010年04月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山曼邁寨古茶樹
茶廠 : 農家+孟海の茶廠
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 京都の地下水
茶器 : チェコ土の茶壺
巴達古樹紅餅2010年

お茶の感想:
熟成のお茶をつくりたい。
20年モノ30年モノの老茶にはそれ独自の味があり体感がある。
長年熟成することによって茶葉は性質を変える。
生茶のプーアール茶は、とくに春の茶葉は”寒”が強いと言われるように身体の芯を冷やすが、30年も熟成させた老茶は”温”の性質に変わる。味わい深くなり、茶酔い心地も上質になる。味覚と快楽と薬効がひとつにつながる感じ。漢方にも共通する知恵がある。
熟成させるためのお茶づくりは、新しいうちに飲むためのお茶づくりとは異なるはず。
ところが、そのへんが曖昧なのだ。
プーアール茶には歴史の途切れた期間があって、教科書もなければ先生もいない。わからないことは自分なりに探るしかない。
そこで仮説を立ててみる。例えば、オリジナルのお茶では直射日光による晒干にこだわっているが、近年は半透明のビニールシートやプラスチックボード越しの日光で晒干するのが一般的になっている。雨を避けて製茶できて生産効率がよいからだ。なぜ直射日光かというと、太陽光線で茶葉の表面を焦がすため。その焦げが抗酸化作用をもって長期熟成に耐える・・・というのが仮説。
この仮説が正しいかどうかわかるのは20年後。2010年のオリジナルのお茶は今年で熟成7年目なのであと13年待つことになるが、できたらそれまでにちょっとでも確かなことを見つけたい。つぎの新しいお茶づくりに反映させたい。
ということで、熟成の観点でみてみる。
巴達古樹紅餅2010年
今日はこのお茶。
+【巴達古樹紅餅2010年紅茶】
紅茶であるが一般的な紅茶ではない。生茶のプーアール茶から殺青の工程を省いただけの製法。なので”生”な要素が多く残っている。ある意味で生茶よりももっと生。一般的な紅茶は機械乾燥の工程でしっかり熱をとおす。茶葉の成分変化を止めるために酸化酵素を熱で失活させる。このお茶は圧延加工の蒸気以外に酸化酵素を失活させるほどの高熱(70度以上)がとおっていない。蒸気はコンプレッサーで圧力がかかって100度を超えているものの、ほんの15秒から20秒しか蒸らさないので、茶葉の芯まで熱がとおるはずがない。圧餅後は乾燥室で乾燥させたが60度以下で12時間ほど。12時間のうち8時間くらいは常温に近いはず。内側に”生”が宿っている。
教科書的なお茶づくりからしたら邪道である。お茶として不安定すぎて完成していない。しかし、”生”な要素が長期熟成に有効だと仮定して、その”生”の意味が酸化酵素の活性を残すということであれば、この茶葉はサンプルとして面白い。いや、実際のところイケると考えて、2011年・2013年・2014年・2015年・2016年と同じ製法の紅茶をつくっている。
餅面の色はやや黒味が増したくらいでそんなに変化ないが、香りはかなり変わった。
鮮花のラベンダーのようなツンツンした香りから、ドライフラワーのローズを経て、ドライフルーツの杏っぽい香りになった。
巴達古樹紅餅2010年
お茶淹れはこだわると難しい。当然ながら熱に敏感だから。
できたてから2年目くらいまでは高温で淹れると辛味が立つ。
昨年の同じ製法の紅茶は、蓋碗に湯を注いでから茶葉を投入するという淹れ方を紹介しているが、茶葉が煮えてしまうほど敏感なのである。
+【章朗古樹紅餅2016年】
茶葉を煮やすと美味しさは半減する。
7年目の現在は、低温では味がバラバラでまとまらない。酸味が際立つこともある。高温でじっくり抽出するとまとまる。豊かにふくらむ。茶器は保温性の高い茶壺がよい。茶壺の中で熱がとおって味がまとまるのだが、この変化の大きさをみても熱に敏感に反応していることがわかる。しっかり熱がとおると香りに新鮮さが戻ってドライフラワーのローズくらいになる。
ピリピリ感はまだ健在だが潤いが増してまろやかに感じる。苦味・渋味の余韻が涼しく鮮味を感じるので、何も言わずに飲まされても7年目の茶葉とは思わないだろう。
チェコ土の茶壺でお茶淹れ
おもいきって濃くすると苦味・渋味が強いが、かすかにチョコレート風味の出てきているのが見つかる。
これはメイラード反応(常温の焦げ)によるタンパク質の一種が焦げた風味。老茶には必ずある。烏龍茶のように柔らかい炭火で焙煎した紅茶が福建省にあるが、それも同じようなチョコレート風味を持つ。炭火は高温なので数時間でメイラード反応を得ている。
体感は”温”を増してお腹がポカポカ温かい。背中の筋肉がゆるむ。茶酔いはゆったり穏やかになってきている。
このバランス。このセンス。7年熟成モノの中ではいちばん老茶に近い雰囲気があると思う。
もっとチョコレート風味が明らかになって味に深みが出ないと、老茶ファンを満足はさせられないけれど。
葉底

ひとりごと:
2015年の冬にこのお茶を機械乾燥して餅茶のまま焙煎を試したことがあった。
しかしこれは失敗。サンプルとして不十分。
火入れは丁寧にやさしく行わないと荒れる。荒れてサンプルにならない。
ただ、風味に涼しさを失ったのは確かだった。上手に焙煎された福建省の紅茶でも涼しさの点ではこのお茶に劣る。
プーアール茶の60年モノにも保たれている涼しさが、もしも酸化酵素を残すという意味での”生”であれば、生茶づくりの殺青をあまりきっちりやってはいけないかもしれない。最近みんなはこれをきっちりやりたがっているが、どうなのかな。

農薬について考える その5.

西双版納のある茶山の畝作りの茶畑では殺虫剤が使われている。
そこでは10年ほど前から使用しているらしいが、10年前から茶葉の虫食いが増えたためにそうしているらしい。
10年ほど前といえば2007年のちょうど大陸のプーアール茶ブームで需要が拡大した頃、新しい茶園が増えた時期と重なっている。さらに、この10年間は自動車のタイヤの需要による天然ゴムのプランテーションの開拓がすすみ、茶山周辺の森林を大規模に失ってきた。
茶葉につく虫を食べる小鳥たちが住むところを失う。地域全体が乾燥して気候が変わる。他の変化には気付きにくいが、いろんな生物や植物が住むところを失って生態系のバランスが崩れてきている。
化学薬品が使われる茶畑
生態系のバランスが崩れると殺虫剤の出番が増える。
農家の経済の変化も関係する。
四季折々いろんな作物をつくって半自給自足の生活をしていたスタイルが、収益の高いひとつの作物に集中して、その稼ぎで生活費を賄うスタイルへと変化してきた。マイカーを買う。家を新築する。子供を大学にやる。収入を増やさないとやってゆけない。
中国は農家一軒ごとに土地が割り当てられた小規模農業が中心なので、限られた土地で生産性を上げなければならない。高く売れる作物に労働力を集中させたほうが効率よい。村の誰かが有効な手段を見つけたら村のみんなに普及する。殺虫剤が有効となれば村じゅうに普及する。
殺虫剤をいちど使用した茶畑は、来年も再来年も続けないと食害が止まらなくなる。
生態系のバランスが崩れて虫の天敵が減ったことに加えて、茶樹そのものの体質が虫に弱くなってゆくことも考えられる。虫のアタックを防ぐために自ら免疫力をつくりだして虫の嫌う体質になろうとするのを殺虫剤が阻んでしまうのだ。人間の子供と同じで、過保護は病気への抵抗力を養う機会を奪うことがある。
部外者の我々は安易に考える。
例えば、自然栽培をアピールしたら消費者にその価値が理解されるのではないかとか。国が保護したり規制したりするのが有効ではないかとか。
生態系のバランスが崩れたまま無農薬を維持するなど実際には不可能なのに、矛盾をかかえたまま農家は板挟みになる。
西双版納は交通の便が良くなって観光者は年々増えている。有名茶山を参観するお茶ファンも増えている。農家は彼らにウケがよいように自然栽培を演出する。お茶ファンに見せる農地だけに自然栽培を保って、ちょっと奥へ入った農地では化学薬品をつかう。そうなると余計に難しい。カムフラージュされると外から問題を見つけにくくなる。国や自治体が管理するのもうまくゆかない。巧妙な隠蔽工作を増やしたり、内部から腐敗することもある。
相反する(ように見える)2つの問題が絡んでいる。
生態系のバランスを健康に保つこと。農家が経済成長できること。
ここに勘違いがある。
作物をひとつに集中させたほうが生産効率が良いという勘違い。
例えば、茶畑には茶樹しか存在しない状態のほうが、茶葉の生産効率は良いと考えられている。栄養を茶樹に集中させたいので、他の生物や植物はなるべく排除したい。
短期的に見るとたしかにそうした農家ほど生産性を上げて稼いでいるが、長期的に見るとそうでもない。量産しやすい農産物ほど市場での需要が飽和するのにそう時間を要しないから。
巴達山の生態茶園で試みられた、茶樹に寄生する薬草の栽培に面白い結果が出ている。
巴達山の茶園
茶樹の寄生植物
茶樹の寄生植物
茶樹の寄生植物
寄生植物に栄養が奪われて茶樹が弱るのではないか?
茶葉の生産量が少なくなるのではないか?
当初はそういう心配があったが、3年目の現在はぜんぜんそんなことはない。茶樹はむしろ元気で生産量は変わらない。気のせいかもしれないが他の茶園よりもお茶は薫り高い。
薬草のためにも除草剤も殺虫剤も使えないので、労働力を要して生産コストは上がっているが、その分は薬草の収入で賄える。茶葉だけ生産する無農薬栽培よりも薬草分の収入が多いことになる。
他の生物や植物と共生することで、なにかを失うがなにかを得ている。
ひとつの作物の生産性を見るよりも生態系のすべての生産性を見たほうが、生態系にある資産が活用できるということ。まだ知らないだけで莫大な資産が眠っている可能性がある。
農家がこの分野にもっと賢くなれば、化学薬品の使用は経済的にも不合理となる。

農薬について考える その4.

他人の食うもののことなど知ったことか!
というような他人への無関心、思いやりのない心が食品の安全や健康を損なってきた原因と思う。
自分の子供には食べさせたくないものを他人に平気で売ることができる。身内と他人を分けて考えられる。これは今も昔も世界中のどの国の人もそうで、人の本性だからひっくり返すのは難しいだろう。
企業のような組織はむしろそんな人の性質をうまく利用して自己の利益を追求する。
例えば、除草剤メーカーは農家さんのためになっても、農家さんのつくるものを食べる人や、山の生態系のあらゆる産物から糧を得て生活する人のためになるところまでは考えないし、まして野生動物や虫のことなど屁とも思っていない。除草剤メーカーからしたら農家さんは身内で、地域の人や食べものの消費者は他人ということだろうか。
例えば、食品の大手貿易商社は原産国の自然環境が破壊されてダメになってもまた別の国から輸入すればよいし、産地でどんなにひどいことがあっても消費地に知られなければ大丈夫と考えて大量生産されたものを安く売る商売ができる。消費者の健康については関心がない。身内となるのは稼ぎを分けている社内の人や取引先や投資家のみで、あとはみんな他人なのだ。
身内と他人。「内」と「外」をつくることによって自己のモラルの有効範囲を決められる。有効範囲内で”いい人”であればそれでよいとする。
もしも世界が身内ばかりで他人がひとりもいないなら戦争は起こらない。人類皆兄弟なら兄弟喧嘩はしても戦争にはならない。逆に言えば、戦争するために国がある。内と外を国境線で分けて揉め事をつくりたいのかもしれない。
もしかしたら宇宙人も兄弟かもしれない。彼らは兄弟を訪ねて旅行に来ることはあっても侵略という発想ははじめからない。そうするとハリウッド映画は成立しない。世界中の人の心のどこかに外の敵をつくりたい意識が潜むからこそ映画は大ヒットする。
外に敵をつくることで内への愛情を育む。アメリカのマッチョなおっさんヒーローみたいな感じ。この構造でつくられた愛情はどこか安モノっぽい。安モノを見抜く眼を養うために、もっと心理学や社会学が普及してほしい。
ま、宇宙人は冗談として、地球上のあらゆる生きものが身内だと考えることができたら、いろんな問題の解決は早いだろう。たぶん、大昔に仏教はそれを目指した。
ビワ
(無農薬のビワ。親戚から送ってきたもの。)
お茶づくりをとおして生態系のつながりを勉強するにつれ、山の自然と自分のお腹の中の健康はいっしょになってくる。山の自然の調子が悪くなってきたら、そこでつくられるあらゆる食べものの栄養が偏ってきて、それを食べる人のお腹の中も調子を崩して、やがて健康を損なう。
みんなも自分の食べものがつくられている土地の自然を観察してみたらよいのだ。自分のお腹の中が見えてくるから。自分のお腹の中に除草剤や殺虫剤を撒きたい人はいないはずだ。肥料たっぷりでメタボになりたい人もいないはずだ。
意識しなくても人の身体は健康を回復しようと頑張っている。それと同じように、自然も健康を回復しようと頑張っている。邪魔しなければよいだけ。カンタンなこと。
たまたま見たTEDトークにこんなのがあった。
+【ダン・バーバー: 魚と恋に落ちた僕】 
タイトルと内容は一致していない。
スペインの魚の養殖に自然栽培的な手法(餌をやらない。外敵から守らない。自然のままの環境を再現した養殖池。)の成功例を紹介して、現代農業は生態系の資本を有効利用していないのではないかと異議を唱えている。
自分にはこの例のような広大な土地を所有するチカラはない。けれど、仕事を休んで山の健康が回復するのを待つことはできる。農家と相談して小さな森林を守ってゆくことはできる。森林があれば、虫やカビにやられた茶樹は何年か放置していたら免疫力を高めて回復する。その免疫力こそがお茶の薬効や香りにつながることを証明することはできる。
気の長い話だ。けれどこの問題からは逃げられない。お茶がダメなら米もいいしワインもいいなと思っていたけれど、結局同じ問題が待っている。IT業界に転職しようが、ハワイに移住しようが、朝・昼・晩と食べるものの育った自然環境のことを心配しなければならない。自分の身体を心配するのと同じように。
どうあがいても他人ごとにはできない。

農薬について考える その3.

聞くところによると、台湾では”農地の茶樹を3年間放置した後の春の初摘み”というのが高く評価されているらしい。
3年も茶摘みをしないで周囲の草刈りもしないで放っておくと、茶樹は休憩モードに入って春に出す新芽の数が少なくなる。産量は少ないので高価になる。年に一度の春しか摘まない茶葉のさらに5倍の価格なら妥当だろうか。それでも欲しい人がいるので農家は仕事になる。台湾のお茶ファンの層は厚い。
その一方で、観光客向けの安いお茶を大量に栽培する農地は面積を増やす一方である。市場シェアのほとんどを占める。
台湾はお茶どころとして成熟している。過去に自然環境の荒廃を何度も経験してきて、二極化が鮮明になったのだろう。
雲南も同じようになってゆくにちがいない。
西双版納の産地でもそうした動きがある。
茶商やメーカーが農家から土地を借りて自分の思うように茶樹を栽培するのが流行りつつある。内容はピンからキリまであるだろうが、いずれにしても根本が大きく違ってくる。
西双版納の山
自然のままの自然ではなく、人間の管理した言わば”自然栽培の盆栽”みたいなものになってゆく。
植木鉢の中だけを管理する盆栽のように茶園に区切ったところだけを管理する。隣の茶園のことは知らないことにする。茶園であろうが茶山であろうが規模は違えど範囲を区切れば管理できる。地域の広範囲な環境破壊から茶樹を守るのはその手しかないだろう。
でも本当は、山の生き物や植物はすべてが繋がっている。隣の茶園も隣の山も谷も平地も・・・境界線とか土地の区分とかは人間の都合でつくった概念でしかない。自分の茶園だけいい顔をしても健康な自然は戻ってこない。そうと知っていてもそうするしかない。それしかできない。地域全体の環境や人々の生活が大きく変わってゆく流れは誰にも止められない。
結局、農薬の問題も他人の問題というふうに線を引いてしまうのだな。

倚邦古樹晒青茶2017年 その1.

采茶 : 2017年03月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県象明倚邦山小葉種古樹
茶廠 : 農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の茶壺
倚邦古樹晒青茶2017年

お茶の感想:
早春に茶友が農家から拾ってきたお茶。
采茶は3月15日頃かと思う。
古茶樹の旬のはしりだが、その後すぐに長い雨になったから、2017年春の雨の前のはこのお茶だけ。
今年の茶摘みの第一日目の分、晒青毛茶にして1キロ弱。
現地の茶友たちと分けて飲んで終わり。市場に流通するわけがない。
自分の手元には5煎分来たが、美味しいから3日でぜんぶ飲んでしまった。勉強会のサンプルにできたのに・・・・。
そういうわけで、今年は新茶をテーマにした勉強会ができなくなった。
3月中頃の試飲からすでに2ヶ月も経過しているが、ちょっと思い出して、そのとき感じたことを記録しておこう。
倚邦茶山
旧六大茶山の倚邦には小葉種の古茶樹がある。明代に漢族が南下して持ち込んだ品種。中国の都市の茶文化の市場に向けたお茶づくりのはじまりである。
倚邦は現在3つの村に分かれていて、茶地(山)も3箇所に分かれている。
ちょうど真ん中に位置する村は昔の石畳が残っているので有名だが、茶地にも村にも除草剤を使用している。
【倚邦古茶樹 写真】
村長の管理が悪いのだと思う。他の2つの村は頑張っていて、村の中や茶地へ向かう道も村人が総出で草刈りをしている。除草剤を使わない。除草剤を完全になくさなければ意味がないのだ。それゆえに真ん中の村のしていることが憎い。
いちばん奥の村は、この地域に最初に漢族が移住してきた村だが、後に茶荘(今で言う貿易商)らが真ん中の村に引っ越して、現在は当時の石畳すら残っていないので見学する人は少ない。15世帯ほどだろうか、古くからこの地域のお茶づくりに関わってきた彝族の農家がひっそり暮らしている。
倚邦老街
村は過疎化がすすんでいるが、近年の古茶樹ブームで農地の拡大は再び盛んになっている。新しく開拓された農地は外地の業者の投資によるもの。製茶工房も村の外の幹線道路沿いに建設されている。
倚邦茶山
森が伐採され、ゴルフ場の芝生のような緑の農地に新しい苗が植えられる。
森が減ったことで山の気候が変わり、古茶樹のお茶の味や体感までもが変わってくる。
ま、それでも他の多くの茶山に比べると自然環境は良く保っているほう。茶地は村の周辺だけでなく、1時間以上歩いて入る森の中にもまだ残っている。
前回に訪問した際には村の近くの茶地を見学した。
茶地
茶樹
虫糞茶の虫
昨年の秋はなぜか茶虫が異常発生していた。もちろん殺虫剤は撒かないでそのまま放置。小鳥が群れで来たらいっぺんになくなる。生態環境が良ければ、茶葉だけが食い尽くされることなどない。
泡茶
泡茶2
泡茶3
泡茶3
香り高くジューシーで甘味も苦味もすっきり消えが良い。
水の粒子が細かくて舌触りが滑らか。でも後味は軽い。旬が濃縮されている。
葉底
小葉種といってもそこそこの大きさだが、このくらい小さいといつもの調子で殺青(鉄鍋炒り)すると焦がしてしまう。とくに雨の前の水分の少ない茶葉は注意が要る。農家はそんなのお構いなしで火加減しないので、茶杯の底にちょっとだけ焦げた黒い粉が見える。ただ、味的には問題のないレベルだった。
問題は、この品種はたぶん長期熟成に適したタイプではないこと。熟成するほどに完成度が下がってゆくような気がする。
個人の感覚で判断していることだが、老茶の経験からすると、旧六大茶山の老茶と共通する体感が見つからない。
なぜそうなのか?茶葉の大きさやカタチゆえに製茶の仕上がりが異なるのか?そもそも茶葉の持つ成分が熟成変化に向いていないのか?ただ味のバランスがそう感じさせるだけなのか?
品種が製茶方法を選ぶ。
昔にどうやって製茶方法が選択されたのかを想像してみると、やはり味や香りだけで判断されるものではなかっただろう。それよりも体感を重視したはず。漢方薬の価値観があるから。
その観点からすると、この品種は緑茶か烏龍茶に適しているような気がする。
手元に5煎分だけまわってきて、サンプルを残さず3日間で飲みきったというのも、このお茶は新鮮なうちが美味しいと知っているからだろう。

ひとりごと:
四国の愛媛県で無農薬栽培されている甘夏。
見かけが悪いから市販されずに親戚や友達にまわってくる。それでいいのだ。
無農薬甘夏
酸っぱくて甘い。ちょっと苦い。
体感が良い。息がスッと軽くなる。肩から背骨の上から下までの筋肉がゆるむ。
お茶もそうで、どんなに専門家が評価していても体感の悪いのはダメ。
当店のお茶も、いよいよ市販されずに親戚や友達だけにまわるようになるのかもしれない。
米・酒・調味料・野菜・キノコ・果物・魚・肉・なんでもよいので、無農薬・無化学肥料で体感の良い上等なのと物々交換しましょう。

農薬について考える その2.

見たいものだけを見たい。嫌なものは見たくない。
毎日を気分良くすごしたい。
みんなそうだろ。
みんなそうだとみんなが知っているから、環境破壊や農薬の問題は軽視されやすい。
見ざる聞かざる言わざる
逆に、自分にとってちょっとでも都合の良いことは過大評価されやすい。自然栽培や有機栽培を謳うお茶はそんな消費者の心理を追い風にする。自然栽培や有機栽培といってもピンからキリまでものすごく大きな差があるが、その差を正確に把握しようとすると不都合な真実を知ることになって他人から嫌われる。嫌なことはしたくない。知らないふりをして見過ごしたい。
結局この問題は消費者が悪い!と、自分の立場からは言いたいところだが、そうじゃない。農家が悪い、メーカーが悪い、茶商が悪い、小売店が悪い、消費者が悪い、農薬メーカーが悪い、国が悪い。他人が悪いとして外側の問題にしてしまいたいが本当はそうじゃない。
人間が悪い。みんなひとりひとりの内側に潜む悪。
自分の悪と対峙するのを避けて楽しく生きようとする陽気な性格。だからこそ人間は繁栄できたのかもしれない。国は未来の子どもたちから借金しまくって経済のお祭りを続けたり、毎日の食品の原料となる農作物にヘンな化学薬品がいっぱい使われたり、賢い人はこれを利用してもっと幸せになることだけを考えたりするのかもしれない。
環境破壊や農薬の問題はいつか暇な時に考えることにして、今日を楽しく生きよう。

章朗古樹紅餅2016年・青印 その5.

製造 : 2016年4月6日采茶
茶葉 : 雲南省西双版納州孟海県巴達山章朗寨古茶樹
茶廠 : 農家+店長ふじもと
工程 : 紅茶
形状 : 餅茶
保存 : 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : チェコ土の宝瓶
雲南紅茶茶葉
雲南紅茶泡茶

お茶の感想:
2016年のオリジナルの紅茶に共通してあるトマト味。缶詰トマトのような煮え味。
白磁の蓋碗でサッと淹れると見つけにくいが、茶壺など保温性の高い茶器で高温の湯でじっくり抽出すると出てくる。
生茶のプーアール茶は、まだ新しい数年くらいのうちは緑茶的なので、茶葉を煮やさないように注意して淹れる。湯の温度をちょとだけ下げたり、湯の注ぎを細く弱くして熱の響きをやわらげたり、抽出時間を短めにしたり。
しかし、熟茶や老茶のプーアール茶は違う。一般的に高温でじっくり抽出する。これに慣れると、茶葉の色の黒いのが似ている紅茶もつい煮やしてしまいがちになる。(自分だけかもしれないけれど。)
餅茶
餅茶
当店の紅茶は天日干しと圧延加工の蒸気の熱だけで仕上げているので、色は黒くても茶葉はまだ「生」に近い。ある部分では生茶よりもっと「生」である。なので熱に敏感。
ただ、トマト味は2014年・2015年の紅茶には無かったし、2016年のも圧餅前の散茶の状態ではたしか無かったはずなのだ。
ということは、2016年の圧餅の工程のどこかに原因があるのだろうと推測していた。
圧餅のスチームの水が臭いとか、布袋がキレイでないとか、天気が悪くてスッキリ乾燥していないとか、初歩的な失敗はない。(逆に言うと西双版納のお茶づくりは初歩的な失敗だらけと言える。)
晒干の餅茶
は夕立ちのような雨が降りやすい。実際にその日の夕方からつぎの日まで雨が続いた。もしも圧餅後すぐに晒干しなければ、熱風乾燥するしかなかった。
トマト味は淹れ方の技術でカバーできる。
香りは薔薇のような熟した甘さがあるので、香りを引き立てつつトマト味を出さないようにしたら、スッキリ清涼感のある風味になる。
そこで今回はチェコ土の宝瓶を使ってみた。
チェコ土の宝瓶チェコ土の宝瓶
土は茶壺と同じものであるが、形状が異なるだけで熱の響き方がぜんぜん違ってくる。
また、水の注ぎ口が茶壺のような筒ではなく溝であるから熱が逃げやすい。水の勢いが弱い。なので熱の響きはやさしい。
注ぎ葉底
こうするとトマト味はほとんどない。これからの暑い季節にも涼しい風味が楽しめる。
さて、このトマト味をどう解決するかを考えていたのだが、たぶん解決しないという選択があると思う。
圧餅のときに天気が良かったらよいけれど、そうでなかったら機械乾燥させることになる。それならはじめから機械乾燥を選んでおいたほうが仕上がりの風味がコントロールしやすい。ま、実際にほとんどの工房はそうしている。
意図して晒干を行ったとして、その揺れを後から修正するとしたら焙煎する手がある。福建省など烏龍茶の地域ではあたりまえに行うべき工程であって、もしも行わないとしたら未完成だと評価されるだろう。
だからやはり当店の製法による紅茶はプーアール茶という分類にしたほうがわかりやすいかもしれない。
茶器を選んだり淹れ方を工夫したり、自分で試行錯誤したい人には楽しめる。

ひとりごと:
すべてのことを他人が準備した上等もあるけれど、自分で試行錯誤する上等もある。
今の市場が求めているのは前者のほうだから、本来のプーアール茶は時代遅れになってゆく。見た目は昔風であっても中身は新しい。そうでないと”正しくない”と評価される。たぶんそういう社会環境なのだ。
農家にしてもメーカーにしても茶商にしても現代に生きているから仕方がない。

農薬について考える その1.

2017年の春茶はつくらないことにした。
3月中旬の、これから旬を迎えるというときに決めたけれど、決めてから間もなく2週間も雨が続いた。清明節の4月5日に青空が戻ったが、撥水節の4月12日からまた雨が6日間続いた。水気が多いと早春の香気・茶気が逃げる。当店の製茶は晒干(天日干し)に頼るので、空に雲が多いだけでもスッキリ仕上がらない。
2011年の春もたしかこんな天候のめぐりだった。雨の西双版納
雨の西双版納
だが、春茶をつくらないのは天候のせいではない。健康な茶葉の入手が難しいせいだ。ずっと心の中にこの問題がモヤモヤしていて、手を止める理由ができたらホッとした。
自分は心身ともに健康のつもり。いつでも森に入れるようトレーニングを続けているし、食べものにも気をつけているし、しっかり寝ているし、むしろ健康だから休むことができると思う。
農薬と土壌汚染の心配を無視できないところにきている。
これまでにも心配はあったが、隠していたわけではなくて、知れば知るほど根の深さを知って問題が難しく見えてきた。
慎重になって、しばらくブログの更新もできなかった。
なぜなら、この問題に触れるとみんなに嫌われるから。
ちょっと考えれば分かることだけれど、お茶だけの問題ではない。みんなが毎日食べてるものや飲んでいるものすべてに疑いがあり、みんなを気持ち悪るがらせることになる。
原子力発電所の放射能の問題と同じで、これに反対すると経済的に苦労しめられそうな不安もある。
除草剤の撒かれた地面
(草甘燐で焦げた黒い草)
今のところもっとも怖いのは中国名:草甘燐。アメリカのモンサント社の発明した除草剤グリホサート(日本名:ラウンドアップ)で、西双版納ではここ3年くらいで使用する農家は少なくなったが、それは表向きのことで、隠れたところでは今でも使っているし、これからはもっと需要が増すだろうと推測している。組織ぐるみの隠蔽もある。モンサント社の権利が2000年に終了しているので、現在は中国のメーカーのつくるコピー品が流通している。
雲南のお茶の産地にこれが普及したのは比較的最近のことで、2007年のプーアール茶バブルと呼ばれた年の前後と、2010年から価格が上昇した古茶樹ブームの前後である。茶葉の需要が急拡大して農地を新しく開拓するときに活躍するからだ。しかし、その後も年々上昇する人件費が草甘燐の使用を後押している。例えば、草刈りや土を起こす鍬入れはアルバイトを10人雇って1日2,000元かかる労働だが、除草剤なら100元。年に2回で4,000元のところ200元で済む。
お茶以外の農産物、果物や天然ゴムやサトウキビのプランテーションではもっとたくさん使用される。茶山の周囲にはこうした農地が急拡大しているので、完全に避けるのがますます難しい。
2014年から原生林の森のお茶に注力してきたのは、この問題を避ける手として有効だったが、森はどんどん小さくなっている。また、森のお茶ブームによってより多くの森のお茶を採るための山道や新しい農地開拓に草甘燐が使われるケースもある。森の中も聖地ではなくなりつつある。
草甘燐は数年間土に残る。
古茶樹の周りにも除草剤
古茶樹の周りにも除草剤
(古茶樹の周りにも除草剤)
茶友の中には敏感な人がいて、7年前に1度だけ使用された農地のお茶にも舌に痺れを感じて皮膚が痒くなる。自分はそこまで敏感ではないが、3年や4年くらい前までの草甘燐ならお茶の味に見つけることがある。
大げさに言っているのではない。例えば、化学調味料を避けた食事を毎日続けたら、スーパーやコンビニの加工食品やファーストフードが耐え難くなるだけでなく、大手メーカーの醤油や味噌にまで化学調味料の味を見つけられる。のどが渇いたり、眠れなくなったり、皮膚が痒くなったり、全身がだるくなったりする。心理的な問題ではなくて習慣の問題。健康な食生活をすると身体が敏感になるので、それに気付きやすくなる。ついでに言うと、自分は日本の市販の白米は体感が重たすぎる。
中国茶の高級には体感の良さが求められる。お茶は漢方の国に生まれた嗜好品である。
草甘燐の散布された地面は弾力を失って土が砂のようにサクサクになる。もうそれを見ただけで十分に気持ち悪い。
基準値がどうとか数年で土に分解されるとか、どんな数値を出したところでこの気持ち悪さを覆すことはできない。自分はあくまで感覚で判断するので、誰かに理解してもらう必要はない。
人間の身体が科学的に解明できている部分は8%だったかな?(どこかのお医者さんが言っていた)ということは92%がわかっていないというのに、どうやって草甘燐が人の身体に良いとか悪いとか科学的に判断することができる?
例えば、茶葉の成分を分析検査しても問題が見つからないケースもあるだろう。もしかしたら草甘燐がなくても森の健康は損なわれ、お茶に嫌な味や体感が宿るかもしれない。草甘燐は汚れた海に発生する赤潮のようなもので、不健康なシグナルのひとつにしか過ぎなくて、原因のすべてではないだろう。
土の生態系が不健康になって、茶樹がなんらかの反応をして、お茶の味や体感が悪くなる。この因果関係が自分の感覚で認められただけで十分である。
森を失った山
森を失った山
(森林を失った山)
自然環境と人の身体や心は同期している。茶山の健康と自分のお腹の中はつながっている。地球上の大規模な原生林の消滅と人間の健康はリンクしている。
こういう情報がある程度普及すると、これを利用して商売する業者もいる。
自分だけは自然栽培の健康なお茶を手がけているとアピールして、少しでも商売上の優位な立場に立ちたいわけだ。しかしここは中国。同じことをアピールする業者はすでに何百・何千といて、ホンモノを見つけるのに苦労する。市場では雲南のお茶というだけで有機栽培的なイメージが定着している。
周囲に人家や農地がなくて数時間も歩いて入る森の中であるとか、さらに山を超えて国境を超えた未開発のラオスやミャンマーの山であるとか、実際にまだあるにはあるのだが、いずれも中国の老板によってお金をかけて開拓されている。同じ資本によるおなじ市場に向けた商売なのだ。歩いて国境越えのできる地元の人たちから収集した話しでは、ラオスもミャンマーもすでに中国側の有名茶山と同じことになっている。隠れたところだからもっと大規模に森林が伐採されて農地開拓されて、人工的な栽培のお茶が増えている。
どういうわけか今年はホンモノの森のお茶にもホンモノの越境のお茶にも、すでに嫌な味や体感が現れてきている。草甘燐の無いはずの土地にもだ。
自分が間違っていたなら、それは良いことだから無視してくれたらよい。ひとりで悶々としているだけだから。
2009年に西双版納のお茶づくりをはじめたときには、こんなことになるとは予想もできなかった。
でも、こんなことになったからこそ自然環境とお茶の味の関係や人の生活の変化や、いろんな因果関係に気付くことができた。農家や茶商がどのようにして自分を騙して他人を騙すのか、自分の中にも潜んでいるワナについてもちょっと分かるようになった。
これからどうしたらよいのかわからないけれど、このまま観察を続けるつもりだ。
今は見るだけ。それしかできない。

追記:
当店のお客様で、すでに購入したお茶が大丈夫なの?という心配があれば遠慮なくメールをください。わかる限りのことををお伝えいたします。

刮風寨冬片老葉2016年 その1.

製造 : 2016年12月(采茶)
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)刮風寨茶坪
茶廠 : 農家
工程 : 晒干緑茶
形状 : 散茶50gパック
保存 : 西双版納 密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター水
茶器 : 銅のヤカン
チェンコーン空
チェンコーンメコン川

お茶の感想:
久しぶりに陸路で西双版納に来た。
タイのチェンコーンからメコン川を渡ってラオス経由で西双版納に入った。
アパートに着くまでトゥクトゥクやバスやタクシーを7回乗り継いで12時間以上かかる。
ゴールデントライアングルのこのルートはバックパッカーなら楽しめるかもしれないけれど、目的がはっきりしている人には無駄もストレスも多い。
ラオスから中国へ出るボーダーが長蛇の列で予定時間を1時間半もオーバーした。バスは自分を待たずに出発して、ひとりだけ置いてけぼりをくらった。しかし、このままバスで移動を続けても、その日のうちにアパートまで到着できない時間だった。中国側の国境の町で次の日のバスを待って一晩過ごすことになる。安いホテルはあるが、暗闇のあちこちで麻薬取引していそうな気味の悪いところだ。
そんなこともあろうかと昨日のうちに西双版納の友人に電話をして中国側の国境まで車で迎えに来てもらった。ちょうど12時間の移動で予定通りに景洪市のアパートに着いた。
ちなみに、飛行機ならタイのチェンマイから昆明経由で遠回りだが移動は5時ほど。
一帯一路(中国からラオス・タイ・マレーシア・シンガポールまでをつなぐ道路や鉄道の計画)の影響で、大規模な工事による混乱はこれからもつづくだろう。5年と言われていても実際は10年かかるだろう。
ま、混乱に巻き込まれることはわかっていたけれど、あえて陸路で来たのはこの変化を見ておきたいから。
日本のように成熟しているところでは10年経っても風景はそんなに変わらない。
バスの窓から見るこのルートの風景は年々変わっている。工事のホコリにまみれて生きる人々にはなぜか活気がある。
かれこれ7年の間に何度も通った車窓の風景に、ふと記憶の断片が蘇る。自分もまたずいぶん変わってきたよな・・・。昨日と今日の連続する日常が旅をするとプッツり途切れて大きな時間が見えてくる。
西双版納の茶業が大きく変化して、この仕事もまた変化した。
今年も春の旬が巡ってくるけれど、昨年と同じ仕事はもう通用しない。このスピードについてゆけない。
今年の春はお茶づくりを休んでみようと思う。
山には行くし、もちろん素晴らしい茶葉があれば少しは仕入れるけれど。
ところで、昨年秋にはじめたオリジナルの熟茶づくりはいったんストップした。
試作中の茶葉はすべて処分してアパートの庭の土にした。実は、冬の間にあるサンプルの茶葉が手に入ってから、これまでの考えがひっくり返った。すぐに次のアイデアも出てこないので、しばらく寝かせることにした。
そういうわけで仕事は縮小したのに、西双版納に来るとなぜか忙しい。
あらゆる農産物と同じように、茶葉もまた人を休みなく働かせるのだ。
まずはこのお茶『刮風寨冬片老葉2016年』を出品する。
冬片老葉茶2016年
刮風寨の「茶坪」という地名の森の古茶樹から採取した冬の葉っぱ。
漫撒山の瑶族の独特の栽培方法で、根を育てるために大きく育った茶葉を枝から擦り落とす。
この落とした葉っぱをお茶にする。
このページで紹介している。
【丁家老寨青餅2012年 その2.采茶】
瑶族の人と山に入って、お昼ご飯のときに飲むお茶に近い。
茶葉を枝ごと折って取ってきたのを炙ってヤカンで煮るお茶。
炙る1
炙る2
これは炙るかわりに蒸している。
大鍋にグラグラ湯を沸かして蒸し器に茶葉を放り込み熱を通してから晒干(天日干し)する。それだけ。冬のあいだに刮風寨の農家がつくってくれた。
晒干緑茶の一種で、これもプーアール茶と言えるだろう。この地域でつくられるお茶はなんでもプーアール茶にしておけばよいからわかりやすい。
このお茶は瑶族やダイ族が食事の共に飲んでいるだけで遠くへ運ばれてはいないはず。嵩がありすぎて馬では運搬できない。おそらく粉砕して黒茶の原料にしていたのだ。微生物発酵するとさらに嵩が減る。圧延して固めたり竹籠にギュウギュウに詰めたらコンパクトになる。
西南シルクロードの茶馬古道を経て、チベットやインドに行った生活のお茶。
新芽・若葉でつくるお茶とは体感がまったく異なる。
カビの侵食
虫食い
紫葉
茶花
見た目は悪い。
1年以上も茶樹に付いたまま育って老いた茶葉もある。虫食いがあったり、カビの寝食があったり、枯れ葉になりかけていたり。
ところが、お茶の味は見かけとはまったく逆で清らかで柔らかい。苦くも渋くもない。ほんのり甘い。
白茶にもある乾いた草のような香り。
煮るお茶
煮るお茶2
刮風寨の原生林の森の香りがする。
飲んだ後の心地には森の影の涼しさがある。

ひとりごと:
やっぱり森のお茶が一番。


茶想

試飲の記録です。

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