プーアール茶.com

ふたたび川を見ている

メコン川
美しい景色を見る。

大河をわたる風に吹かれる。

太陽が昇って沈んで星がでるのをずっと追いかける。

そこに時間をかけると、お茶は美味しくなる。

山の夢

山の夢
数日山に入って農家のところで過ごした。
【易武山丁家老寨 秋天 写真】
帰って来てしばらくぼーっとしていて、ようやく眼が覚めてきた。

例えば、
冷たい水に入るときはいつもちょっと思い切りがいるみたいに、
山に入るときにも思い切りがいる。
すべてを支配する威圧感たっぷりの緑。
容赦ない雨風と太陽の光線。
チクチク刺してくる虫やザワザワさわるかゆい草。
灯りのない真っ暗な夜の闇。
農家の家畜の臭いやけたたましい鳴き声。

それらは、
水が肌になじんできたら冷たさもまた心地良くなるみたいに、
山の空気が肌になじんできたら気にならなくなって、いつのまにか夢の世界に入る。
川のせせらぎ。
小鳥や虫の鳴き声。
遠くの山の稜線。
大きな樹の枝ぶり。
沸き上がる霧の光と影。
喉をいやす冷たい山水。
峰に吹くそよ風。
谷いっぱいに咲く花の息吹。
夜空に降ってきそうな星の群れ。
バイクで走って流れる景色。
まるで温かい布団の中でこのまま眠っていたいような心地よさ。

幼い頃に過ごした故郷の山の記憶があるからそう感じるのかもしれないけれど、
たぶんお茶の味にもこういうものを求めていて、
実はその「山の夢」をもういちど見たくてこんなことをしているような気がする。

巴達大黒山茶王樹

巴達大黒山茶王樹巴達大黒山茶王樹
巴達大黒山の茶王樹が折れたと連絡があった。
つまり、枯れ死したらしい。
推定1700歳。

幹のあたりが空洞化していて、
蜂が巣をつくったりして、かなり危うい状態だった。

天を覆う葉や枝がなくなり、
太陽の光がやっと地面にとどいて、新しい命が生まれてくる。
かつて王様もそのひとつだったわけだ。

どっちが遠いか

易武古樹青餅2010年プーアル茶易武古樹青餅2010年プーアル茶

どっちが濃いとか、
どっちが甘いとか、
どっちが喉越しが良いかとか、
どっちが薫るとか、
そういうのを抜きにして、どっちが遠い景色を見せるか?
という印象で比べると、
易武山のお茶はやっぱりキングだ。

世界農業遺産

南糯山古茶樹南糯山の古茶樹
世界農業遺産(GIAHS)に、
雲南のお茶どころが選ばれた。

世界農業遺産に定義されているような昔から続いている農業はすごい。
なにがすごいかというと、
地球上の人類の存在が肯定できること。
すべての生き物と共に生きて世界をつくる仲間であると、胸を張って言えること。
そこがすごい。
どんなに金を稼げても、速い乗り物で移動できても、多くの人々と情報を共有できても、国が集まって会議を重ねても、自然界でどんどん孤独になってゆく人類の営みに歯止めがかけられない。
けれど、昔の農業はそうじゃなかった。

学校では昔の農業のことを教わらなかった。
田んぼで米をつくる農家があるので、ご飯が食べられることは教わったが、
田んぼに生きる田螺や泥鰌や蛙やそれにつながる川や山からなる小宇宙と、
完全に調和した稲作農家の四季おりおりの生活システムと、
システムの一部であるハエやゴキブリやネズミなど家付き小動物まで含めて、
そのすべてがあって機能しているということは教わらなかった。

昔の農業はすべてであって、なにかの一分野ではない。
週末のアウドアでキノコや山菜の名前が当てられるというのと、農業を理解しているというのとはちがう。
旬の食べものの美味しさを知ったり、家庭菜園をしているというのともちがう。
もっと身の周りのすべてとつながっていて、その一部に成って生きてゆくことを求められる。物理的なことから思想にまで学問の分野がおよび、それぞれが複雑につながっているから、大学では学べない。

例えば、工業や商業は、経済の仕組みを僕に教えてくれた。
農業は、経済の道徳を教えてくれる。草や虫や動物たちと食べものをどう分けるか、利害を調整しながらどうしたらたくさんの生命がいっしょに営めるのかを教えてくれる。
学問や芸術は、人生の意味を僕に教えてくれた。
農業は、食べたり寝たりする毎日の生活に愛があることを教えてくれる。あらゆることに因果関係があり、人間の知恵は生活をとおしてそれを理解できることを教えてくれる。

もちろん、昔の農業はエリアが限られていて、現在のような広範囲に複雑にこんがらがった社会や世界ではないだろう。けれど、その成功事例は、できるということを証明している。

山に生きるふたつの世界

山岳少数民族
西双版納にいる山岳少数民族にもいろいろな生き方がある。
お茶づくりをするのは定住型の生活をしている人々だけれど、同じ民族においても定住型を選ばずに、移動型の生活を続けている人々がいる。定住型を選ばせる「米」や「茶」の栽培との出会いが、過去になかったのかどうなのか、理由は僕にはわからない。でも、とにかく少なからずいる。

移動型の生活をする人々は、焼き畑で一時的に農作物をつくったり、季節の山菜や野生茶を採集したり、狩猟をしたり、それを交換したり売ったりして生計を立てている。
何年か何十年先かはわからないけれど、いつかその山の環境が変化して住みにくくなったら、また別の山へ移って暮らす。雲南・ラオス・ミャンマー・タイの国境をまたぐ広大な山岳地帯のいたるところで、そんな生き方をしている人々が今もいるのだ。

この人々は、移動先の山がどの国に属しているとか、誰かの土地であることにあまり関心がないかもしれない。もちろん教育や情報の発達で変わってきているだろうけれど、実感としては薄いと思う。なぜなら土地に所有の概念がないから。
山は地球のもの。
そもそも人間のものじゃない。
それを、うちの領土だとか言って国と国で争っている姿は、さぞかし滑稽に見えることだろう。
山にひろがる自然林は誰のものでもないし、そこを開拓して住むことになっても、それを所有するつもりはなくて、いつかまた出てゆく仮住まいにすぎない。

定住型の生き方をする人々と、移動型の生き方をする人々。
ひとつの地域に、ふたつの異なる世界を持ちこんで、人々が共存している。
これをひとつの国のひとつのルールでどうやって縛れる?

国はいろんな形で努力した。
ルールを合わせてもらう代わりに、山に学校をつくり宿舎をつくり、村を整備し、農地を与え、作物の栽培を指導し・・・、ところがうまくゆかない。補助を頼りにするばかりで、自立できなくなってしまう。
教育や貧富の格差が生まれる。
そもそも移動の生活をしている人々に、学校教育や経済の概念なんてないのだ。いきなり一方的なモノサシを当てたら、当然ながら弱者になってしまう。弱者どころか、競争社会では敗者ということになる。敗者をつくっておいてから、それに手を差し伸べる慈善活動は、どこかつじつまが合わない。

例えばの話、一生懸命勉強して一生懸命働いて、やっと手に入れた土地の権利があったとする。それは定住型の生き方をする人々がその国のルールにのっとって得た、正当な権利だ。そこへ移住の人々が入ってきて暮らしだしたらどうする?移住の人々はその土地に権利があることなどわからない。
ルールの違うふたつの世界が摩擦することはたくさんある。

それでもこれは、白黒をはっきりさせるべき問題じゃない。
どちらかのルールに沿うと、どちらかの立場をなくすことになる。
たとえお互いに譲り合ったとしても、どちらにも胸につかえるものは残るだろう。だから国が決まりごとをつくって解決しちゃいけないのかもしれない。実際にどの国も、国境付近の山の民族の人たちにはゆるい管理をしている。
トラブルは民間のレベルで、村長同士が話し合って、「ま、お互い喰うに困らないように、まるく収めましょう」という具合に臨機応変にしているからこそ、この山岳地帯にはいろんな民族が共存できているのではないかと思う。

貧困は、われわれから見た姿のことで、所有しない豊かさというのがあるのかもしれない。
われわれと話す言葉の教育は無くても、山と話す言葉を学んでいるのかもしれない。
それは彼らの選んだ生き方なのだから、その存在をありのままに受け入れるのが優しい態度というものだろう。
定住型の生き方をして、ひとつの世界しか知らない者がこれを見て、教育や貧富の差をとやかく言うのはお門ちがいだ。

薬味

易武春風青餅2011年プーアル茶 
ちょと古いプーアール茶ファン向けの、マニアックな話になる。

『丁家老寨青餅2012年』の紹介文で、その特殊な栽培方法による大ぶりの茶葉は「大葉青餅」ではないか?そうすると麻黒一帯の小ぶりの茶葉は「小葉青餅」ではないか?と推測していたが、それを裏付けるような風味が『易武春風青餅2011年』のほうから出てきている。

当初は「無い味」を意識して春一番の新芽と若葉に執着したこのお茶は、1年と4カ月経った今、無い味とは言い難いほど薬味が強くなり、一言でいうと苦い。そしてお茶というより葛根湯や、あるいは花火の火薬のようなちょっと異質な香りが混じる。
この風味はずばり『92紅帯青餅プーアル茶』に似ている。

三級単一茶葉で仕上げるという実験的な試みのある『92紅帯青餅プーアル茶』は、1992年製なのでざっと20年経っているが、いまだに風味に鮮烈なところが残っている。春一番の小さな若葉の成分は熟成変化が遅いということだろう。
このお茶を美味しく淹れるのは難しい。とくにはじめの三煎めくらいまでは、蓋碗でたくみに湯加減を調整するのを楽しめる人はよいけれど、一瞬たりとも気の抜けない勝負となる。『易武春風青餅2011年』も、今まさにそんな感じなのだ。

『易武春風青餅2011年』の熟成の試飲報告はもう少し先送りにするけれど、この方向でさらなる高級を求めるというのは、自分の中では無いとはっきりした。
名作と言われながら、『92紅帯青餅プーアル茶』や『七子紅帯青餅プーアル茶』が毎年つくられる定番にならかなった理由が、今わかる気がする。

鬼手仏心

ヘミングウェイ老人と海
かなり昔のことだけれど、日本でテレビを観ていたら、どこかの川で鮎の漁をしている若い漁師が、師匠から伝えられた「鬼手仏心」(きしゅぶっしん)という言葉を紹介していた。
逃れようともがく鮎を生け捕る手は鬼だけれど、その鮎を誰よりも愛しなさいという教え。

なかなか深いのだ。
誰でもなにかを食べて他の生命を殺生(せっしょう)しながら生きている。
草食であっても、草の命や草を食べて命をつなぐはずだった虫たちからそれを奪っている。
農業や漁業に関係のない人でも、食べるために仕事をするということはなんらかの生命を間接的に殺生している。

鮎がいるから漁師の仕事がある。
しかしその逆もまた言えて、漁師の仕事があるからこそ鮎が価値ある存在になる。
鮎を食べて楽しむお客様からしっかりお金をいただけるように、旬の美味しいタイミングで活きの良い鮎を獲る。春になったら稚鮎が河口付近の海から上がって来られるように、川の自然環境を大切にする。そうやって川と人との営みを続けて互いに生かし合うことが、すなわち鮎に対する漁師の愛情なのだ。

ヘミングウェイの小説『老人と海』でも、漁師のサンチャゴはそういうことを話していた。
老人は、漁師として魚を釣ることの喜びと、魚を殺すことの悲しみを、ひとりぼっちの小舟の上で語る。三日三晩にもおよぶ巨大カジキとの生死を掛けた闘いにも、「お前を殺す価値のある人間なんてどこにもいやしない。でも、俺は漁師としてお前を殺すことになる。」というようなことを言う。殺生という行為でありながら、老人の魚や海に対する愛情いっぱいの仕事は、すがすがしい感動を与える。

例えばの話だけれど、
ダム工事の巨額な利権によって鮎の価値なんてふっ飛んでしまうのを、生活保障というお金と引き換えることになった漁師はどうだろうか。
鮎もお金も漁師にとっては生きるために必要なもので、そういう意味では同じかもしれない。
しかし、うまく言えないけれど、今この違いが少しわかる気がする。
鮎と漁師とそして川との関係は唯一無二のものである。それに対して、お金はなんにでも交換できて誰にでも共通して価値のある普遍的なものである。

唯一無二だからこそ愛がある。
「鬼手仏心」はそういう関係のことを説いているかもしれないな。
ちょっと前に、「僕はこの仕事が好きなんです・・・」と若い人に言うと、「お金儲けが好きなんですか?」と返されて、ちょっとうろたえてうまく言えなかった。そうじゃなくてこういうことなんだと、今ひとりでじっくり考えてみた。ふぅ・・・。

文化の祖国

漫撒茶山(旧易武山)
皇帝になる民族がかわるたびに、そのたびに文化も生活習慣もいちいち変わっていたらやってられない。しかし中国はそれを繰り返してきたわけだけれど、西双版納ほどの辺境地になると、昔は誰が北京の皇帝なのか知る由もなかったわけだ。
ほんの数十年前まではこの山のどこに国境線があるのかさえわからない。どちらの国の役人も線を引きに来たことがなかったのだ。

だからここでは祖国というのと国というのは異なる存在なのだと思う。
漫撒茶山(旧易武山)で、「私は石屏の人です」と言う漢族の人が何人かいた。ここに来て七代目の農家の主人もそう言っていた。七代目となるともう石屏のことなんて忘れて「私は易武の人です」と言ってもいいように思うが、そうじゃないのだ。おそらく石屏のほうから文化を持って来たというアイデンティティーが、いくつもの民族が共存しているこの辺境地で生きてゆくのに必要なのだろう。
文化には祖国がある。

現在は辺境地の人々もゆきとどいた国のサービスを享受しているが、昔の人々にとって、国ってなんだったのだろう?
突然北京の皇帝の手下がやってきて、「ここは我々の土地であるからして、お茶を売った金に20%の税金を徴収する。」なんて言いだすやっかいなヤクザじゃなかったのか。
どこの国の行政サービスの助けも借りずに、手つかずの密林に道をつくって家をつくって田畑をつくって山を開いて茶を育ててきた人たちから言わせたら、「あんたが今歩いてきた道もわれわれがつくったのだから、ここはわれわれの土地だ。」と言いたいだろう。
けれど、おそらく皇帝の手下は武力で有無を言わせないのだろう。

見方によっては、国というは税金を取ってその金でちょいと行政サービスを提供しているだけのヤクザだ。汗水たらして労働しないで、勝手なルールを決めるだけで他人の上前をはねて飯を食っている不届き者たちだ。
現在の先進国の中には、未来の子供たちの財産まで食い潰しているところもあるけれど、なぜかそういう国の人に限って自立心が少なく国に依存しているという統計が出ている。

もしも本気で文化を守る気があるのなら、そんなところに祖国の文化を預けるわけにはゆかない。国がどうなろうが、住んでいる土地がどうなろうが、いつでも文化を風呂敷に包んで持って逃げる覚悟をしておくべきだ。
どこへ行ったって、人の祖国は変わらないし忘れはしない。皇帝が代わろうが植民地支配されようが、世代が7つも変わろうが、人と共にある文化は根を失わないのだから。

そうやって長い歴史の中で人が移動しながらもお茶の文化を守ってきたようなところがある。だから辺境地で育ったプーアール茶は無国籍な感じがするし、国とは別に、お茶を守ってきた人たちの祖国を感じることができるのかもしれない。
根の強いお茶なのだ。

なつかしい風景

易武山丁家老寨
チェンコーン
えらい遠くまで来たなーと思うような異国の地なのに、 山と谷と田んぼの織りなす曲線や、大河の蛇行する柔らかい流れを見ると、心落ち着くことがある。
似たようなところはいくつもあっても、なにかが微妙に違うのか、そこだけが特別に見えるところがある。
もしかしたら、自分の知らないずっと昔の先祖の人がこういう地形のところで豊かな生活をした記憶が血に残っているのかもしれないな。


茶想

試飲の記録です。

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