プーアール茶.com

漫撒古樹青餅2013年・緑印 その10.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山瑶洞古茶樹春茶
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶

お茶の感想:
春に集めた茶葉を圧延する作業がはじまる。
今年は190gサイズの小さめの餅茶にして、買いやすい価格にする。
しかし、このサイズはあくまで臨時というかサブで、来年からはまたフルサイズの385gをメインにしたい。
高くて売りにくい。買いにくい。
それで良いのではないか・・・という気がする。
多くの人に飲まれるお茶だけが良いとも限らない。
お茶の楽しみは飲むだけではない。
例えば、当店のサイトを見るだけで楽しまれている方も多いと思う。これもまたお茶の楽しみのひとつだろう。
何年も前に一度、小分け売りで1,000円くらいから買えるようにしたことがあった。たしかにお客様は増えたが、そのときわかったのだが、1,000円の買い物には1,000円なりの愛情しか注げないということ。そんなに大事でもない物事のひとつとなって、忙しい時には荷物が届いてもポイっと部屋の隅に置かれて、つい忘れて放ったらかしにされる。
同じお茶でも15,000円の大きな固まりだと買い物の姿勢が違う。荷物が届いて迎えられる態度が違う。
そういうものなのだ。
1,000円で買われたお茶は、たぶん経験の消費で、サラッと流れるだろう。15,000円のお茶は、はじめての一口がたとえ好みに合わなくても、どう淹れたらもっと美味しくなるだろうかと、何度も試されることだろう。愛情の注ぎ方が違ってくる。一煎一煎の経験は蓄積される。
当店にしても、何年も何年も売れないで手元にあるのだから、どうやって美味しく熟成させてやろうかとか、まだ自分の見つけていない美味しさがあるのではないかと、愛情を注ぐことになる。そして、この過程で見つけたお茶の楽しみや魅力は数知れない。
お客様に経験の消費をさせないのは業者の愛情とも言える。
お茶の値段が買いやすければ「良心的」と言われることに、なぜかムカッ!とくるのは、このためだろう。
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
「緑印」を値上げさせていただいた。
+【漫撒古樹青餅2013年・緑印】
今年、この茶葉を確保できなかった。
そもそも農家は3百グラムしかつくれなかった。
ちなみに昨年は16キロほどつくれて、9.5キロは当店が確保した。
森の深いところに育つ茶樹は、新芽の出るタイミングが一本一本大きく異る。農家が山に入った初日は、2本の茶樹しか芽が出ていなくて、その後に雨のためにちょっと間が開いたら、今度は残りの数本は芽が育ちすぎていて、あとの残りの数本はまだ芽が出ていなかったらしい。
山が深くて遠いので、このお茶はまだ下草が干からびている早春にしか茶摘みされない。頼めば秋にもイヤイヤ入ってくれるだろうけれど、そこまで求めていない。
春の山に3回か4回入るときに、タイミングが合えばたくさん採れる。
運がたよりのお茶なのだ。
紹介しているページに書いていないのは、後から徐々にわかってきたことだからだ。
自分自身まだこの山には入っていないが、おそらく「一扇磨」のに似た自然環境であり、お茶の品種だと思われる。野生の刺味のヒリヒリ感も強い。
+【漫撒山一扇磨の散茶2013年】
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶

ひとりごと:
今年、古茶樹のお茶が高騰してよかったかもしれない。
来年もこのまま価格が維持されたほうが良いのかもしれない。
経験の消費はあっちへ行け!
われわれは消費社会の家畜になっちゃいけないのだ。
古茶樹はすでに何百歳だし、これからも少なくともわれわれよりは長生きするだろう。摘まれてもよいし、摘まれなくてもよい。飲まれてもよいし、飲まれなくてもよい。
消費社会には生きていないのだ。

弯弓秋の散茶2013年 その3.

製造 : 2013年11月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)弯弓
茶廠 : 丁家老寨の農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納―上海密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 大きめの蓋碗
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶

お茶の感想:
弯弓は昔ながらの西双版納の山の姿を残した最後の聖地となる。
つまり、最後に残ったお茶の故郷となる。
【弯弓 瑶族の山】
【弯弓 2013年 秋天】
【弯弓秋の散茶2013年プーアル茶 その1】
西双版納は50年前まで、山は広葉樹で覆われ、谷は熱帯雨林が茂り、平地はダイ族の水田が広がる桃源郷だった。森にカニが住んでいた。どこにでも水があるから川に住む必要がなかったのだ。農業にも経済の自由化が起こり、バナナとサトウキビと天然ゴムとが谷と平地を50年で砂漠にした。森から水を奪った。最後に残った山の上の広葉樹の森(ここに茶樹と山の人が住んでいる)は乾き始めている。雨の降らない乾季はとくに枯れた空気を肌で感じる。はじめてここに来た数年前は、まだこんな空気ではなかったと思う。
茶樹は強いから、環境変化に対応できるように見えるけれど、実際には対応できない品種が静かに消えつつある。
国有林に指定されて農作物がつくれない弯弓の一帯は、昔からある実生の古茶樹の収穫だけが許される土地となって、古来からの環境を留めているが、この聖地の外界の影響がどのくらいあるのかまだわからない。
今年2014年の春は弯弓まで行けなかったけれど、春のお茶を少しだけ入手した。
弯弓の森を見たら、「ここで育ったお茶が飲みたい」と誰もが思うだろう。
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
昨年の秋のお茶と、今年の春のお茶。
香りはまったく同じだが、味がちょっと違う。
秋はじんわり沈んで広がり、春はふんわり浮かび上がる。
秋の茶葉は水分が多くて大きく育っている。春の茶葉はまだ雨の降らない時期で小さく育っている。このことが製茶の仕上がりに影響している。
春のお茶の製茶は漫撒山の小さな工房が手がけた。しっかり炒って、きっちり直射日光で晒干させてある。素晴らしい仕上がりだと思う。いずれ出品するつもりだ。

ひとりごと:
天日干しを観察しながら思ったのだけれど、茶葉は内部のミクロの組織の構造上、水分を逃さないようにできているらしい。日が昇ってから落ちるまで太陽に焼かれても、雲が少し出たら一日では乾燥しきらないことがある。
晒青毛茶
晒青毛茶
洗濯モノのシャツなら1時間で乾くのに、この小さな茶葉一枚が乾かない。このことがお茶の味を決定づける。プーアール茶の個性は乾燥工程で生まれている。
今年のテーマは「製茶」。
お茶の乾燥について、うるさい人になるぞ。

漫撒古樹青餅2013年・緑印 その9.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山瑶洞古茶樹春茶
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶

お茶の感想:
2014年の春の茶摘みがすでに始まっている。
旬の走りは台地茶。畝作りの茶畑のこと。
茶畑の茶樹は新しい品種で、やや寒さに強いのと樹齢の若いのとで、葉の成長が旺盛になる。
森の古茶樹の古い品種は寒さに弱いせいか、春の発芽がちょっと遅くて、今日3月15日、ようやく山の農家から初摘みの第一報が届いた。
今年は2010年に次ぐかんばつで、乾燥しているせいか、新芽や若葉が小さいらしい。
春のお茶は若葉がパッと勢いよく開くのが理想。勢いがなくて小さい葉のまま時間が経つと繊維が硬く育って、製茶に良い結果が得られなくなる。
かといって、雨が多くて新芽からして長く太く育つのはよくない。夏の雨の季節に育つ茶葉のように味が締まらなくなる。
冬に地上の葉や枝の成長を止めている間は、地下で根が成長している。新しく伸びた根が未開の土から吸収する栄養がいっきに葉に集中するから、新芽・若葉に春が宿る。密林に囲まれた特殊な気候の「弯弓」では、一番寒い1月を除いてほぼ一年中芽が出て葉が開く。それでも冬の2月の風味と、春の3月の風味とは大きく異なる。その違いというのが、新しい根が吸収した栄養と若葉の開く勢いとのバランスにあると見ている。
そのバランスを考えると、さっとひと雨降ったほうが良いような気がする。
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
今年はまず漫撒山の丁家老寨へ向かう。
どんなお茶ができるかは行ってみてからのお楽しみだが、ひとつ心に決めているのはこの「緑印」。
【漫撒古樹青餅2013年プーアル茶 その6】
その2014年版をつくる。
昨年2013年のと同じ製法でよいと思っている。
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
「緑印」は素材の良さという点で光るものがある。農家の一般的な製茶に任せているから、緑茶に近いストレートな風味で、透明感が高くて、わかりにくいのかもしれないが、味よりも体で感じる余韻にわかりやすさがある。
覚醒する。
1時半は持つ。
その間、なにも食べちゃいけない。お茶を飲むときからお菓子を食べちゃいけない。飲んで5分して余韻が体に回ってくると、眼がシャキッとしてくる。世界が立体的に見えて、映画のシーンを見ているような気になる。何も考えずにいても、いろんな考え事が明滅してきてチカッと一瞬閃いたりする。後半になるとゆるい眠気をもよおしてくる。心地よくまどろみ、その頃になるとお茶がもたらした覚醒であったことすら忘れてしまっているだろう。
覚醒にも、お茶の味のように良し悪しがあるのだ。

ひとりごと:
「緑印」は個性的な味がほとんど見えない。
まっすぐ目の前に向かって飛んでくるボールが見えにくいのと同じで、捉えるのが難しい。しかし存在があるのはわかる。舌先にヒリヒリ残る刺激が、茶気のすごさを予感させる。こういうお茶が実はいちばんヤバイのだ。うまく言えないけれど、うまく言えるのはヤバくないのだ。
お菓子
お菓子を食べたら酔いが覚める。

ラオス瑶族の散茶2013年 その6.

製造 : 2013年4月
茶葉 : ラオス古茶樹
茶廠 : 農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納ー上海密封
茶水 : 京都御所周辺の地下水60メートル
茶器 : 作家さんの蓋碗
七子黄印大餅70年代
七子黄印大餅70年代
老班章古樹純料茶10年

お茶の感想:
台湾茶の先生と生徒さんたちと、
いくつかのプーアール茶をいっしょに味わう機会があった。
先生や生徒さんはいろんなお茶を飲む機会があるから、味の鑑賞に慣れていて、プーアール茶どくとくの野趣のある風味、揺れる味、戻ってくる余韻を、ひとつひとつのお茶、一煎一煎のこの一杯について、いっしょ探しながら味わえた。
【七子黄印大餅70年代】
【老班章古樹純料茶10年】
+【ラオス瑶族の散茶2013年】(卸売部に出品)
【7582大葉青餅70年代】
プーアール茶の試飲
プーアール茶の試飲
お茶の試飲
味の鑑賞という「心」や「技術」は、学ぶ機会があったほうがよい。
同席した友禅染の若旦那さんが、以前はぜんぜん知らなかった器の美しさに気付いてゆくプロセスを話されたが、プーアール茶の味の魅力についてもそうで、あるていど学習を要するし、先生はいらないまでも先輩の導きがあるのはおおいに助かる。
例えば、『老班章古樹純料茶10年』。
「このお茶の産地はチベット語族系の少数民族の茶山のモノで、そこのはピリッと辛味の立つのが上等なんです。」
という一言があると、そのピリ辛風味を意識してお茶を淹れて、ピリ辛風味を意識して飲むことができる。お茶の個性が光りだす。人の感性が磨かれてゆく。
『ラオス瑶族の散茶2013年』は、先生に淹れてもらったが、いつも自分がなじんだ味にはならない。
でも大丈夫。一煎・一煎その時に出た味わいとその理由を探せば、良いも悪いも正しいも間違いもない。人や水や器や空気が生みだす一期一会を見つけて楽しむことができる。

ひとりごと:
お菓子
このお菓子、雪みたいに口に溶けて喉を滑り落ちた。

老瑶古樹青餅2013年 その1.

製造 : 2013年4月
茶葉 : ラオス古茶樹
茶廠 : 農家+漫撒山工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納ー上海
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
老瑶古樹青餅2013年プーアル茶

お茶の感想:
僕らが今ここに生きて、何かを食べたり飲んだりしているということは、お父さんお母さんがいて、そのまたお父さんお母さんがいて、そのまたお父さんお母さん・・・・・・・・と、どこかで何かを食べたり飲んだりしていた100世代前のお父さんお母さんがいたのだ。
そのくらい古い時代の品種かもしれないこのお茶を出品できて感無量。
【老瑶古樹青餅2013年】
昨年のお茶づくりのテーマの「栽培」から入って、古い茶の品種を追いかけて、ゆきつくところがラオスのお茶と漫撒山の「弯弓」のお茶。
【弯弓秋の散茶2013年】
お金も時間も掛けたし、道なき道をゆく弯弓エリアへ入ってバイクで転倒したり密林の茂みで見えない切り株に躓いて怪我もしたし、お客様には面白くなくて反応が無くなってきて店の売り上げ低下を予感しながらつづけた仕事が、このお茶の出品でいったん終了する。ほっとした。
老瑶古樹青餅2013年プーアル茶
それでも、『老瑶古樹青餅2013年』の文書を書きながら、お茶はやっぱり面白いと思った。人の生きた痕跡を探る旅。国ができるよりももっと昔の、人間と食べモノの歴史。
瑶族が山伝いに移住生活をするのは、数十年も同じところに居ると主食の穀物や野菜の畑の土が痩せてうまくできなくなるからだと思うが、そこで治水工事をしたり堆肥を作ったりということは考えなかったのだな・・・。気候は温暖で山はどこまでも豊かだから、ひとところで苦労するよりも移住したほうが早かったのだろう。ある意味で、自分も同じだから、なんとなく共感できる。
老瑶古樹青餅2013年プーアル茶
瑶族のつくってきた茶山には不自然なほど品種のバラエティーがある。あっちの山こっちの山から持って来た品種が混じった結果だと思うが、山伝いにあっちへこっちへと移住してきた歴史が古いほど品種はバラエティーに富むことになるから、やはり瑶族がはじめにお茶と出会った民族という説は有力だと思う。
そのお茶はどんな味だったのか?
お茶好きなら誰でも興味を持つだろう。これは元祖プーアール茶であり、元祖お茶を巡る旅なのだ。だから、この系統のお茶は売れると思ったのだけれど、散々だった。
まあいい。博物館の人が訪ねて来る日まで待つことにする。

ひとりごと:
美味しいお茶を求めて辺境地に来たけれど、そこで出会ったのは別の魅力のお茶だった。
雲南の山に入った昆虫学者が蝶々を追いかけていたら、図鑑にはない色のを見つけてしまって、もっと奥へ入ってしまって、帰らぬ人となるのと同じだろうか。いや、帰れなくはない。けれど、これからどこへ向かったらよいのかわからなくなっている・・・。
漫撒山丁家寨
漫撒山の丁家寨の頂上付近を散策したときの沢の写真。
写真には移っていないけれど、見たこともない色とりどりの蝶々が乱舞していて、夢でも見ているのかと思った。5分くらいそこで眺めて帰ったつもりだったが、山の人は1時間も帰って来ない僕を心配していた・・・。

漫撒古樹青餅2013年・黄印 その8.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山丁家老寨古茶樹
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶

お茶の感想:
昨夜お茶好きの人が訪ねて来て試飲会をした。
メジャーな茶山の生茶に興味があったみたいで、この四つになった。
  1. 『丁家老寨青餅2012年』
  2. 『漫撒古樹青餅2013年・青印』
  3. 『益木堂那カ古樹純料茶10年』 (卸売部に出品)
  4. 『冰島古樹青餅2013年』 (未入荷)
この4つは系統が似ていると思う。例えば、メジャーの中でも最高級の「老班章」と「弯弓」は系統が違うので、飲み比べの面白さはないだろう。
4つはどれも文句なしで美味しいと思ったが、「青印」が際立っていた。
「冰島」は強いけれど奥ゆかしさがなかった。
「那カ」は濃いけれどゆらめきがなかった。
歴史の一番古い漫撒山は、詩的な情緒をもって心をゆるがすなにかがある。甘いとか苦いとか渋いとか濃いとか、香りが特別とか強いとか弱いとか、そういうふうに量ることのできない趣きがある。
逆に言うと、「香りが強い」とか「甘味がある」とアピールするのは、マイナーな茶山の売り方なのかもしれない。「それなのに価格はメジャーの半額です。」みたいな売り文句だが、そのポジションではマイナーがメジャーになる日は来ないだろう。なぜなら、お茶の味は「趣き」を見ているのであって、毎回わざわざ部分的なところに注目しながら味わうなんてことはしないからだ。
漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶
「漫撒山ので紅茶をつくったどうなるのですか?」
と聞かれてふと思ったのだけれど、製茶についてもどうやらそれに似たところがあって、例えば、半発酵で甘味を引き出せばとか、高温炒りで香りを立てたらとか、そういう意図は、味わいの趣きを左右することにはならないのかもしれない。わかりやすく言えば、「緑茶」をつくっても「青茶」をつくっても「紅茶」をつくっても、漫撒山のお茶の趣きは基本的なところであまり変わらないだろう。
そうすると、この「黄印」・「青印」というつくり分けは意味のあることではなかったのか・・・・・。
そんなことを考えて今朝は「黄印」のほうを飲んでみた。
【漫撒古樹青餅2013年・黄印】
漫撒古樹青餅2013年・黄印プーアル茶
できたてのときに少し気になった焦げ味は消えている。むしろシナモンのような香りのスパイスになっている。
「青印」のほうがやさしい雰囲気に熟成してきたと思うので、「おすすめ」を「黄印」から「青印」に交代させた。
銘茶は美人。
背が低くても高くても、眼が大きくても小さくても、和服でも洋服でも割烹着でも、美人は美人なのだ。

ひとりごと:
高級茶を選ぶというのは、生活のお茶を選ぶのとはまた違う心構えがある。つきつめてゆくと、自分の心が陥りそうな罠とか、油断すると易きに流される心を理解して、強い心で、自分の考えで、判断しなければならない。
イソップ寓話の「すっぱい葡萄」のキツネのようになってはいけない。
手の届かなかったあの葡萄はすっぱいにちがいない。そう言って心の平安を手に入れるのは自由だが、それをやると、お茶の味を知るという道においては前に進めなくなる。
プーアル茶試飲
試飲を待つサンプルの茶葉が溜まってきた・・・・。

漫撒古樹青餅2013年・青印 その13.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)丁家老寨古茶樹
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 小さめの蓋碗
漫撒古樹青餅2013年・青印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・青印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・青印プーアル茶

お茶の感想:
お茶の説明をしないほうが、
お茶は魅力的でいられるかもしれない。
なぜなら説明したことがすべてになってしまいがちだからだ。
すごくカンタンな例でいうと、
「ダイエットのお茶です。」
というと、それはもうダイエットのためだけに飲まれるお茶となって、季節を味わうお茶であったり、生活のリズムをつくるお茶であったり、家族だんらんのお茶であったり、今日の身体の調子を探るお茶であったり、遠い異国の地を想像して楽しむお茶であったり、埋もれた歴史に人の知恵のいっぱい詰まったお茶であったり、ただホッとするためのお茶であったり、そういう可能性が広がりにくくなると思う。
「海抜2000メートルの高山地帯の強い香りのお茶です。」
というと、その香りを確かめるように飲むことになって、それ以外の魅力を積極的に見つけようとはしなくなる。
業者はこれを利用できる。
お客様を軽い暗示にかけるのだ。
例えば、
「レモンの香りのするとても珍しいお茶です。」
と説明する。
そのお茶を買ったお客様はたしかにレモンの香りを見つけて、
「ああ本当だった。間違いはなかった。珍しいお茶だから価値がある。」
買い物は成功だったと納得したいだろう。
お客様がそういうふうに納得すると、業者は価格を正当化しやすい。
お客様も業者もお互いにハッピーエンド。
よかったよかったパチパチ・・・・。
それは違うと思うのだ。
そのお茶はたぶんレモンの香り以外にもいろいろ鑑賞のしどころが無限にある。むしろレモンの香りを探すことを忘れないと、その世界は見えてこない。香りはレモンだけではないだろうし、飲むたびにいろいろな味が見つかるだろうし、味だけではなく体感に現れる特徴があるだろうし、心に現れる作用も人それぞれにあるだろう。
「試飲鑑定」と称して業者が香りや味を採点し、それを客に知らせるのは、鑑賞のしどころを他人にも共通する価値のみに限定することで価格を正当化し、お客にも自らにも暗示をかけているのではないだろうか。
その結果、お茶のもつ無限の可能性を見逃すことになっていたら、もったいないと思う。受験勉強で人を評価するのといっしょのことがお茶にもある。
漫撒古樹青餅2013年・青印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・青印プーアル茶
眠れない夜はこのお茶。
【漫撒古樹青餅2013年・青印】
なぜか眠れない夜にこのお茶の味がピッタリくる。
「自分だけそうであって、みなさんにはまた別の魅力があることでしょう。」
と、今日は言っておく。

ひとりごと:
最近なにか批判的な話が多いよな。
商売にこういうのはよくない。売り上げにひびくだろう。
だから、売り上げが下がってもなんとか食べてゆけるようにだけはしておこうと努力している。この方向は悪循環に陥るかもしれないけれど、マンネリから脱出したいのだ。商売のためという言い訳で、モヤモヤしているテーマについて蓋をするのは、いつまでもやっていてはダメだ。
たぶんもう若くない。残された時間をそろそろ意識したほうがよいと感じているから、最短直線距離になりそうな方向を模索しているのだと思う。
南糯山
南糯山
南糯山
南糯山
南糯山
南糯山
南糯山
南糯山
南糯山へ行ってきた。

弯弓秋の散茶2013年 その2.

製造 : 2013年11月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県漫撒山(旧易武山)弯弓
茶廠 : 丁家老寨の農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納―上海密封
茶水 : 西双版納のミネラルウォーター
茶器 : 大きめの蓋碗
弯弓秋の散茶2013年
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶

お茶の感想:
歴史の紆余曲折があって、
人里離れた幻の茶山となった「弯弓」。
【弯弓 2013年 秋天】
何百年も前の山の姿がそのままある聖地。
しかし、ここの自然が豊かなのは人間社会から隔絶されたからではない。
自然環境は人間が居ないほうが良くなる、という考え方はここでは間違っている。
弯弓の一帯は、周辺の村から十キロ以上も離れているけれど、生態環境の命の輪はつながっているのだ。
生き物は移動する。
虫も鳥も獣も植物も細菌類も、自ら走ったり跳ねたり飛んだり、あるいは命を交換しながら弯弓へたどり着くことができる。周辺の村々の人の暮らしは消費だけでなく還元がある。ちょっと具体的に言うと、食べることに関わるゴミや排泄物はどこか別の土地で燃やされずに周辺の他の生きものの命に変わって生き続ける。農業という行為によって循環の活性化が行われる。そこで新しく命を得た生きものが活動して生態系の輪を広げてゆく。人の住まない弯弓へも何らかの形で届く。
水も移動する。
山の下の谷にある熱帯雨林や水田が上昇気流をつくり風とともに水を運ぶ。弯弓の山の上の木々は葉を広げて風から水滴を捕まえ、地面へ水を還元する。水が沢となり小川となり周辺の村々へと流れながら命を育む。
弯弓は孤独な山ではない。
漫撒山丁家寨
漫撒山丁家寨
漫撒山丁家寨
(丁家寨の村を流れる小川の水源は向こうの山を3つほど越えた弯弓にある。朝の冷たい空気に田んぼから湯気が上がり霧となり雲となり、向こうの山にゆくのを目の当たりにできる。)
一方で、
日本の山は年々色あせてゆく。
山から流れる川の水が減ってゆく。
日本に帰国するたびにこれを見て不思議に思っていた。山から人が離れて過疎化が進み、環境保護や都市でのエネルギーの効率化も進んでいるのに、なぜか山は弱ってゆく。
このことが今ちょっとわかる気がする。
人々の暮らしが都市化したことで消費だけになって還元していないのだ。
食べることにまつわるゴミや排泄物はどこか遠くへ運ばれて処理される。周辺の他の生きものの命に変わって生き続けることはない。命が山に戻らない。人々の暮らしは山の生態環境の輪に参加していない。
さらにその上に公共事業で山の水を抜く土木工事が止まらない。水は土管やコンクリートの溝を流れるだけで命を育まない。
自然愛好家がゴミを拾っても、木の苗を植えても、消費の一方通行にかわりはない。奪うだけで交換していない。そういう愛し方では山の命の輪に入れてもらえないのだ。
歴史のどこかの時点で命の輪に参加する人の生き方が否定されて、新しい人の生き方が提唱されたと思う。お茶の歴史から見たら日本では明治時代にそれがはじまっている。明治時代にあったことが、今の西双版納にはじまろうとしている。
でも、もしかしたら大丈夫だと思う。
人が同じことを繰り返すのだととしたら、今の人の生き方が否定されて、新しい人の生き方が提唱されるはずだ。我々の親たちが彼らの親たちの生き方を否定してきたように、我々が親の生き方を否定すればよい。さらに子供たちが我々の生き方を否定して、間違いを正してくれるだろう。
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
弯弓秋の散茶2013年プーアル茶
今日はこのお茶。
【弯弓秋の散茶2013年プーアル茶】
きれいにつくっているから洗茶なし。
熱い湯で淹れるのがよいけれど煮出してはいけない。さっと湯を切る。透明なお茶から弯弓の森の香りがする。山水の味がする。

ひとりごと:
今年のお茶づくりのテーマは「栽培」。
栽培は小手先の技術じゃない。品種とか土質とか仕立て方とか言う前に人の生き方を問われるのだ。山の命の輪に参加している西双版納の古い農業と人の暮らしがお茶を育む。茶葉の成分になにかが宿り、お茶の味に現れる。
お茶だけではない。米も野菜も果物も、それらで養う家畜たちも。
もしも人の暮らしが命の輪に参加しないまま奪う一方となる行為を続けたら、どこかで破たんする。どんなに知識があっても、どんなにお金があっても、奪うばかりではゆくゆくは取り合いになり争いになる。
この問題にどこからどう手を付けたらよいのかわからないけれど、方向だけは見えて来た。とりあえずそれが今年の成果だった。

漫撒古樹青餅2013年・緑印 その8.

製造 : 2013年4月
茶葉 : 雲南省西双版納州孟臘県易武山瑶洞古茶樹春茶
茶廠 : 農家+漫撒工房
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶
保存 : 西双版納紙包み+竹皮包み
茶水 : メコン川の水道水を浄水器と大甕で濾過 
茶器 : 小さめの蓋碗
メコン川の朝
メコン川の朝
メコン川の朝
メコン川
メコン川
メコン川の朝
メコン川の朝
メコン川の朝

お茶の感想:
山のあらゆる植物の中でもっとも長寿の茶樹。
その葉からつくるお茶には霊的な魅力がある。
遠い昔のお茶は今とはちがう輝きを持っていたはずだ。
病院も薬局も無い山ではひとりひとりが食べものや飲みものに真剣にならざるをえない。
この一食が自分の身体を守ってくれる。
そういう気持ちで一食一食を大事にこなしてゆく。
食べものをゆっくり咀嚼してにじみ出る味。滋味深いお茶の余韻や体感。そこに見つける薬効の味。
そうなのだ。
霊的な魅力は薬効にある。
お茶は薬として生まれた。
メコン川
メコン川の朝
メコン川の朝
メコン川の朝
東京に住んでいた頃には、仕事が忙しくて食べることが面倒だと思ったことさえあった。多くの人がそう思うからファーストフードやインスタント食品が売れるのだろう。空腹を満たすための食べものであるから、「美味しさ」は喉をとおって腹に収まりやすければよい。たまに贅沢して家族や仲間と楽しみを共有できるものであればよい。
その味に薬効を探すことなどなかった。
しかし、山の生活では違う。
この一食を薬効の期待できない食べもので腹を満たしたくない。免疫力のガードが下がった身体で山の生活はできない。怪我や重労働で傷んだ体をすぐに治してほしい。
だから食べる。飲む。
その味わいに滋養や薬効の味を求める。
雲南省南部の古茶樹のお茶が高騰してきているのは、実はこのことが関係していると思う。同じ古茶樹でも山によって価格差が大きい。歴史の古い茶山ほど価格が高くなる傾向があるが、古い茶山ほど原生の品種に近い性質をもっている古茶樹が多い。原生の品種に近いほど薬効の味わいが強いと思う。漢方薬のある国だから、お茶ファンは薬効の味に敏感なのかもしれない。
もしも東京に住んでいた頃の自分が、いろいろな山の古茶樹のお茶を飲んで、山ごとに美味しさをランキングしたとしよう。それは今の自分がランキングするのとはぜんぜん異なる結果となるだろう。
当店はお茶の味を、店長の好みで選んだほうがよい。
今日はこのお茶。
【漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶】
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
漫撒古樹青餅2013年・緑印プーアル茶
易武山の中でも原生の品種に近いお茶。
易武山のお茶は基本的に甘いが、ちょっと濃くなるとぐっとと苦い。苦い中に、キラキラしたもの、ツンとくるもの、ゆらゆらしたもの、じわっと沁みるもの、いろいろある。

ひとりごと:
中国雲南省の南部やラオスやミャンマーやタイの北部は、衛生面で汚いイメージを持つ人も多いだろう。ひとつの鍋をみんなでつつくのに抵抗のある人もいるくらいだから、「虫が喰った野菜」なんて言うだけでダメかもしれない。
東南アジアには鶏や豚といっしょに生活している人々がまだたくさんいる。鶏や豚が家にいるということは、鶏や豚の餌にするトウモロコシ畑が村にあるということ。自分たちの食べる米の田んぼがあるということ。野菜畑が家の庭にあるということ。スーパーマーケットに売るのではなく近所の人たちと分けあうのだから、無農薬・無肥料の本当のオーガニックな作物ができる。そのかわりに毎日家畜のウンコを踏みつける。「家付き小動物」と呼ぶ、ダニ・シロアリ・ハエ・ゴキブリ・ネズミ・ヤモリ・イタチなどなどなど嫌な生き物の生態系もいっしょにある。家の周りはコンクリートではなくて土である。土にはバイキンがいっぱいいるだろう。
衛生的な問題は身近にある。
身体は常にいろんな方向からささやかな攻撃を受けている。
だから免疫力のガードが堅い。
そして薬効のあるものが食べられる。
なぜなら、穀物や野菜や家畜もまた免疫力のガードを固めて、自らの身体の中に薬効のある成分をつくっているからだ。
そちら側から見たらこちらは貧しいゆえに不衛生に甘んじて生きていると見えるかもしれないが、そうでもない。
狛犬
トカゲ
タイの市場
メコンのナマズ
タイのお寺

ラオス瑶族の散茶2013年 その5.

製造 : 2013年4月
茶葉 : ラオス古茶樹
茶廠 : 農家
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 散茶
保存 : 西双版納ー上海密封
茶水 : メコン川の水道水を浄水器と大甕で濾過 
茶器 : サーモス真空断熱マグ
ラオス瑶族の散茶2013年プーアル茶

お茶の感想:
北タイのあたりはオーガニックな作物の生産が盛ん。
スーパーにも「オーガニック」を謳った商品が流通している。茶葉やコーヒー豆にも「オーガニック」があって、チェーン店のカフェは積極的に使っている。
中国の西双版納からバスで一日で移動してきて初めてこれを見た時は、西双版納よりも進んでいると思った。
ところがそうではなかった。
自分の眼が青かった。
それから3年経って眼が黒くなった自分にはタイのオーガニックのウソがわかる。企業がうまいことやっているのだ。西洋式の経済的なものであって東洋古来の共存的なものではない。すべてがそうではないけれど、この数回の記事で説明しているみたいにオーガニックは人々が自然のほうへ歩み寄ることで得られるものであって、自然のほうを流通の経済に合わせられるものではない。早い話が、農家のおばあちゃんが市場や道端で売っているのだけがホンモノなのだ。
タイの若年層を見ていると、ファーストフード・冷凍食品・化学精製物質たっぷりの加工食品が浸透している。西洋のものや大企業のもののほうが頭が良いにきまっているという感覚をもっている。その点で、西双版納はまだ西洋や大企業への信仰が浅い。
この差はなにかというと「教育」の差だと思う。
学校教育の普及。
学校教育のもうひとつの目的は「消費者」人口を増やすことにある。
近代の歴史をみると、世界中のほとんどの国が農業人口を減らして工業人口を増やすことでの経済発展してきた。人類のすべての歴史からしたごく短いこの200年くらいで世界中は「国」にチカラを集中させて、いつのまにか国は生き物のようになって、誰の為にでもなく自分の為に利益を追求している。国にとって経済人口を増やすのは大きな課題。だから学校教育の普及はかかせなくなる。
自分たちで食べるものをつくって自分たちで生きていける自給自足型の農業をしている人々が世界にはまだたくさんいる。この人たちは国からしたらぜんぜん利益がない。自給自足されては国のサービスなんて要らないし、買い物が増えなければ企業は売るモノがない。食糧の生産量は増やしたいけれど、農業人口を減らしたい。工業的思考の農業が増える理由がここにある。
自給自足型の農家に生まれた子供たちの教育は小学校までで十分。その先は山の学校と田んぼの学校がすべてを教えてくれる。作物を育てて食べものをつくる。綿花を集めて糸をつむいで手織りして服をつくる。山のどの木の実が食べられて、田んぼのあぜ道のどの草が切り傷に効くか、薪の割り方、火のおこし方、医者いらずの食べものと人の体のこと。自然と人とがどうやって共存共栄するのかを学ぶ。
国からしたら、こういう実践的な学問のある人たちは困る。中学・高校・大学と進学させて、山や田んぼから子供たちを引き離して、何の役に立つのかわからない学問を教えて、自分で食べものをつくれなくなって欲しいわけだ。
食べるためにお金を稼がなければならなくなる。
いろんなものを大量消費しなければ成り立たない生活になる。
栄養の足りない食べものを食べて病気になりがちで医療サービスがかかせなくなる。
国は経済で人々を縛ることができる。
経済人口を増やすこと=自分で食べてゆけない「消費者」を増やすこと。消費者を増やす有効な手段は学校教育の普及によって農業人口を減らすこと。
学校教育を受けた自分は、農家の子供よりも教育レベルが高くて世界に通用すると錯覚していた。山と暮らすなんて野蛮だとさえ思うように錯覚させられていた。
西双版納の山に入って自給自足型の暮らしをする農家といっしょに食べて働いて寝てという暮らしを短い期間ながらも体験すると、生きてゆくための知識がなにもないのは自分のほうだと気付いた。山の植物の何が食べモノで何が薬で何が毒かもわからない。自分の体が「温」に傾いているのか「寒」に傾いているのかを自覚できないから今日はなにを食べるべきかもわからない。
こんなのでよく生きてこれたね。自分。
今からでも遅くない。一人前になって、経済に足元を見られない大人になる。
今日も卸売部のラオスのお茶。
『ラオス瑶族の散茶2013年』

ひとりごと:
タイ北部の布
タイ北部の布
タイのもうひとつのオーガニックの副産物。
「布」を紹介してみた。
自然のモノから採る染料。綿花を採って糸をつむぐところから始まっているハンドメイドの布。お母さんから娘へ伝え続けられる手織りの技術。


茶想

試飲の記録です。

・キーワード検索

お取り寄せについて

・カレンダー

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
<< February 2020 >>

・表示されている記事

・お茶と年代のカテゴリー

・記録

お茶の歴史
お茶の歴史 (JUGEMレビュー »)
ヴィクター・H・メア,アーリン・ホー

・サイトリンク

・プロフィール

 

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM