プーアール茶.com

丁家老寨の山と谷

いくつもの山を越える長距離バスに朝から晩までゆられて、疲れきってアパートに帰って来た。シャワーをして、メールチェックをして、座布団に横になったらすぐ寝てしまって、目が覚めたら夜になっていた。
もしかして夢だったなんてことは・・・と、里山の景色を思い出して不安になってきた。現実にしては美しすぎるような・・・。

易武山丁家老寨

丁家老寨の夢


出来立ての晒青毛茶を持って帰ったはずだ。
探したらすぐそこにあった。袋から出したら、やっぱりあのお茶の香りがする。
台所になにやら臭うのがあるので見たら、火腿や大蒜、漬物に腐乳、そして豆鼓の干したやつが置かれていた。そうだ、案内してくれた国境の公安の友人が代わりに運んでくれたのだった。
農家がプレゼントしてくれたのを、いっしょに運んだらお茶に臭いが移ると言って断ったら、黙って持って来てくれたのだ。

易武山丁家老寨

易武山丁家老寨


行ったところは「丁家老寨」(ディンジャーラオザイ)。
易武山のプーアール茶の隠れた歴史のあるところ。
カメラからSDカードを出してパソコンに入れたら、無事に写真が出てきた。
やっぱり行った。ついに行ったぞ。このチャンスを1年も待ったのだ。
いっぺんにいろいろ思い出してきて頭がボーっとして、なにから順番に話したらいいのかわからない。

易武山丁家老寨

丁家老寨

老人


1950年代までの茶摘みの技術が、丁家老寨にはまだ残っていること。
昔は殺青・揉捻の後、一晩渥堆発酵(菌類のかかわらない茶葉の成分変化による紅茶づくりに似た発酵)をさせていたこと。
1800年代末期から1950年代にかけて、丁家老寨のお茶はラオス経由でベトナムへ運ばれ、フランス領インドシナのフランス人に売られていたこと。
その他にもいろいろ大事なことがメモに残っている。
丁家老寨で七代目の87歳になる漢族の元気なおばあちゃんの話を聞いたのだった。
農家と一緒に茶摘みをして、手の感覚にある技術と理論を解説してもらったのだった。
一晩渥堆発酵させてつくったお茶を、標準的につくったお茶と味比べをしたのだった。
山菜を肴に白酒を飲んで夜遅くまで農家と昔のお茶の再現方法を探ったのだった。
山と谷の高低差に生まれてくる風を、寝泊まりして肌で感じたのだった。

丁家老寨

丁家老寨

丁家老寨

詳細はこれから徐々に紹介してゆくとして、
ここの土地がとても幸せな感じがするのをはじめに感じた。その印象を忘れないようにしたい。たぶん隠れた知恵がまだまだある。
お茶づくりの次のステップがはじまった気がする。

南糯山の大きな茶樹

南糯山の大きな茶樹南糯山の大きな茶樹南糯山の大きな茶樹


南糯山で見た大きな茶樹。
栽培種でこんなに大きいのは久しぶりに見る。
写真ではわかりにくいが、子供や女性なら幹の後ろに隠れることができる。坂の上から見ているので、目線は茶樹の根元から5メートル付近にある。
密林の中ではなくて農地の中にあり、他の小さな茶樹に混じってこれだけが大きくポツンとある。
車の道からかなり離れているので、山の人しか知らないようだ。
南糯山の愛尼族の農地では、古茶樹は枝を曲げて低く育てる「枝ふり」をするが、この茶樹はなぜかまっすぐ上へ伸びている。
しかも、茶摘みの跡がない。
「なぜです?」
と、山の人に聞いてみたら、
「大きな木にはお化けがいるから。」
ということ。
樹齢何百年かわからないけれど、今生きている人たちの話では、小さな頃からほぼ同じ大きさだったらしい。
南糯山の茶樹王として知られる半坡寨の推定樹齢800年の茶樹より、幹回りは細いかもしれないが、高さは3倍以上あるだろう。
裏山に入ったらもっとすごいのがあるらしいが、野生の水牛が怖いので誰も行きたがらない。ちなみに野生の水牛は人の飼っているやつよりも大きいのがいるらしい。先日はそこで6メートルもあるニシキヘビが目撃されている。
山には怖いものがいろいろあって、それでいいのだ。

自由の布

渡し船に自転車を積んでタイからラオス側へ川をわたり、
そこから20キロほど奥へ行ったところにある布づくりの村を訪ねた。

メコン川を渡る船


布はすべて手づくり。
畑で綿花を育て、糸をつむいで、はたを織り、草木で染めて、川で洗って乾かしてというゆっくりつくられている布。その布の民族衣装やバッグもまたすべて手縫い。ミシンなどないのだ。

ラオスの村

綿花から糸をつむぐ

機織り

ラオスの村


西双版納の古茶樹のお茶づくりと同様に、半自給自足生活をする山の人たちだからこそできるやり方で、やがてこういう仕事は消えてゆくだろう。実際に10年か20年くらい前まではラオスまで行かなくても、タイの田舎にも西双版納にもこういう布づくりがあったのだ。
自分たちで米をつくり野菜をつくり家畜を育て、山で勝手に暮らしてゆける人たち。家にはテレビも冷蔵庫も洗濯機もない。国はこのように経済に参加しない人たちを、経済に参加させたがっている。貧困救済という大義名分がある。
ラオスの布づくりの村でもすでに一家に一台バイクくらいはあり、電線が引かれて電燈がつき、最近それに携帯電話が加わったので、お金が要るようになってきて、布づくりもだんだん忙しくなっている。

ラオスの村


そこでこの布、商品としてどうだろうか。
価値に見合った魅力はあるのだろうか?そう考えると微妙なところなのだ。
綿花から糸をつむいだり、手しごとの機織りをしたり、化学染料を使わずに草木を採取してきたり、膨大な時間をかけてほんの少ししかできない布は、あまりにも効率が悪くてコスト高になる。すべてが機械生産になった布との価格競争力がない。
すでに多くの村が糸を工場から買うようになり、化学染料で染められた既製品を買ってきて手縫いするだけになっている。観光地のお土産屋で売られている民族工芸品がそうだ。
品質的に、機械生産の布とほぼ同じ性能しかなくても、ラオスのこの村の布は5倍も6倍もの値段になる。
この値段はいったいなにか?
見た目の味わい?質感のちがい?
それだけに5倍も6倍ものお金が払えるのか?
それともこんなつくり方をしている村は世界では少なくなったから、博物館みたいな希少価値があるというのか?
そんなふうに説明できる価値は、はっきり言ってないだろう。
じつにこの布も当店のお茶づくりと似たような問題をかかえている。
だから好きになった。大好きだそういうの。

畑

川

ラオスの村

ラオスの布づくり


この布で、まずは餅茶を入れる袋をつくることにした。
それなりの値段になるし、売れるわけがないし、それ以前に餅茶を買う人が少ないわけだけれど、つくってしまうのだ。
われわれは自由人だ。すきなやり方で好きなものをつくる。
経済の論理など通用しないのだ。
最悪、それで食べてゆけなくなったら、自分たちで米をつくり野菜をつくり家畜を育て、山で勝手に暮らしてやる。映画『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいになってやる。
スーパーマーケットで売っているような機械生産の加工食品を買うためにあくせく働くなんてまっぴらごめんだ。消費社会の家畜にはならないし、人を家畜扱いするような商品はつくらない。

美しい味

同興號後期圓茶70年代プーアル茶


メコン川の町にきて、散歩中に見つけたゲストハウスのテラスからゆったりカーブする大河の流れを見ながら、辛い酸っぱい甘い風味の豚肉と青パパイヤのサラダを肴にビールを飲んでいたら、初老のアメリカ人が話しかけてきた。後でわかったことだがそのゲストハウスをタイ人の女性といっしょに切り盛りしている主人らしい。
「さっき彼女から聞いたんだけどね、あなたは雲南省でお茶つくってるんだって?」
「そうです。」
「それで、まあ、聞いてもらえるかなと思って話すんだけど、嘘のような話なんだけど。」
「はい。どうぞ。」
「友達に70歳になるイギリス人がいてね。彼の親父は100歳を超えるのにピンピンしていて、たしかある地方で長寿ナンバーワンだって新聞にも載っているんだよ。それでそのイギリス人がお茶マニアでね、長寿の秘密はお茶にあるって言うんだ。」
「そうかもしれません。」
「それでイギリス人は毎年のように雲南の山奥の民族の土地に入ってね、そこには樹齢が数百年の茶樹があるんだって。山の人に茶葉を分けてもらうんだよ。」
「まさにそれと同じことを私もしています。」
「そうなの?ほんとうなんだね数百年の茶樹があるってのは。それは人の背よりも高くて木登りして摘むって言うよ。」
「まさにそのとおりです。」
「それで、ここから先が眉唾ものなんだけどね、嘘だと思ってもいいんだ、彼が勝手に言ってることだから。そのお茶をね、20年も30年も倉で寝かしてから飲むんだって。そんなの腐ってるよね。土になってるはずだよ。」
「まさにそれが私の扱っているお茶です。」
「えっ、ってことは、ほんとうにそんなお茶があるの?」
「はい、あります。雲南省ではなくて広州や香港が長期熟成の本場で、私の所蔵のお茶でも1950年代のがあります。それは香港の倉から出てきたものです。」
「それでそのお茶の味は本当に良いの?」
「・・・・・良いと言うか、良いとか悪いとかじゃなくて、美しいというやつでしょ。」
「美しい、お茶の味が。とても東洋的だよねそれ。美しいかどうかはどうやってわかるの??」
「そんなこと、飲んでみてあなたの心に聞けばよいでしょ。」

茶は知の水なり

南糯山神青餅プーアル茶2011年


「茶は知の水なり。」
とつぶやいた昔の人がいて、お茶の歴史の本のどこかに書かれていた。どの本にあったのか、どういう名前の人だったのか覚えていないけれど、言葉だけを覚えている。
お茶の知識は長い歴史の膨大な蓄積がありながら、そのほとんどが文章化されるタイプのものではないのだなあ。だから本にもネットにも書かれていないことがある。お茶を飲んで感じたり、葉底(煎じた後の茶葉)を観察して、茶葉に刻印された記号を解読するしかない。少し経験を積んできて、お茶の自然や製茶の仕事や熟成の森羅万象にアクセスできるようになると、あるとき突然「あーなるほど」と直感して、芋づる式に回答を得られることがある。またあるときにはすべてがわからなくなるような迷宮に引きずり込まれることがある。おそらくそのどれもが真理なのだ。真理はいつも流動的に姿を変えているけれど、たしかに存在する。
それがなにに役立つの?と言われると答えにくいが、これから死ぬまでに自分の身の周りに起こるすべてのことに対して、お茶と向き合うような静かな姿勢で、柔軟に忍耐強く対応できるようになれば良いなと思う。
そういうことは頭で理解してもなかなか実践では活かされないので、文章にはされず、身体的なところや精神的なところに直接触れることのできるお茶するという行為によって、知恵を授かるのが良かったのかもしれないな。

お茶と社会

ヒンズー教の寺院

(写真:シンガポールのヒンズー教の寺院)


西双版納のアパートで、夜中にふと目が覚めたら、
寝室に黒い影が入ってきて枕元を覗きこんだ。
あわててはね起きたら、泥棒もあわてて逃げだした。
裸足のまま部屋を飛び出して階段を走り下り、
大声を出して守衛に捕まえてもらおうとしたが、
守衛は寝ていた。(グルかもしれない。)
門に設置されたビデオには二人の男の後ろ姿が写っていた。
なにも盗られていなかったから警察には届けない。
次の日に鍵を新しいのに替えて、それで終わり。

ペナンのモスク

(写真:ペナンのモスク)


いつもの茶荘でこのことを話したら、
主人が血相を変えてこう言った。
「泥棒が入るのはよくあることです。うちも2回現金や携帯を盗られました。」
「でも捕まえようとしないでください。」
「泥棒を追いつめてナイフで刺されたら、盗られたお金以上の損害です。」
「盗まれるのはお金だけで十分。」

シンガポールのモスク

(写真:シンガポールのモスク)


たしかにそのとおりなのだ。
例えば泥棒に入られないための完全な設備に何万元もかけるよりも、数百元盗まれて済むのならそのほうが安い。泥棒は町じゅうにうじゃうじゃいるのだから、一人や二人捕まえてもなにも変わらない。泥棒のほうも心得ていて傷害事件にはなるべくしないで、あくまでも小銭稼ぎのコソ泥に徹するのだ。
われわれの目的は良いお茶をつくって売ること。
そのために下手な現金の出費はなるべく避けるべきだし、仕事以外のことに関わっている暇はないはずだ。

ペナンの儒教の寺院

(写真:ペナンの儒教の寺院)


お茶のような歴史ある交易品には、いろんな土地のいろんな宗教のいろんな言葉を話す人々が関わってきた。交易の町にはそれぞれの民族のコミュニティーがあり、交易ルートをゆけば簡単に他国へ出られる。
そんな町には泥棒が多い。
スパイスや絹やお茶の交易の代表的な港町、ニンポー・アモイ・広州・香港・マカオ・ペナン・マラッカ・シンガポール・ジャカルタ・カルカッタ・チェンナイ・ムンバイなどは昔は泥棒だらけだったことだろう。
西双版納もまた、ラオス・ミャンマーと国境を接し、メコン川を下ると1日でタイに出られる交易の町だ。ちなみにうちに入った泥棒は、部屋の暗い明かりで顔は見えなかったけれど、肌の色の黒さからしてたぶん近くに住んでいる回族の人ではないかと思う。
東南シルクロードの時代から交易のために雲南省に移り住んだイスラム圏の人々が、今もたくさん住んでいる。ある意味で先輩だ。

マラッカのモスク

(写真:マラッカのモスク)


交易商人の考え方はこうだ。
生まれも育ちもちがう相手を理解する必要はない。
ただ取引するのみ。
たとえ闘うことはあっても、相手を窮地に追いつめてはならない。生かさず殺さずでやってゆく。追いつめると反撃されるし、それに応ずるために武力を増強するなんて割に合わない。そのゆきつく先は戦争。戦争は商売として割に合わないのだ。
このことは交易の歴史も証明している。
インド洋をめぐる東洋の交易が栄えていたところに、西洋が戦争と侵略いう新しい手法をもって割り込んできた。インドの交易港を支配していた王様は、そんな割の合わないことは誰もしないと油断していたから対応する武力がなかった。戦争による西洋の植民地支配は、はじめはうまくいったように見えた。

マラッカの教会

(写真:マラッカの教会)


しかし、生まれも育ちもちがう人々の社会に干渉して支配しつづけるという負担はあまりにも大きく、本国の足元をも削ることになった。西洋のどの国も、植民地支配はおなじような道をたどって衰退した。
東洋の商人なら、よその土地の者が王様のかわりを務められるなんて考えもしないだろう。
よい取引をして儲けることができたら、王様への上納金なんて安いものだ。仕事の邪魔をする泥棒や海賊を撲滅するよりも、彼らがなんとか生きてゆける道だけは残しておく。そうしたら彼らは命懸けで戦おうとはしないだろう。
お茶の世界でいえば、偽物も粗悪品も産地偽装品も一級品とうそぶく三級品も、それで食べてゆく人たちのくいぶちを奪うようなことはしないのだ。
どんな人でもそれぞれに生きてゆける。
人口が増えるわけだ。
人の数だけ問題も増えてゆく。
問題が増えても増えても、戦争なしでなんとかやってゆく。
それが良いのか悪いのかは、まだはっきりわからない。

西双版納の寺院 

(写真:西双版納の仏教寺院)


お茶のことを勉強してゆくと、かならずお茶を取り巻く社会が見えてくる。
それは醜くて、見たり聞いたりしたくないところもあるから、見たり聞いたりしないで済ませることもできる。仕事や生活でもうじゅうぶん現実と闘っていて、ほっと一息するために飲むお茶についてそんなことまで考えたくはない。
しかし当店としてはこういう話を少しはしてゆくつもりだ。
今、世界はほんとうに難しい問題を、生まれも育ちもちがう人たちと共有してゆかなければならないことになってきていると、お茶づくりの現場でさえもそう感じる。
お茶には自然社会の生きものたちとの関係もある。支配するのではなく共存の道をさぐるほうが良いとはわかっているのだが、それは泥棒の存在をゆるすよりも難しい。
お茶を飲むだけの人にも、多少は考えてもらわないといけない時がきていると思う。

紫・むらさき

紫(むらさき)という名の紅茶をつくることにした。
理由はかんたんで、秋の山に上がったら紫色の花が目についたから。

紫

紫

栗

西双版納

紫

西双版納

製茶場


そう考えてつくっていたせいかどうなのか、ほんとうに紫色した風味になってきた気がする。

川のゆらぎ

5

4

2

3

1


川が空をひっぱっている

メコン川のちかく


こまごまとした用事をすませて、
またメコン川の小さな町にもどってきた。
チェンマイという町から車できた道中は、道のわきにちょこっと家があって、ひろい水田があって、水路があって、ところどころにお寺があって、遠くに山があってという緑の景色がつづいていた。
川にだんだんと近づいてきたという予感みたいなものが、水田のむこうの山なみに感じられて、町に着くと、路地の向こうに流れる水の輝きが見える。

ゲストハウス

メコン川ゲストハウス


いっきに引き込まれる。
そこにただよう密度の濃い空気に飲みこまれる。
やっぱりこの川はすごい。
もしかしたら、
川の流れがあまりにもすごいから、ここでは空間がゆがんでいるのではないか?
と、思ってみることにする。
勢いよく流れる大量の水が、いろんなものをひっぱってしまっているのだ。
たとえば重力とか。

メコン川

メコン川

メコン川

メコン川


川べりで空を見上げたときに地面から足が離れそうになる錯覚は、錯覚ではなかったのかもしれない。
もしかしたら、
それは時間までもひっぱっていて、時間の流れるスピードも他の場所とはちがうのかもしれない。
ついにアホなことを言いだしているかもしれない。
けれど、
いつかアインシュタインくらいの天才が証明する可能性があるから、そっちに賭けてみる。
この川の美しさには、まだ説明のつかない神秘がぜったいにある。

メコン川

メコン川

メコン川


お茶の味にもそういう神秘がある。
つまらない凡人の研究でお茶を不味くするなと言いたい。
天才しか必要とされないのは、なにも芸術の世界だけじゃない。
そんなことを考えたということさえ、
あっというまに川に流されて、どうでもよくなって、
お腹が空いたからごはんを食べにゆくとする。

ずっと川を見ている

メコン川


川が美しいのだ。
川を見ているとたまに涙がでてくる。
悲しいのではない。
水のうごきを一瞬たりとも見逃すまいとして、まばたきをしなくなるからだ。

メコン川のスケールは大きく、
町のいたるところから川が見える。宿の部屋からはベッドに寝たまま川が見える。小道を散歩していても、レストランのテラスにいても、どーんとそこに川がある。
朝も昼も夕方も夜も明け方も同じように流れている。
このあたりには橋がないから、遠くまで流れを追いかけて見れる。
人もバイクも車も犬も猫も豚も牛も象も、川の上を船で渡る。
遠くのメコン川沿いの町へ毎日船が出ていて、西洋人の旅行者たちにはラオスのルアンパバーンへ2日かけて川を下るコースが人気みたいだ。
もう数え切れないほどそんな船が目の前を行ったけれど、まだしばらくここにいてみたい。

メコン川

メコン川

メコン川


予定なんてどうでもよくなりつつあるが、
はじめはラオスやタイの北部の町を観光するつもりだった。
ガイドブックなんかで紹介されているこじんまりした美しい町。古い寺院や楽園の滝。
それともうひとつ、雲南省西双版納孟臘県易武山にあった古い茶荘の「同興號」の末裔が、今も易武山の茶葉を仕入れてこのあたりでプーアール茶をつくっているかもしれないので、それを探す目的もあった。
しかしそれはまた次でもよいだろう。誰も困らないし。

メコン川

メコン川

メコン川

チェンコーンのお寺


川沿いのこの小さな町は、
国境をこえる旅の通過点になっているようで、ほとんどの旅行者が一泊だけして移動する。そのせいか宿はあっても部屋はけっこう空いている。観光の目的になるようなこれといった見所はないし、地元の人々の静かな暮らしがあるだけで、つまらないところなのかもしれない。でもそこがよい。
ここに住んでいる人たちもみんな川が好きみたいで、夕暮れどきには川べりにでてきて散歩したりおしゃべりしたり、ぼーと眺めたりしている。
なにはなくても川がある。

メコン川

チェンコーン


この川の魅力は、
なんといっても走るようなスピードで流れる水とそのおびただしい量。
流れに負けて浮き上がった大きな波紋が手前から1つ・2つ・3つ・4つ・5つ・6つ・・・・・・・向こう岸まで数え切れないほどある。
ものすごい質量が目の前を移動している。水だからふつうに見えるけれど、これがもしも土砂だったら山が連なって猛スピードで駆けてゆくような異常な光景になる。しかもとぎれなく。
そんな水の流れから目を離すのがもったいない気がしてくる。

メコン川

メコン川

メコン川

メコン川

メコン川


光と色の美しさもある。
太陽や月や星の光が川に溶けてゆく。
空にかかる霧や雲や雨が光をちらして無限の組み合わせをつくる。音楽のリズムのような微妙な感覚も、川の光と色は奏でることができる。
ちょうど宿の前のあたりは中州があり、流れが複雑になっていて味わいがあるみたいだ。
たまに雲が切れて空が青くなると、赤く濁った水は黄金に輝く。
青空もつかのま、むこうの山に沸き上がった積乱雲がゴロゴロ鳴りだして、涼しい風が吹いてきたと思ったらあっという間に頭上の黒い雲になってものすごい雨を叩きつける。
煙る雨の中でも、やっぱり川は美しい。
焼きバナナとワインを買いこんで、屋根のあるベランダから降りしきる雨の川を眺めるのだ。

メコン川

メコン川とお菓子


水の音もまたよい。
部屋のすぐ前にある岩が瀬となってザブザブ水音を立てている。
昼間は小鳥のさえずりや鶏のコケコッコーや地元の人たちの生活や渡し船のエンジンで瀬の音はそれほど目立たないが、夜になるとちがう。
近くのカラオケ店の酔っ払いが歌い終わると、草むらにいる小さな虫や蛙たちの大合唱がすぐに聞こえてくる。瀬の音がじわじわ迫ってくる。
夜の真っ暗な水面には岩も渦も見えないけれど、昼とまったくおなじスピードで水の流れていることを瀬の音は教えてくれる。

メコン川の空

メコン川の空


川が大きいとなぜか空は広い。
ちょっと高いところに立って見上げると落ちそうになる。空のほうへ。
足のうらの重力を意識しておくことだ。それを忘れたら外へ放り出されるかもしれない。

あたりまえだけれど、
光も色も音もそしてこの空間もずっと昔からあって、
これからもずっと無くなることはないのだろう。
それがなんだかとても安心できる。
眠くなったら眠って、目が覚めてから川を見たらよいのだ。
夜中に眠りが浅くなったときは、瀬の音のザブザブが聞こえてくる。
もしも自分が永久に眠っても、誰かがかわりにまた川を見にくる。
そのときも同じように、水は流れて川は美しく空は広いのだ。

旅の高揚感はすでになくなっているし、いつものような毎日がもどってきている。けれど今、これはたぶん夢の叶っている瞬間だと思う。
小さなころから川や魚が好きだったから、生まれながらにしてもっていた夢かもしれない。
でもこの夢は、誰かの役に立ったり誰かを幸せにすることはない。
自分の将来のためになることもないのだろう。
誰かのために川を見ているのではないし、自分のために川を見ているのでもなさそうなのだ。

メコン川沿いのレストラン

ヤモリ

蜘蛛

メコン川とレストラン


社会や世界を意識する大人になってからの夢は、誰かに話すためにつくったような感じがしてわざとらしいけれど、実際に社会人としてやってゆくうえで、誰かに必要とされる存在になることや、難しい仕事を成し遂げる夢をもったほうが生きてゆきやすい。
誰かの役に立ちたい。環境を守りたい。競争に勝ちたい。そんな感じ。
「将来の夢は?」と子供に聞く大人は、「宇宙飛行士になりたい」と言うと満足するだろうけれど、「じっくり川を見たい」と言うと満足してくれないだろう。

なにが言いたいのか自分でもよくわからないけれど、今はとにかく川を見る。
有益なことではなくても、ゆっくり味わう。
味わうとはそういうことで、本来は王様の仕事なのだ。


茶想

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