プーアール茶.com

薬味

易武春風青餅2011年プーアル茶 
ちょと古いプーアール茶ファン向けの、マニアックな話になる。

『丁家老寨青餅2012年』の紹介文で、その特殊な栽培方法による大ぶりの茶葉は「大葉青餅」ではないか?そうすると麻黒一帯の小ぶりの茶葉は「小葉青餅」ではないか?と推測していたが、それを裏付けるような風味が『易武春風青餅2011年』のほうから出てきている。

当初は「無い味」を意識して春一番の新芽と若葉に執着したこのお茶は、1年と4カ月経った今、無い味とは言い難いほど薬味が強くなり、一言でいうと苦い。そしてお茶というより葛根湯や、あるいは花火の火薬のようなちょっと異質な香りが混じる。
この風味はずばり『92紅帯青餅プーアル茶』に似ている。

三級単一茶葉で仕上げるという実験的な試みのある『92紅帯青餅プーアル茶』は、1992年製なのでざっと20年経っているが、いまだに風味に鮮烈なところが残っている。春一番の小さな若葉の成分は熟成変化が遅いということだろう。
このお茶を美味しく淹れるのは難しい。とくにはじめの三煎めくらいまでは、蓋碗でたくみに湯加減を調整するのを楽しめる人はよいけれど、一瞬たりとも気の抜けない勝負となる。『易武春風青餅2011年』も、今まさにそんな感じなのだ。

『易武春風青餅2011年』の熟成の試飲報告はもう少し先送りにするけれど、この方向でさらなる高級を求めるというのは、自分の中では無いとはっきりした。
名作と言われながら、『92紅帯青餅プーアル茶』や『七子紅帯青餅プーアル茶』が毎年つくられる定番にならかなった理由が、今わかる気がする。

鬼手仏心

ヘミングウェイ老人と海
かなり昔のことだけれど、日本でテレビを観ていたら、どこかの川で鮎の漁をしている若い漁師が、師匠から伝えられた「鬼手仏心」(きしゅぶっしん)という言葉を紹介していた。
逃れようともがく鮎を生け捕る手は鬼だけれど、その鮎を誰よりも愛しなさいという教え。

なかなか深いのだ。
誰でもなにかを食べて他の生命を殺生(せっしょう)しながら生きている。
草食であっても、草の命や草を食べて命をつなぐはずだった虫たちからそれを奪っている。
農業や漁業に関係のない人でも、食べるために仕事をするということはなんらかの生命を間接的に殺生している。

鮎がいるから漁師の仕事がある。
しかしその逆もまた言えて、漁師の仕事があるからこそ鮎が価値ある存在になる。
鮎を食べて楽しむお客様からしっかりお金をいただけるように、旬の美味しいタイミングで活きの良い鮎を獲る。春になったら稚鮎が河口付近の海から上がって来られるように、川の自然環境を大切にする。そうやって川と人との営みを続けて互いに生かし合うことが、すなわち鮎に対する漁師の愛情なのだ。

ヘミングウェイの小説『老人と海』でも、漁師のサンチャゴはそういうことを話していた。
老人は、漁師として魚を釣ることの喜びと、魚を殺すことの悲しみを、ひとりぼっちの小舟の上で語る。三日三晩にもおよぶ巨大カジキとの生死を掛けた闘いにも、「お前を殺す価値のある人間なんてどこにもいやしない。でも、俺は漁師としてお前を殺すことになる。」というようなことを言う。殺生という行為でありながら、老人の魚や海に対する愛情いっぱいの仕事は、すがすがしい感動を与える。

例えばの話だけれど、
ダム工事の巨額な利権によって鮎の価値なんてふっ飛んでしまうのを、生活保障というお金と引き換えることになった漁師はどうだろうか。
鮎もお金も漁師にとっては生きるために必要なもので、そういう意味では同じかもしれない。
しかし、うまく言えないけれど、今この違いが少しわかる気がする。
鮎と漁師とそして川との関係は唯一無二のものである。それに対して、お金はなんにでも交換できて誰にでも共通して価値のある普遍的なものである。

唯一無二だからこそ愛がある。
「鬼手仏心」はそういう関係のことを説いているかもしれないな。
ちょっと前に、「僕はこの仕事が好きなんです・・・」と若い人に言うと、「お金儲けが好きなんですか?」と返されて、ちょっとうろたえてうまく言えなかった。そうじゃなくてこういうことなんだと、今ひとりでじっくり考えてみた。ふぅ・・・。

文化の祖国

漫撒茶山(旧易武山)
皇帝になる民族がかわるたびに、そのたびに文化も生活習慣もいちいち変わっていたらやってられない。しかし中国はそれを繰り返してきたわけだけれど、西双版納ほどの辺境地になると、昔は誰が北京の皇帝なのか知る由もなかったわけだ。
ほんの数十年前まではこの山のどこに国境線があるのかさえわからない。どちらの国の役人も線を引きに来たことがなかったのだ。

だからここでは祖国というのと国というのは異なる存在なのだと思う。
漫撒茶山(旧易武山)で、「私は石屏の人です」と言う漢族の人が何人かいた。ここに来て七代目の農家の主人もそう言っていた。七代目となるともう石屏のことなんて忘れて「私は易武の人です」と言ってもいいように思うが、そうじゃないのだ。おそらく石屏のほうから文化を持って来たというアイデンティティーが、いくつもの民族が共存しているこの辺境地で生きてゆくのに必要なのだろう。
文化には祖国がある。

現在は辺境地の人々もゆきとどいた国のサービスを享受しているが、昔の人々にとって、国ってなんだったのだろう?
突然北京の皇帝の手下がやってきて、「ここは我々の土地であるからして、お茶を売った金に20%の税金を徴収する。」なんて言いだすやっかいなヤクザじゃなかったのか。
どこの国の行政サービスの助けも借りずに、手つかずの密林に道をつくって家をつくって田畑をつくって山を開いて茶を育ててきた人たちから言わせたら、「あんたが今歩いてきた道もわれわれがつくったのだから、ここはわれわれの土地だ。」と言いたいだろう。
けれど、おそらく皇帝の手下は武力で有無を言わせないのだろう。

見方によっては、国というは税金を取ってその金でちょいと行政サービスを提供しているだけのヤクザだ。汗水たらして労働しないで、勝手なルールを決めるだけで他人の上前をはねて飯を食っている不届き者たちだ。
現在の先進国の中には、未来の子供たちの財産まで食い潰しているところもあるけれど、なぜかそういう国の人に限って自立心が少なく国に依存しているという統計が出ている。

もしも本気で文化を守る気があるのなら、そんなところに祖国の文化を預けるわけにはゆかない。国がどうなろうが、住んでいる土地がどうなろうが、いつでも文化を風呂敷に包んで持って逃げる覚悟をしておくべきだ。
どこへ行ったって、人の祖国は変わらないし忘れはしない。皇帝が代わろうが植民地支配されようが、世代が7つも変わろうが、人と共にある文化は根を失わないのだから。

そうやって長い歴史の中で人が移動しながらもお茶の文化を守ってきたようなところがある。だから辺境地で育ったプーアール茶は無国籍な感じがするし、国とは別に、お茶を守ってきた人たちの祖国を感じることができるのかもしれない。
根の強いお茶なのだ。

なつかしい風景

易武山丁家老寨
チェンコーン
えらい遠くまで来たなーと思うような異国の地なのに、 山と谷と田んぼの織りなす曲線や、大河の蛇行する柔らかい流れを見ると、心落ち着くことがある。
似たようなところはいくつもあっても、なにかが微妙に違うのか、そこだけが特別に見えるところがある。
もしかしたら、自分の知らないずっと昔の先祖の人がこういう地形のところで豊かな生活をした記憶が血に残っているのかもしれないな。

丁家老寨の山と谷

いくつもの山を越える長距離バスに朝から晩までゆられて、疲れきってアパートに帰って来た。シャワーをして、メールチェックをして、座布団に横になったらすぐ寝てしまって、目が覚めたら夜になっていた。
もしかして夢だったなんてことは・・・と、里山の景色を思い出して不安になってきた。現実にしては美しすぎるような・・・。

易武山丁家老寨

丁家老寨の夢


出来立ての晒青毛茶を持って帰ったはずだ。
探したらすぐそこにあった。袋から出したら、やっぱりあのお茶の香りがする。
台所になにやら臭うのがあるので見たら、火腿や大蒜、漬物に腐乳、そして豆鼓の干したやつが置かれていた。そうだ、案内してくれた国境の公安の友人が代わりに運んでくれたのだった。
農家がプレゼントしてくれたのを、いっしょに運んだらお茶に臭いが移ると言って断ったら、黙って持って来てくれたのだ。

易武山丁家老寨

易武山丁家老寨


行ったところは「丁家老寨」(ディンジャーラオザイ)。
易武山のプーアール茶の隠れた歴史のあるところ。
カメラからSDカードを出してパソコンに入れたら、無事に写真が出てきた。
やっぱり行った。ついに行ったぞ。このチャンスを1年も待ったのだ。
いっぺんにいろいろ思い出してきて頭がボーっとして、なにから順番に話したらいいのかわからない。

易武山丁家老寨

丁家老寨

老人


1950年代までの茶摘みの技術が、丁家老寨にはまだ残っていること。
昔は殺青・揉捻の後、一晩渥堆発酵(菌類のかかわらない茶葉の成分変化による紅茶づくりに似た発酵)をさせていたこと。
1800年代末期から1950年代にかけて、丁家老寨のお茶はラオス経由でベトナムへ運ばれ、フランス領インドシナのフランス人に売られていたこと。
その他にもいろいろ大事なことがメモに残っている。
丁家老寨で七代目の87歳になる漢族の元気なおばあちゃんの話を聞いたのだった。
農家と一緒に茶摘みをして、手の感覚にある技術と理論を解説してもらったのだった。
一晩渥堆発酵させてつくったお茶を、標準的につくったお茶と味比べをしたのだった。
山菜を肴に白酒を飲んで夜遅くまで農家と昔のお茶の再現方法を探ったのだった。
山と谷の高低差に生まれてくる風を、寝泊まりして肌で感じたのだった。

丁家老寨

丁家老寨

丁家老寨

詳細はこれから徐々に紹介してゆくとして、
ここの土地がとても幸せな感じがするのをはじめに感じた。その印象を忘れないようにしたい。たぶん隠れた知恵がまだまだある。
お茶づくりの次のステップがはじまった気がする。

南糯山の大きな茶樹

南糯山の大きな茶樹南糯山の大きな茶樹南糯山の大きな茶樹


南糯山で見た大きな茶樹。
栽培種でこんなに大きいのは久しぶりに見る。
写真ではわかりにくいが、子供や女性なら幹の後ろに隠れることができる。坂の上から見ているので、目線は茶樹の根元から5メートル付近にある。
密林の中ではなくて農地の中にあり、他の小さな茶樹に混じってこれだけが大きくポツンとある。
車の道からかなり離れているので、山の人しか知らないようだ。
南糯山の愛尼族の農地では、古茶樹は枝を曲げて低く育てる「枝ふり」をするが、この茶樹はなぜかまっすぐ上へ伸びている。
しかも、茶摘みの跡がない。
「なぜです?」
と、山の人に聞いてみたら、
「大きな木にはお化けがいるから。」
ということ。
樹齢何百年かわからないけれど、今生きている人たちの話では、小さな頃からほぼ同じ大きさだったらしい。
南糯山の茶樹王として知られる半坡寨の推定樹齢800年の茶樹より、幹回りは細いかもしれないが、高さは3倍以上あるだろう。
裏山に入ったらもっとすごいのがあるらしいが、野生の水牛が怖いので誰も行きたがらない。ちなみに野生の水牛は人の飼っているやつよりも大きいのがいるらしい。先日はそこで6メートルもあるニシキヘビが目撃されている。
山には怖いものがいろいろあって、それでいいのだ。

自由の布

渡し船に自転車を積んでタイからラオス側へ川をわたり、
そこから20キロほど奥へ行ったところにある布づくりの村を訪ねた。

メコン川を渡る船


布はすべて手づくり。
畑で綿花を育て、糸をつむいで、はたを織り、草木で染めて、川で洗って乾かしてというゆっくりつくられている布。その布の民族衣装やバッグもまたすべて手縫い。ミシンなどないのだ。

ラオスの村

綿花から糸をつむぐ

機織り

ラオスの村


西双版納の古茶樹のお茶づくりと同様に、半自給自足生活をする山の人たちだからこそできるやり方で、やがてこういう仕事は消えてゆくだろう。実際に10年か20年くらい前まではラオスまで行かなくても、タイの田舎にも西双版納にもこういう布づくりがあったのだ。
自分たちで米をつくり野菜をつくり家畜を育て、山で勝手に暮らしてゆける人たち。家にはテレビも冷蔵庫も洗濯機もない。国はこのように経済に参加しない人たちを、経済に参加させたがっている。貧困救済という大義名分がある。
ラオスの布づくりの村でもすでに一家に一台バイクくらいはあり、電線が引かれて電燈がつき、最近それに携帯電話が加わったので、お金が要るようになってきて、布づくりもだんだん忙しくなっている。

ラオスの村


そこでこの布、商品としてどうだろうか。
価値に見合った魅力はあるのだろうか?そう考えると微妙なところなのだ。
綿花から糸をつむいだり、手しごとの機織りをしたり、化学染料を使わずに草木を採取してきたり、膨大な時間をかけてほんの少ししかできない布は、あまりにも効率が悪くてコスト高になる。すべてが機械生産になった布との価格競争力がない。
すでに多くの村が糸を工場から買うようになり、化学染料で染められた既製品を買ってきて手縫いするだけになっている。観光地のお土産屋で売られている民族工芸品がそうだ。
品質的に、機械生産の布とほぼ同じ性能しかなくても、ラオスのこの村の布は5倍も6倍もの値段になる。
この値段はいったいなにか?
見た目の味わい?質感のちがい?
それだけに5倍も6倍ものお金が払えるのか?
それともこんなつくり方をしている村は世界では少なくなったから、博物館みたいな希少価値があるというのか?
そんなふうに説明できる価値は、はっきり言ってないだろう。
じつにこの布も当店のお茶づくりと似たような問題をかかえている。
だから好きになった。大好きだそういうの。

畑

川

ラオスの村

ラオスの布づくり


この布で、まずは餅茶を入れる袋をつくることにした。
それなりの値段になるし、売れるわけがないし、それ以前に餅茶を買う人が少ないわけだけれど、つくってしまうのだ。
われわれは自由人だ。すきなやり方で好きなものをつくる。
経済の論理など通用しないのだ。
最悪、それで食べてゆけなくなったら、自分たちで米をつくり野菜をつくり家畜を育て、山で勝手に暮らしてやる。映画『地獄の黙示録』のカーツ大佐みたいになってやる。
スーパーマーケットで売っているような機械生産の加工食品を買うためにあくせく働くなんてまっぴらごめんだ。消費社会の家畜にはならないし、人を家畜扱いするような商品はつくらない。

美しい味

同興號後期圓茶70年代プーアル茶


メコン川の町にきて、散歩中に見つけたゲストハウスのテラスからゆったりカーブする大河の流れを見ながら、辛い酸っぱい甘い風味の豚肉と青パパイヤのサラダを肴にビールを飲んでいたら、初老のアメリカ人が話しかけてきた。後でわかったことだがそのゲストハウスをタイ人の女性といっしょに切り盛りしている主人らしい。
「さっき彼女から聞いたんだけどね、あなたは雲南省でお茶つくってるんだって?」
「そうです。」
「それで、まあ、聞いてもらえるかなと思って話すんだけど、嘘のような話なんだけど。」
「はい。どうぞ。」
「友達に70歳になるイギリス人がいてね。彼の親父は100歳を超えるのにピンピンしていて、たしかある地方で長寿ナンバーワンだって新聞にも載っているんだよ。それでそのイギリス人がお茶マニアでね、長寿の秘密はお茶にあるって言うんだ。」
「そうかもしれません。」
「それでイギリス人は毎年のように雲南の山奥の民族の土地に入ってね、そこには樹齢が数百年の茶樹があるんだって。山の人に茶葉を分けてもらうんだよ。」
「まさにそれと同じことを私もしています。」
「そうなの?ほんとうなんだね数百年の茶樹があるってのは。それは人の背よりも高くて木登りして摘むって言うよ。」
「まさにそのとおりです。」
「それで、ここから先が眉唾ものなんだけどね、嘘だと思ってもいいんだ、彼が勝手に言ってることだから。そのお茶をね、20年も30年も倉で寝かしてから飲むんだって。そんなの腐ってるよね。土になってるはずだよ。」
「まさにそれが私の扱っているお茶です。」
「えっ、ってことは、ほんとうにそんなお茶があるの?」
「はい、あります。雲南省ではなくて広州や香港が長期熟成の本場で、私の所蔵のお茶でも1950年代のがあります。それは香港の倉から出てきたものです。」
「それでそのお茶の味は本当に良いの?」
「・・・・・良いと言うか、良いとか悪いとかじゃなくて、美しいというやつでしょ。」
「美しい、お茶の味が。とても東洋的だよねそれ。美しいかどうかはどうやってわかるの??」
「そんなこと、飲んでみてあなたの心に聞けばよいでしょ。」

茶は知の水なり

南糯山神青餅プーアル茶2011年


「茶は知の水なり。」
とつぶやいた昔の人がいて、お茶の歴史の本のどこかに書かれていた。どの本にあったのか、どういう名前の人だったのか覚えていないけれど、言葉だけを覚えている。
お茶の知識は長い歴史の膨大な蓄積がありながら、そのほとんどが文章化されるタイプのものではないのだなあ。だから本にもネットにも書かれていないことがある。お茶を飲んで感じたり、葉底(煎じた後の茶葉)を観察して、茶葉に刻印された記号を解読するしかない。少し経験を積んできて、お茶の自然や製茶の仕事や熟成の森羅万象にアクセスできるようになると、あるとき突然「あーなるほど」と直感して、芋づる式に回答を得られることがある。またあるときにはすべてがわからなくなるような迷宮に引きずり込まれることがある。おそらくそのどれもが真理なのだ。真理はいつも流動的に姿を変えているけれど、たしかに存在する。
それがなにに役立つの?と言われると答えにくいが、これから死ぬまでに自分の身の周りに起こるすべてのことに対して、お茶と向き合うような静かな姿勢で、柔軟に忍耐強く対応できるようになれば良いなと思う。
そういうことは頭で理解してもなかなか実践では活かされないので、文章にはされず、身体的なところや精神的なところに直接触れることのできるお茶するという行為によって、知恵を授かるのが良かったのかもしれないな。

お茶と社会

ヒンズー教の寺院

(写真:シンガポールのヒンズー教の寺院)


西双版納のアパートで、夜中にふと目が覚めたら、
寝室に黒い影が入ってきて枕元を覗きこんだ。
あわててはね起きたら、泥棒もあわてて逃げだした。
裸足のまま部屋を飛び出して階段を走り下り、
大声を出して守衛に捕まえてもらおうとしたが、
守衛は寝ていた。(グルかもしれない。)
門に設置されたビデオには二人の男の後ろ姿が写っていた。
なにも盗られていなかったから警察には届けない。
次の日に鍵を新しいのに替えて、それで終わり。

ペナンのモスク

(写真:ペナンのモスク)


いつもの茶荘でこのことを話したら、
主人が血相を変えてこう言った。
「泥棒が入るのはよくあることです。うちも2回現金や携帯を盗られました。」
「でも捕まえようとしないでください。」
「泥棒を追いつめてナイフで刺されたら、盗られたお金以上の損害です。」
「盗まれるのはお金だけで十分。」

シンガポールのモスク

(写真:シンガポールのモスク)


たしかにそのとおりなのだ。
例えば泥棒に入られないための完全な設備に何万元もかけるよりも、数百元盗まれて済むのならそのほうが安い。泥棒は町じゅうにうじゃうじゃいるのだから、一人や二人捕まえてもなにも変わらない。泥棒のほうも心得ていて傷害事件にはなるべくしないで、あくまでも小銭稼ぎのコソ泥に徹するのだ。
われわれの目的は良いお茶をつくって売ること。
そのために下手な現金の出費はなるべく避けるべきだし、仕事以外のことに関わっている暇はないはずだ。

ペナンの儒教の寺院

(写真:ペナンの儒教の寺院)


お茶のような歴史ある交易品には、いろんな土地のいろんな宗教のいろんな言葉を話す人々が関わってきた。交易の町にはそれぞれの民族のコミュニティーがあり、交易ルートをゆけば簡単に他国へ出られる。
そんな町には泥棒が多い。
スパイスや絹やお茶の交易の代表的な港町、ニンポー・アモイ・広州・香港・マカオ・ペナン・マラッカ・シンガポール・ジャカルタ・カルカッタ・チェンナイ・ムンバイなどは昔は泥棒だらけだったことだろう。
西双版納もまた、ラオス・ミャンマーと国境を接し、メコン川を下ると1日でタイに出られる交易の町だ。ちなみにうちに入った泥棒は、部屋の暗い明かりで顔は見えなかったけれど、肌の色の黒さからしてたぶん近くに住んでいる回族の人ではないかと思う。
東南シルクロードの時代から交易のために雲南省に移り住んだイスラム圏の人々が、今もたくさん住んでいる。ある意味で先輩だ。

マラッカのモスク

(写真:マラッカのモスク)


交易商人の考え方はこうだ。
生まれも育ちもちがう相手を理解する必要はない。
ただ取引するのみ。
たとえ闘うことはあっても、相手を窮地に追いつめてはならない。生かさず殺さずでやってゆく。追いつめると反撃されるし、それに応ずるために武力を増強するなんて割に合わない。そのゆきつく先は戦争。戦争は商売として割に合わないのだ。
このことは交易の歴史も証明している。
インド洋をめぐる東洋の交易が栄えていたところに、西洋が戦争と侵略いう新しい手法をもって割り込んできた。インドの交易港を支配していた王様は、そんな割の合わないことは誰もしないと油断していたから対応する武力がなかった。戦争による西洋の植民地支配は、はじめはうまくいったように見えた。

マラッカの教会

(写真:マラッカの教会)


しかし、生まれも育ちもちがう人々の社会に干渉して支配しつづけるという負担はあまりにも大きく、本国の足元をも削ることになった。西洋のどの国も、植民地支配はおなじような道をたどって衰退した。
東洋の商人なら、よその土地の者が王様のかわりを務められるなんて考えもしないだろう。
よい取引をして儲けることができたら、王様への上納金なんて安いものだ。仕事の邪魔をする泥棒や海賊を撲滅するよりも、彼らがなんとか生きてゆける道だけは残しておく。そうしたら彼らは命懸けで戦おうとはしないだろう。
お茶の世界でいえば、偽物も粗悪品も産地偽装品も一級品とうそぶく三級品も、それで食べてゆく人たちのくいぶちを奪うようなことはしないのだ。
どんな人でもそれぞれに生きてゆける。
人口が増えるわけだ。
人の数だけ問題も増えてゆく。
問題が増えても増えても、戦争なしでなんとかやってゆく。
それが良いのか悪いのかは、まだはっきりわからない。

西双版納の寺院 

(写真:西双版納の仏教寺院)


お茶のことを勉強してゆくと、かならずお茶を取り巻く社会が見えてくる。
それは醜くて、見たり聞いたりしたくないところもあるから、見たり聞いたりしないで済ませることもできる。仕事や生活でもうじゅうぶん現実と闘っていて、ほっと一息するために飲むお茶についてそんなことまで考えたくはない。
しかし当店としてはこういう話を少しはしてゆくつもりだ。
今、世界はほんとうに難しい問題を、生まれも育ちもちがう人たちと共有してゆかなければならないことになってきていると、お茶づくりの現場でさえもそう感じる。
お茶には自然社会の生きものたちとの関係もある。支配するのではなく共存の道をさぐるほうが良いとはわかっているのだが、それは泥棒の存在をゆるすよりも難しい。
お茶を飲むだけの人にも、多少は考えてもらわないといけない時がきていると思う。


茶想

試飲の記録です。

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